こども達はこの日を待っています。異常な熱気と興奮が周りを支配します。
みなさんは、自分は生きていても良いのかと考えたことはありますか。
僕は30年間ずーっとそのことばかりを考えていました。
毎日。
考え込むというより、突然頭の中で声がするのです。
「死んだ方がいいよ。生きる価値のない人間だから。」と。
僕は恐怖に襲われます。
その声を消し去りたくて窓から差し込む光の元に移ります。
光は僕の味方ですから。
でも冬場は逃げる場所があまりありません。
特に夕方近くのどんよりとした、今にも雪が降ってきそうな天気の時には、その声が襲ってこないようにと祈るような気持ちで、ただ怯えていました。
サポートセンターの青木が言います。
ひきこもっている僕たちは5年刻みで不安が増していく。
そして50の大台を迎えた時に全てを諦めてしまう人が多い。
確かに49歳と50歳では1年しか違わないのですが、当事者には1年以上の重みを感じるのです。
僕の50歳の誕生日。
母が小さなショートケーキを1個買ってきてくれました。
ショートケーキの上に乗った小さなロウソクに火を灯してくれた母。
「これからも◯◯が元気でいられますように」と言ってロウソクの火を消してくれたことを昨日のように鮮明に覚えています。
僕は母の顔を見ることができませんでした。
心から申し訳ないという思いで一杯で、母の顔を見てしまうと泣いてしまいそうでしたから。
でも母の前では絶対に泣かないと心に誓っていました。
母に対して気丈に振る舞うことは、ひきこもっていた僕にでもできることですから。
僕がひきこもっていても死のうとしなかったのは、母の存在が大きかったです。
母を1人にすることはできませんでした。
母がなくなったら、ぼくもすぐにその後を追うつもりでいました。
現実は僕がもう一度人生をやり直す決断をし、フィリピンに渡った2日後に母は突然亡くなったのです。
その時には「僕の頭の中の声はなくなっていました。」
こんな僕でも誰かの助けになるのだ。
僕は価値のない人間なのではない。
生かされている価値ある人間なのだ。
その時はそう思っていました。
今は違います。
この世の中には価値のない人間など誰1人もいない。
生産性があるなしに関わらず全ての人は生きる権利を保証されている。
僕はそう教えられました。
明日に続きます。
僕が生きていても良いんだと感じることができた直接の出来事。
それはボランティア。
サポートセンターではボランティアを積極的に行なっています。
フィリピンの貧しい地域にある保育園や小学校で古着や文房具を配る活動を11年に渡り行なっています。
そのための中学生くらいまでの男女の古着や文房具、おもちゃをください。
特に小学生の女児の服がなくて困っています。
いらないものがありましたらぜひサポートセンターに送ってください。
古着がないとボランティア活動ができなくなってしまいます。
この働きをどうぞ助けてください。
配布用の文具がないので購入して配布しました。セブ市内小学校にて
〈古着送付先〉
〒450-0002
アクアタウン納屋橋512
一般社団法人「青年生活就労自立サポートセンター」まで
〈お問い合わせ先〉
電話番号 052-564-9844
メール smilehousejapan@gmail.com
まとまった量の古着がありましたら、車で引き取りに伺います。
愛知、岐阜、三重県内に限ります。
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