支援が終了した生徒の部屋の片付けの手伝いです。
最近になって感じることがあります。
僕はみんなとは違うということ。
その「違い」をはっきりと感じることができるのです。
僕だけではなく、東大さんも、Mr.Joeも俊介兄いもみんな違います。
そんな僕たちが学校という制度に合わせようとしました。
圧倒的に多くの人たちは学校という制度に合わせることができました。
残念ですが、1部の子どもは学校という制度に合わせることができませんでした。
理由は様々です。
「長時間じーっとしていることがとても苦手な子ども。」
「クラスのざわざわした音が苦手な子ども。」
「教室の匂いがとても苦手な子ども。」
Mr.Joeは「クラスのみんなのペースに合わせることがとても難しかった。」そうです。
東大さんは「研究室で他の院生とのコミニュケーションが上手く取れなかった。」そうです。
青木さんは同級生との関わり合い方がわからなかったそうです。
俊介兄いは大学の大教室で大勢の学生を見て恐怖を感じたそうです。
大統領は他の兄弟が優秀なのに、自分だけ学校の成績が悪くて、親はそれで認めてくれないと自己否定していたそうです。
僕たちは他の人たちと比べて特別に「変」なんです。
「変」といった方がわかりやすいでしょ。
僕は学校の授業がわからなかった。
先生の話していることが理解できなかった。
それで「支援級に移った方が良いですよ。」と担任に言われたけれど、母親は頑として首を縦に振らなかった。
「息子は障害者ではない。」と言い切った僕の母親。
僕はサポートセンターの支援を13年間受けて、インターナショナルハイスクール、4年生大学を卒業した。
小、中とオール1だった僕が!!
僕にあった方法で勉強を教えてもらったので僕の成績は飛躍的に伸びた。
Mr.Joeに必要なものは何かと考えて、足りないものを与える支援でMr.Joeは社会に所属することができた。
30年間ひきこもった東大さんも、俊介兄いも、劇団兄いも、三郎さん、ジャイアンさんも。
1人1人にあった支援が必要とされている。
学校を批判する人たちがいる。
「学校は何もしてくれない。」と。
当事者だった僕は思う。
「学校の先生に変な僕たちの支援を望むことはできない。それでも学校に通うだけの意味はあるんだ。」と。
だから学校と良い関係を結びながら、一方では子どもにあった支援を親が考えるなり、それができないなら、外部の専門家に任せるしかないんだ。
「学校は何もしてくれない。」と批判しても何も生産的なことにつながらないのに。
大切なことは目の前の子どもにあった支援をどうやって提供するかということです。
おいらはサポートセンターで13年間。
朝から晩まで、スタッフ達と寝食を共にして日々の生活の中で支援をしてもらった。
青木は父親、あつこセンセえーは母親、スタッフ達はおじさんにおばさん、姉さんに妹。
そんな風に役割分担して、擬似家族としてぼくの支援にあたってくれた。
だからぼくは今社会に所属することができているんだ。
大切なことは、他の同世代の子どもに自分の子どもを合わせようとするのではなく、その子なりの発達に合わせた支援と今後の見通しを建ててあげることだと思います。
程度の悪いアスペルガーな僕たちには僕たちなりの特別な支援が必要なのです。
今日言いたいことはこのことです。
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