「島流し」を明日に控えて荷物の確認です。さようなら日本。20歳
「長すぎる!!」とスタッフに言われました。
といいましても、問題が問題なだけに数回で書きつくすような内容ではないかと思いますがね。
といっても、書き続けているとさすがに疲れてきます。
俺が支援をしたわけではないけれど、やっぱり一緒にいた俺自身が「この人大変だな。」って感じましたからね。
もっとも大変だったはずの俺が言うんだから、ほんと大変な支援でしたね。
結論からいいます。
あれからサポートセンターはフィリピンで4年の支援をして、青木さんは回復と判断しました。
そして、青木さんは、Aさんを日本に連れて帰りました。
まず、日本でちゃんとやっていけるか様子を見るためです。
日本では、工場に就職されました。
そして1年以内に結婚をされました。
フィリピン滞在3年目から日本に帰国して、就職活動をし、また婚活にも励みました。
その陰には、ご両親の涙ぐましい尽力がありました。
すべて、青木さんとご両親の徹底した話し合いの元に、準備されたことです。
結婚後、すぐに子どもを授かりました。
そして、今現在。
幸せな家庭を築かれています。
問題はないかって?
はい、警察沙汰になるようなストーカー行為などはしなくなりました。
しかし、少し問題はあります。
でも、「まあそのくらいならいいでしょう。」と受け止めている青木さんとご両親でした。
頻繁にご両親と連絡を取り合っていた青木さんですが、1年、2年と経つうちに、落ち着いたことを確認しましたので、サポートセンターからは、近況の確認などはしなくなっています。
さてと。
どうやって、Aさんと関わっていったか。
このブログは支援者の人たちも読んでくださっているそうです。
ありがたいことです。
どうやったのかを知りたいでしょうね。
しかし、詳細を書きますと1ヶ月間毎日書かないと無理です。
ですから、おいらは箇条書きのような感じで、さわりをちらっと書くことにしました。
性的逸脱行動での支援依頼はAさんだけではなく、そのあともありました。
そして、みなさんなんとかその後も警察にお世話にならずにすんでいます。
全ての人に同じ方法で支援をし続けています。
そして回復の成果が出ています。
1番いいたいことは、リアルな体験の中で学び直すことが1番確実な方法ということです。
おいらはすごく疑問だった。
日本人女性のストーカーをしていたAさんは、フィリピン人の綺麗な女性を好きになって、日本の女性のことは何も思わなくなったらしい。
でも、それはストーカーの対象を日本人からフィリピン人に変えただけなはずだ。
意味がないと思った。
しかし、それは青木さんにしてみれば、支援の方法だった。
ストーカーのような感じで好きになったフィリピン人女性は、青木さんのスタッフだ。
彼女は支援経験が豊富でもあった。
つまり、青木さんのフィールドにAさんは迷いこんだんだ。
青木さんが作った支援環境にAさんが入ったんだ。
そこには、ご両親、警察。
そして、Aさんの過去もない。
あるのは、青木さんたちと、Aさんだけの世界。
つまり、両者が対峙したというわけだ。
今になって、そう聞かされて、「すげえ。」と驚く俺です。
あともうちょっと書きたいので、明日で終わりにします。
ごめんなさい。
お付き合いください。
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