発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

何が不登校・ひきこもりの俺を変えたのか?程度の悪いアスペな俺

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こんな表情見た事ないですね。とスタッフたちは話し合ったんだろうな




 

 

発達障害と診断された俺。

アスペルガー症候群ADHDを持っていると言われた俺。

 

 

小さい頃から行動や発言が変でみんなから疎まれた俺。

で、2次障害で不登校・ひきこもりになった。

おまけに家庭内暴力で家から追い出された。

 

 

一昨年小栗先生の講演会で聞いた話です。

「青年支援で必要なのは本人のやる気。」と聞きました。

それを聞いて俺は思わず膝を叩きました。

 

 

小・中不登校、いじめられてひきこもり、ゲーム依存に家庭内暴力と警察に何度もご厄介になった。

そんな俺が、劇的に変わった理由。

一言で言いますと「やる気が出た。」

これに尽きます。

 

 

 

つまり支援がうまくいくかの分かれ道は「本人にやる気をだささせることができたかどうか」なのです。

 

 

どうやって〈やる気〉をださせますか。

不登校・ひきこもり。

中には30年間ひきこもっていた人もいます。

 

 

そんな人たちにもう一度やる気をださせることをしているのが、この団体なのです。

 

 

俺の場合。

以前、支援年表のようなものをお見せしました。

あれで言いますと、俺にとっての大きな転換点は〈フィリピン〉なのです。

 

フィリピンで何があったのかは下記の記事をもう一度ご一読ください。

 

http://smilehousejapan.hatenablog.com/entry/2020/05/07/124522

 

 

中学の時。

学校を長く休んでいて、久しぶりに通い始めた頃。

クラスのみんなから色紙をもらった。

色紙の真ん中にはお墓が描かれていた。

墓標は俺の名前だった。

「早く死んでください。」BYクラス一同と書いてあった。

 

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楽しかった。生きていて良かったと初めて思えた頃。俺鼻の穴膨らましてんじゃねえよ!!

 

 

そんな経験しかなかった俺が、フィリピンで出会う人たちからアテンションをもらったんだ。

それが俺の〈やる気〉の原動力になった。

 

 

フィリピン人スタッフにはなんでも話して、相談にのってもらった。

主に日本人スタッフの悪口だ。

 

 

青木はいつも俺に厳しいとか。

吉村ばあさんは、細かすぎるとか。

 

 

フィリピン人スタッフは、そんな俺の話をいつも笑って聞いてくれていていた。

日本人スタッフから指導をされても素直に聞かなかったことがある俺です。

ところが同じ指導でも、フィリピン人スタッフから言われると進んでやった俺です。

 

 

はい、全ては青木のおっさんの計画でした。

こうしたらきっと程度の悪いアスペな俺でもちゃんと計画通り進んでいくと考えたんでしょう。

 

 

この策略者。

まんまとそれにのってしまった俺なのでした。

以上。

 

 

 

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