発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年ひきこもった私 エイジ

ビーチでエクササイズ。あと10キロやせないといけません

 

昨日テルさんが私の報告を書いてくれました。

その内容に関しては何も異議はありません。

全てその通りです。

 

 

私は30年近く自宅にひきこもっていました。

30年間誰とも会話をしてきませんでした。

私の家族は私と同じ様に会話がとても苦手なので、自宅でひきこもっていても家族との会話はほとんどありませんでした。

「風呂入れ。」「ご飯できたよ。」そのくらいでした。

 

 

30年近くひきこもる前は高校も大学も行っていましたが、いつも一人でした。

友達はいませんでした。

大学に入ったら途端にもっと一人にされた感じがして、どうすれば良いのかわからなくなりました。

 

 

中学、高校では教室内にある自分の机が私の居場所でしたから、椅子に座って寝たふりをして時間を過ごすことができました。

でも、大学には私の机や椅子がなくて、毎授業毎に教室を移動しないといけませんでした。

それがとてもつらかったです。

 

 

それ以上にお昼ご飯を食べるのがとても嫌でした。

学生食堂があることを知って、すこし期待したんです。

でも、お昼の時間に行ったらたくさんの学生さんが並んでいました。

 

 

私も並んでいたのですが、前後は仲良しグループの人たちが並んでいました。

私だけが一人ぼっちでした。

 

 

みんな楽しそうにおしゃべりしながら順番を待ってしいました。

そこに私も並んで待っているのがとても辛かったのです。

 

 

 

最寄りの駅を降りて、学校までの道のりを歩いていても、みんなは仲間がいるのに私だけが一人と感じて、そんな私をみんなは笑っているんだと想像してしまいました。

それで、不安が強くなり大学に行けなくなってしまいました。

 

 

それと大学の勉強のやり方もわからなかったですね。

 

 

大学は辞めてしまいました。

それでアルバイトにも挑戦したんです。

高齢者が多くいるバイトでしたから、他人の目は気になりませんでした。

高齢者は私には関心がなかったので、アルバイト先でも会話はありませんでした。

 

そのアルバイトも失敗したことを従業員からキツく言われて、無断欠勤をしてそのまま辞めてしまいました。

 

 

その後、なんとかしないといけないと思いましたが、何をしたら良いのか何もわからずにどんどん時間だけが経っていくだけに不安が増して行き、まったく家から出られなくなってしまいました。

 

そうして30年近く私は自宅にひきこもってしまったのです。

だれとも会話せずに、ただ自分の部屋で過ごしていました。

ひきっぱなしの布団はボロボロになり、私の寝汗が人の形になっていました。

 

 

そんな私でした。

同じ様な話を書いた記憶があります。

ごめんなさい。

 

 

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