発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 沖縄でのたくさんの人との出会いで変えられた俺

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母親が泣いている。

 

 

なんで泣いている?

子供がまた下向いているだろう。

泣くんじゃねえって。

 

 

泣くな。

子供にとっては母親だけが頼りなんだ。

泣くんじゃねえよ。

 

 

「子供の前で泣くのは良くないです。」

「泣いたらダメです」

「泣かないでください」と母親に話した。

 

 

そう言っている俺が泣いてしまった。

子供にとって母親が泣くのが一番つらいんだ。

 

 

泣くなら一人で泣いてほしい。

「一緒にゲームしよう?」と俺は子供をさそって違うテーブルに移った。

確かモーハンだったかな。

 

 

ゲームをやるうちに子供に笑顔がみられた。

はっはっは、モーハンに関してはすごかったなおれ。

 

 

その時母親から子どもとメル友になってほしいと言われた。

一週間に数度のメールのやり取りが始まった。

時には毎日何十通も。

 

 

今でもメールのやり取りは続いている。

その後、その子は高校に行かず高卒認定試験を受けて受かった。

たくさん人がいるところにいることがとても苦手だったんだ。

 

 

 

高卒認定試験が受かってから名古屋のサポートセンターに来た。

簡単なアルバイトからはじめて、徐々に大勢の人がいるところでもいられるようになった。

 

 

そこで泊まりながらアルバイトをしてお金を稼いだ。

2年間働いて貯めたお金で名古屋の専門学校に通った。

 

 

専門学校に通いながらもアルバイトをして頑張って卒業した。

その後沖縄に戻り今は事務職で働いている。

 

 

俺とは3個違いだ。

初めて会ったのは14歳だっかなそれから10年は過ぎている。

数年前に送られてきた彼女との2ショットの彼はなかなかの好青年だ。

 

 

人は変わるんだ。

良い先輩に出会えれば人は変わる。

今になってそう思うよ。

 

 

その後俺は3回沖縄に行きあちらこちらで話をした。

講演会で生計を立てるなんてそれが夢だと気付いたけれど、そんなことよりどこに行ってもこんなバカなおれをはげましてくれる人達がいたんだ。

 

 

俺の中の頑なな心が柔らかくなっていったんだ。

最初は誰れかのために俺の体験談を話してやろうと思っていた俺。

 

 

 

この沖縄ツアーは本当は俺の成長のためにあったんだと今になって思う。

 

 

自分で成長したなんて恥ずかしくて言いにくい。

でも確かに俺は変わっていく。

この後もっと強烈な出会いが俺を待っていた。

 

 

 

青木さんから「そんなに細かく書かなくていいよ」と言われました。

でもこんな風な書き方しかできないと言いました。

 

 

 

たぶんこの文章をよんでいる人たちが間延びしてしまうんでしょうね。

 

 

でも改めて今昔を振り返って思う。

人は変わる。

みんな変わりたがっているんだ。

 

 

でも変わるために・・・・・・

何をしたらいいのか。

そんなアドバイスを具体的にくれる人を必要としている。

 

 

 

俺は幸運だったんだ。

今は本当に幸せだから。

 

 

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