発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 不登校、ひきこもり 死んでも勉強なんかするもんかの俺が一歩踏み出した日

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 フィリピンの高校に初登校の日 制服間に合わなかった俺 2011年

 

小、中と不登校

母親に家から追い出されて仕方なく学校にいくもひどいいじめは続く。

いじめじゃないな暴力だ。

 

 

高校は不登校の子どもを引き受ける高校に入った。

自分の名前が間違わずにかければ入学させてくれる高校。

しかし数回行って行かなくなった。

 

 

そして、ひきこもり生活が始まる。

体重3桁の巨デブ、お下劣男が狭い家で昼間っからゲームしてゴロゴロしているんだ。

 

 

 

誰だって「きぃー!!もう嫌、働くか学校行くかどっちかにしてちょうだい」

 

 

 

だよね。

でお決まりですよね。

はい、言葉の応酬。

 

 

 

「くそばばあ死ねや」

「お前が産んだんだから、俺の人生責任取れや」

「ぶっ殺すぞ、くそばばあ」

 

 

 

で敵もさることながら、応酬してきます。

はい、はい、売り言葉に買い言葉。

おなじみの家庭内暴力アワーのお時間がやってまいりました。

 

 

言葉の応酬では決着がつかないのではい、暴力。

この暴力にご注意ください。

お母さんめがけて的を外さず思いっきりテレビのリモコンを投げてきたら、速攻退却。

 

 

もう警察呼びましょう。

そうしないとですね・・・・・・

 

 

思い出します。

逃げ惑うお母さんの背中を切りつけた青年がサポートセンターで支援を受けていましたよ。

俺、その子の教育係だったんですけれどね。

 

 

 

本当毎晩、後悔していましたよ。

その話を持ち出す度に頭を壁にぶち当てていました。

切りつけられたお母さんも悲しいし痛かったでしょう。

 

 

でもね、切りつけた子どもも大変な傷を心に負っているんですよ。

暴力を出させたらだめです。

何も良いことはありません。

 

 

テーマが違ってしまいました。

ごめんなさい。

 

 

オール1。

16歳で二桁の足し算、引き算が出来なかった俺。

バカだな。 はいバカです。

 

 

そんな俺でもこころの奥深くでは、みんなが出来た勉強を俺もわかるようになりたかったと少しは思っていました。

そうなんですよ、Yもそうですよ。

 

 

 

俺たち、勉強について否定でしたよ。

でも俺に合わせて勉強を教えてもらえればもしかしたらできるんじゃないかと心の奥深くに思ってもいたんですよ。

 

 

 

そうして、俺たちはそのような丁寧に寄り添ってくれた支援のおかげで勉強をもう一度やり始めたんですよ。

 

 

ビデオは6年前かな。

俺が初めてフィリピンの高校に行った時の映像です。

当日の朝まで駄々をこねていました。

 

 

 

「やっぱり無理だ。またみんなに馬鹿にされる」

「今度いじめられたらもう俺はおしまいだ。死ぬしかないんだ」

お腹が痛くて何度も何度もトイレに駆け込んだ俺。

 

 

 

意を決して高校に乗り込んだ。

確かそん時、青木さんとフィリピン人スタッフ2名と日本人スタッフ2名。

大名行列みたいだったな。

 

 

不安だった俺は青木さんの顔を覗き込む。

爽やかな笑顔だよ、このハゲ。

なんなんだ、行くしかいな。

 

 

 

俺の登校初日、俺の顔を見てください。

心配していたことは徒労に終わった。

笑顔の俺。

 

 

今見たら泣いてしまった。

ばかヒロ。みんなから早く死んでくださいと色紙を渡されたお前。

そんなお前が笑顔で学校に行けたじゃないか。

 

 

よかった。

本当によかった。

 

 

希望はあるぞ。

ないと言っているのは周りの大人だけなんだ。

みんなから嫌われていた俺でも変われたんだから。

 

 

また明日。

 

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