30年間ひきこもっていた僕。
「もう、僕は回復した。」
と喜んでいましたが、先日、パニックに陥りました。
僕は、自分の弱さを自分で、受け入れられていないことに気づいたのです。
僕は大学院を終了することはできた。
しかし、担当教授は僕の不安定さを理由に、一般企業への推薦をしなかった。
「東大大学院で担当教授からの推薦を持たずに、就活しようものなら、教授との間で何か問題があったと採用側は考えるから、就職は無理だ。」と思った。
それで全てを諦めてしまった僕です。
ひきこもっていた時には、テレビを見ていなかったぼくですが、日本に帰ってホテルで宿泊する時にはテレビをつけます。
何気なく、つけぱなしにしていたテレビを見たら、30年前に同じ研究室にいた仲間がテレビにコメンテーターとして出ていました。
顔は随分と変わってしまっていましたが、名前と話し方は30年前と同じです。
僕は少しパニックになってしまい、テレビを急いで消しました。
しかし、やはり気になりましたので、再びつけたら、違う内容になっていました。
急いで、グーグルで検索しました。
随分と出世をしていることに気づきました。
深いため息をついた僕です。
30年間の空白がこの違いを作り出したんだ。
ぼくだって、あの情熱を30年間持ち続けていたら、彼には負けていなかったはずだ。
いやいや、そんな考えから抜け出したはずだ。
昔のことを考えたりするのはやめないと。
僕はホテルの部屋から出て、名古屋の街を歩きました。
ちょうど退社時間で、通りは多くの企業戦士が、名古屋駅に向かって行進中でした。
ドッド、ドッド、ドッド、小気味好いテンポで多くの集団が一点目指して行進中。
そこの中に間違って入ろうものなら、踏み潰されてしまいます。
僕は、慌てて、1本奥の道に避難しました。
心臓を鷲掴みにされ、顔の皮膚が上に引っ張られています。
体がフリーズしてしまい、その場でしゃがみ込んでしまいました。
早くこの場から退散しないと。
体の自由が効きません。
「どうされましたか?救急車をお呼びしましょうか?」
背後でお年寄りの声がしました。
「大丈夫です。ちよっと飲みすぎてしまいまして。」
変な理由しか思い浮かばない僕です。
這うようにホテルに帰った僕です。
自分の部屋に帰って、気づきました。
半袖なのです。
ここは真冬の日本なのに。
僕もヒロさんと同じく、日本では生きていけない人なのでしょう。
早くフィリピンに帰りたいです。
フィリピンなら普通に問題なく暮らしていけますから。
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