50代男さんは一生懸命に英語の勉強をしています。
あれだけ好きだったテニスや水泳も封印して、ひたすら英語に励んでいます。
「少しは気分転換をしましょう。」と誘っても首を縦に振りません。
「僕には残された時間がないですから。来年、なんとしてでも大学に入りたい。」少し前からそんなことを言うまでになりました。
クリスマスで英語の授業がなくなりましたので、50代男さんの慰労会を青木と私の3人でしました。
50代男さんの希望で、日本料理を食べに行きました。
その道中、タクシー内での青木と50代男さんの会話です。
「あのお、私とても疲れてしまいました。慣れないんですよ。」
「慣れないとは?何に慣れないのですか」
「何もかもです。どんな店がどこにあるのかもわからない。」
「先日地図を渡しましたよね。」
「もっと詳細に、ここにはこんな店があるとかいうような地図が欲しいです。」
「インターネットで地図をダウンロードしましょうか。」
「自分でできるのでいいです。」
「食事も何を作るのか考えるのが大変で、疲れちゃったんです。」
「前のようにスタッフが作りますよ。なんの料理が食べたいですか。」
「魚でも、肉でもなんでも大丈夫です。」
「他に困ったことはありますか。」
「ないです。」
「あのう、日本に帰ることはできますか?」
「強制ではないので、いつでも帰国できます。3日後のチケットから手配できます。」
「あっそう。」
こんな会話が出ましたから、せっかくの日本料理もお通夜の席のようになってしまいました。
帰りのタクシー内での青木と50代男さんの会話です。
「日本に帰国して、それからどうしますか。」
「・・・・・・」
「前のようにひきこもった生活に戻りますか?」
「仕事をして結婚したいという希望はどうなりましたか。」
「無理、無理、無理ですよ。」
5分ほどの間、沈黙がありました。
「あの、僕に彼女ができると思いますか?」
「思うも何もできるまで努力するしかないですよ。結婚したいのですよね。」
「よろしくお願いします。」
少しの間ブツブツ独り言を言っていました。
「どうして、こんなになった。」
「ダメだな。寂しい。寂しい。」
バックミラーで、彼を見ましたら泣いています。
彼が泣く姿を見たのは初めてです。
6年間支援をしている青木でも初めて見るとのことでした。
突然私の頭の中に、嫌な記憶が蘇りました。
30年前の記憶。
大学院で、私の失敗を他の研究生たちが指をさして叱責するのです。
担当教授が大きな声で、「企業への推薦はできない。」と叫ぶのです。
母の悲しそうな横顔。
毎日続く同じ日々。
手が震えてきました。
誰かが私の心臓を強く握り潰そうとしています。
「東大さん、ここは日本じゃないよ。フィリピンはセブ市2019年12月24日午後2時15分。あなたは不登校やひきこもりで希望を失った人たちの支援を毎日しています。」
「場面緘黙の少年は料理学校を卒業して、今就職の準備をしています。ご両親が涙を流して喜んでいました。」
「ブンさんは。大統領は。ヒロさんは。大バカ野郎さんは、・・・・・・」
「あなたがいたから彼らは希望を掴んだんです。」
「あなたの人生には意味があったんだ。」
「意味があった。」その言葉が胸に突き刺さりました。
「自分は生きていてもいいんだ。まだ誰かのお役に立てるから。」
なんどもなんどもその言葉を繰り返しました。
部屋に帰って、一人で静かに心を落ち着けていました。
私と彼の涙。
共に30年間ひきこもってしまった人の悲しみなのです。
しかし、もう悲しみのまま終わらせることはありません。
涙をふいて、また明日から私は支援をします。
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