僕にできることはあるのか。少しでも社会の役に立ちたいです。
僕は海外に住んでいるので日本のニュースを目にすることはあまりない。
あの東北の震災だってちょうど大学の学年試験で頭の中がぐちゃぐちゃで「うわあー」と声をあげて叫びたくなっていた時期。
同級生から「日本で地震が起きて大変なことになっているぞ。」と携帯メールがあった。
「日本は地震国でいちいち起きた地震に反応なんかしてられません。」とそっけない返信をしたことを思い出す。
今回の事件も日にちが随分とたってからフィリピンのテレビのニュースで知った。
事件の詳細を知るうちに、犯人は僕だったかもしれないと感じた。
親に反抗的な態度をとり、親は身の危険を感じ「自立支援センター」に子どもを託した。
子どもは「自立支援施設」を卒業後、職につくが、周りとうまく行かずに仕事を失う。
その後、祖母の養子となり、祖母と同居するが、「自殺する」と言い残して家出をした後、今回の事件を引き起こした。
俺と似ていると感じて少し心がざわついた。
俺は小さい頃から育てにくい子どもだった。
そんな俺を母親は叩いたり、大きな声を出して、しつけをしようとした。
しかし、俺には逆効果。
社会や学校に受け入れられなくとも、親だけは子どもの味方であって欲しいと思っていた俺。
だんだんと親に対する恨みや憎しみだけが増していった。
ついに俺は母親に暴力を振るい母親に重傷を負わせた。
そして、両親はもう一緒に住むことは怖くてできないと、俺を寺に預けたり、自立支援施設に預けた。
しかし、どこの場所からも俺は逃げ出した。
そして家出。
公園や漫画喫茶に寝泊まりしながら、いじめた奴らに復讐の機会を狙っていた。
万引きしたサバイバルナイフをいつもカバンの中にしまいこんでいた俺。
その記憶が瞬間的に脳裏に蘇った。
怖くなった。
またそのような状況に戻ってしまうのではないかと。
こんな時には青木さんに電話をして話を聞いてもらうしかないと思ったが、「こんな程度で電話をしたら、他の急ぎの用事で忙しくしている青木さんの邪魔をしてしまうと」と感じたけれど、やっぱり落ちつかないので青木さんに電話した。
青木さんはこのニュースを知らなかった。
で、かいつまんで青木さんに聞かせた。
「関係のない人が突然命を奪われて、辛いね。」と反応した青木さん。
「僕と似ていますよね。」
「一部ね。」
「だからその、僕が彼になっていてもおかしくなかったんじゃないですか。」
「支援を受けていなければ、反社会的な行為に走っていたことは確かだろうね。」
「僕と彼との違いはなんなんですか。」
「はあ、そんなことわからないよ。」
「もちろん自立支援施設の職員の方々も一生懸命彼に対して愛情を注いでいたんだろうと信じたいね。」
「しかし、結果的にはマンツーマンで24時間、365日彼の家族となるような手厚い支援が必要だったんだろうか。」
「どのくらいの支援期間が必要ですか」
「大丈夫だと思えるまで。」
「だからなん年ぐらいですか」
「そんなことわからないさ。でも最低でも10年間は必要だろうな。」
「じゃあ、俺レベルですよね。」
「そうだね。」
「親は責められませんよね。」
「うーん、責めてどうなるの?」
「ご両親はどうしたら良いのか。全くわからなかったんだろうな。」
「これは親の範疇を超えているよ。」
「じゃあ、誰が悪いんですか。」
「犯した罪は償はなければいけない。」
「誰が悪いのかって?」
「でも言えるのは、環境を変えていたら違う人生を歩んでいただろうな。」
「秋葉原の事件の犯人の悲しい顔の表情を鮮明に覚えているよ。」
「新聞で背景を知ったけれど、『何か力になれなかったのか。』と自分の無力さをあの時は感じていたな。」
「でも目の前の人たちの支援を一生懸命やるしかないからね。」
「何か思うところがあったら、君がブログで書いていた通り、実行したらどうなの。」
「どの国会議員がこのような事柄に関心を持ってくれるのでしょうか。」
「俺は知らないよ。」
「ホームページで自分の考えを書いているはずだから、調べてこの人は!!と思ったら、コンタクトをとってみたらいいんじゃないの」
まだスッキリしない俺です。
まだ心がざわついている。
なんだかとても辛くて苦しい気持ち。
こんな事件が起きないようにして欲しい。
悲しみをこれ以上味わいたくないんだ。
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