発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

特性が強くて不登校だった僕が今幸せなわけ。バード

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笑顔でなくてごめんなさい。セブ市に帰ります。



 

 

 

ブログを書くことはしたくないとスタッフに言いました。

でもまた書きたくなったので、書きます。

 

 

 

どうして書きたくなったのかと言いますと、フィリピンからスタッフがたくさん日本に来たからです。

 

 

 

とても嬉かった。

そしたら、フィリピンでの色々な思い出が浮かんできました。

大変だったことが多かったけれど、今となっては良い思い出に変わっています。

 

 

 

僕はフィリピンで学校に行っていました。

そしてスタッフと同じ家に住んでいました。

毎日毎日、スタッフの人たちから、いろんなことを教えてもらいました。

 

 

 

フィリピンの学校に行っていたけれど、やっぱりそこでも色々と問題を起こしてしまっていました。

毎日、学校で起こった出来事をスタッフに報告する約束でした。

しかし、落ち込んでしまうと話せなかったです。

 

 

 

でも、スタッフはすぐに察して、スタッフから色々と聞き出してくれたので助かりました。

 

 

スタッフは僕の真似をして、失敗した場面を再現フィルムみたいにしてくれたり、ホワイトボードに描いてくれたりしたので、僕はわかりやすかったです。

そして僕がわかるまで、徹底的に教えてくれたのです。

 

 

 

例えば、こんなことがありました。

僕は家庭教師をつけてもらって、プログラミングを1年近く勉強しました。

 

 

その後、入学した学校でプログラミングの授業があり、全校生徒参加のプログラミングのコンテストで、僕は優秀賞をとったのです。

 

 

それでそのあと、僕が作ったゲームをクラスのみんなにお披露目する機会がありました。

幸せ度マックスでした。

 

 

 

それでクラス全員にこのゲームをやってもらおうと、1人1人に詳しく説明したのです。

そうしたら、みんなから嫌がられました。

 

 

僕は、僕の説明がよくないとこのゲームの良さがわかってもらえないと思い、もっと一生懸命にクラスのみんなに説明しようとしました。

 

 

そしたら、みんなが露骨に嫌がる仕草をしたのです。

僕はパニックになって、学校を早退しました。

 

 

その後、スタッフの知るところとなり、僕とスタッフの話し合いが持たれました。

 

 

最初に僕から話を聞いたスタッフは、僕の前でスタッフたちが、僕とクラスメイトに扮して再現フィルムをしてくれたり、ホワイトボードで話をまとめてくれたりしました。

 

 

 

母親が幼い子どもに1つ1つ丁寧に教えていくようにです。

 

 

 

僕は、小学生の時から学校に行けなくなっていました。

どうしてそうなったのかは、小学生の時にはわからなかったです。

でもスタッフから、1つ1つ丁寧にいろんなことを教えてもらっていくうちにわかってきました。

 

 

僕には他の人と違う面があるのです。

特性というみたいです。

それが悪さをしてしまうので、僕の受け止め方がおかしかったり、おかしな動作や行動をしてしまっていました。

 

 

それで、みんなから仲間外れにされていました。

 

 

「バード君は0か100かのどちらかだ。」とスタッフからよく言われていました。

今は50という見方もできるまでになりました。

 

 

練習したら、変わりますよ。

僕の状況はとても悪かったそうです。

そんな僕が今、日本で学校に通い、友達もでき、アルバイトも継続してやれるまでに変わることができたのです。

 

 

でも、練習は1人ではできないですので、優秀なスタッフさんについてもらう必要がありますね。

とても特性の強い僕が、自分で本を読んで学んだり、誰かのアドバイスだけでは変わることはできません。

 

 

 

スタッフが家族のように接してくれて、4年間かけて僕の強い特性を和らげてくれて、僕は自分で自分をコントロールすることができるようになったのです。

 

 

僕には家族のように接してくれていたスタッフさんがいました。

そのスタッフのおかげで、4年間の海外支援でなんとか社会に戻れるまでになりました。

 

 

日本に帰ったら、「マル」さんが僕の心の母になってくれました。

毎日、「マル」さんが僕のお世話をしてくれています。

 

 

僕がこの団体でお世話になったのは15歳からです。

あれから10年近くがたちました。

 

 

そのスタッフと久しぶりに会うことができたのです。

1人1人に感謝の気持ちを込めて、購入したプレゼントを渡しました。

 

 

そして僕はもう一度、お世話になった感謝の気持ちを話しました。

泣いてしまいました。

 

 

15歳の時、僕は生きるのが苦しくて、死んでしまいたいと思って毎日すごしていました。

 

 

でも、今は友達もたくさんできた。

働いていたアルバイト先から、「またいつでも時間があったら戻ってきて。」と言われている。

勉強は上位にいる。

「このまま頑張れば、大手に推薦できる。」と学校から言われた。

 

 

そして彼女らしい相手もいる。

 

 

もう充分です。

幸せです。

 

こんな僕の文章が誰かのお役に立てれば幸いです。

では、再び勉強します。

さようなら。

 

 

 

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