発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 僕から君へのアドバイス ヒロ

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こんにちわ。

ヒロです。

今日はみなさんに伝えたくて書きますね。

 

 

 

言いたいことは2つあります。

一つ目は、希望はあるということです。

二つ目は、支援してくれる人を探し出せです。

言いたいことはこの2つです。

 

 

 

俺のばかばかしいブログを読んでくださっているんなら、こんなバカな男でも「楽しい」という人生を送れるんだということがわかってもらえているでしょう。

 

 

 

俺は小学校、中学校と勉強に全くついていけず、動作がおかしかったり、他の人たちとうまく会話ができなかったり、太っていたり、風呂に入らないから臭かったりとおよそ人間とは言えない生活を送っていました。

 

 

 

で、学校に行けなくなって、家に引きこもっていたんです。

その家も俺には安住の地ではなく、「この先どうするつもりなんだ!」「学校に行かないなら働け!」と俺の抱えている不安や苛立ちを理解しない親の発言や態度にイラつき、母親に対して大変な暴力をしてしまいました。

 

 

 

俺たちにとって住む世界は2つだけです。

学校と家庭。

その2つに所属できない時、俺たちはどうすればいいのでしょうか。

 

 

 

俺は幸いにも、素晴らしい支援者たちに出会えました。

そのことでそこからの俺の人生は大きく変わったのです。

残念ながら、発達障害に関する本を読んだり講演会を聞きに行っただけで人生を変えることは僕にはできませんでした。

 

 

 

9年間という長い時間にわたって。

それも1日24時間寄り添ってもらっていたのです。

はっきり言います。

 

 

 

この支援があったからこそ、おいらはちっとはまともな人間になれたのです。

それにしても9年。

盆も正月もなく、毎日、支援者たちと一緒でした。

その中でおいらは良い方向へと導かれたんです。

 

 

 

誰もが9年間必要なわけではないと思うんだ。

日本での4年間ははちゃめちゃでした。

いかに自分がこの社会から必要とされていないという現実を知った時でした。

 

 

 

環境をおもいっきし変えたフィリピンでの5年間がとても有効でしたね。

俺のように自分にあった支援を探すことはとても大切です。

こんなふうに書くとサポートセンター名古屋にたくさんの問い合わせの電話があるといけないので付け加えて書きます。

 

 

 

サポートセンター名古屋の支援というのは、おれが考えるに、かなり状態が悪い人向けの支援だと思います。

状態が軽い人にはかえって合わないとも思いますよ。

 

 

 

もう一度、育て直しをしているというような感じといえばいいのかな。

それと、ただいまサポートセンター名古屋は大変多くの方々からの支援の依頼を頂いていまして、スタッフ全員手がふさがっております。

 

 

 

そんなことじゃあいけないってんで、さらにスタッフを増員して支援体制を整えようとしているんだけどね。

まあ、なんだろう…

日本ではもう無理だと本人さんも保護者の方も思われて、思いっきり環境を変えますというのなら話は早いかもしれない。

 

 

 

しかし、おいらはこちらでなんとかクラスに喰らいついていっているけれど、簡単じゃないぜ。

ほんと覚悟がいるぜ。

 

 

 

その覚悟があるならば、フィリピンに来ればいいと思うよ。

じっとしていれば何も起こらず、時間が経っていくばかりだ。

ゼロはゼロのままさ。

 

 

 

いきなり海外というのは無謀すぎる。

例えば短期間海外に住んでみてやれそうだと思えば踏み出してもいいんだ。

 

 

 

まあ、俺の言いたいことはここまで。

じゃあ、学校に行きますわ。

 

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