発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

日本では生きていけない僕。東大

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via GIFMAGAZINE

 

 

30年間ひきこもっていた僕。

「もう、僕は回復した。」

と喜んでいましたが、先日、パニックに陥りました。

 

 

僕は、自分の弱さを自分で、受け入れられていないことに気づいたのです。

 

僕は大学院を終了することはできた。

しかし、担当教授は僕の不安定さを理由に、一般企業への推薦をしなかった。

「東大大学院で担当教授からの推薦を持たずに、就活しようものなら、教授との間で何か問題があったと採用側は考えるから、就職は無理だ。」と思った。

 

 

それで全てを諦めてしまった僕です。

 

 

ひきこもっていた時には、テレビを見ていなかったぼくですが、日本に帰ってホテルで宿泊する時にはテレビをつけます。

 

 

何気なく、つけぱなしにしていたテレビを見たら、30年前に同じ研究室にいた仲間がテレビにコメンテーターとして出ていました。

 

 

顔は随分と変わってしまっていましたが、名前と話し方は30年前と同じです。

 

 

僕は少しパニックになってしまい、テレビを急いで消しました。

しかし、やはり気になりましたので、再びつけたら、違う内容になっていました。

 

 

 

急いで、グーグルで検索しました。

随分と出世をしていることに気づきました。

深いため息をついた僕です。

 

 

30年間の空白がこの違いを作り出したんだ。

ぼくだって、あの情熱を30年間持ち続けていたら、彼には負けていなかったはずだ。

 

 

いやいや、そんな考えから抜け出したはずだ。

昔のことを考えたりするのはやめないと。

僕はホテルの部屋から出て、名古屋の街を歩きました。

 

 

ちょうど退社時間で、通りは多くの企業戦士が、名古屋駅に向かって行進中でした。

 

 

ドッド、ドッド、ドッド、小気味好いテンポで多くの集団が一点目指して行進中。

そこの中に間違って入ろうものなら、踏み潰されてしまいます。

 

 

僕は、慌てて、1本奥の道に避難しました。

心臓を鷲掴みにされ、顔の皮膚が上に引っ張られています。

 

 

体がフリーズしてしまい、その場でしゃがみ込んでしまいました。

 

 

 

早くこの場から退散しないと。

体の自由が効きません。

 

 

 

「どうされましたか?救急車をお呼びしましょうか?」

背後でお年寄りの声がしました。

「大丈夫です。ちよっと飲みすぎてしまいまして。」

 

 

 

変な理由しか思い浮かばない僕です。

這うようにホテルに帰った僕です。

 

 

自分の部屋に帰って、気づきました。

半袖なのです。

ここは真冬の日本なのに。

 

 

僕もヒロさんと同じく、日本では生きていけない人なのでしょう。

 

 

 

早くフィリピンに帰りたいです。

 

 

 

フィリピンなら普通に問題なく暮らしていけますから。

 

 

 

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