発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

東大卒30年間のひきこもり今57歳。でも希望を持っています。東大

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   2013年52歳でフィリピンの大学に入学。前にいるのは20歳前後の学生たち。

 

 

今の僕は物事を客観的に見ることができ始めています。

どこまでそれが増えて行くのかはわかりませんが。

 

 

それで考えることは昔の自分と今の自分の違いです。

もし、大学院の研究室がそんなにその分野で注目されていなかったならばどうだっただろうか。

 

 

入社した会社で配属された部署にいる人たちがとても優しかったならば。

 

 

結婚は世話好きな親戚が勧めてくれた人と結婚し、一男一女を設ける。

子どもが小さい頃は、動物園や、東京ディズニーランドに頑張って連れて行っていただろう。

 

 

子どもも成長し、今なら30代前後になっているはずだ。

2人の子どもたちはすでに家族を持っていて、僕には孫もいる。

たまの休日には娘や息子たちが僕の家に孫たちを連れて会いにきてくれる。

 

 

僕は今57歳。

子育てと仕事をやり遂げて、悠悠自適な生活を送っているはずだ。

 

 

そんな人生を送っているかもしれない。

 

 

さて、これからの僕の人生。

僕が残りの時間で作り上げて行く人生。

正直悪くはないと思っている。

 

 

今まで書いてきた人生と比べても、今から作り出す人生の方が僕には嬉しい。

なぜだろう。

 

 

本当の自分に巡り会えた気がするから。

何も知らずに、ただ目の前に敷かれたレールの上をゴール目指して進んで行く人生。

そんな人生は送りたくもない。

 

 

今のこの人生は僕が僕の手で掴み取ったものだ。

そしてこれからも、主人公の僕が舵を切るのだ。

 

 

東大を卒業したのに。

しかも大学院まで終了したのに。

30年間ひきこもった。

 

 

そして今57歳。

 

 

多くの人は「かわいそうに」と思ってくださる。

もちろん同情してくださるのだ。

 

 

しかし、僕に同情は無用なのです。

今、この時、実はとても充実しています。

生かされていることに感謝するとともに、残りの人生を悔いなく過ごしていくぞ。

 

 

さあ、これから、僕の人生を楽しんでやる。

恋愛だってバンバンするぞ!!

失恋したって「次行け!!次だ!!」

 

 

そんな気持ちを持ち続けているのです。

 

 

 

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努力は決して裏切らない 東大

 

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          5年前の痩せていたヒロさん。

 

 

ヒロさんはとても忙しくしていて、ブログを書くことさえできなくなっています。

 

 

彼の願いはブログを止めないということなので、僕が変わりに書いているということです。

 

 

今日は彼のことを少し書きたいです。

 

 

ヒロさんと出会ったのは5年前です。

僕が初めてフィリピンに行った時、彼が色々と僕のお世話をしてくれたのです。

 

 

後でヒロさんが状況の良くないアスペルガーだということを聞きました。

 

 

それを聞いてもにわかには信じられないほど、色々と丁寧に僕のお世話をしてくれたのです。

 

 

しかし、彼との共同生活が始まってからは、彼の苦悩をまじかに見ることになります。

 

 

と言いましても、正直僕は自分のことで頭がいっぱいでそんなにヒロさんのことはよく覚えていないのです。

 

 

 

 そんな中でも、特に印象が強かったのが、「数学で泣いた話」です。

 

 

彼も書いていますが、小、中と不登校でした。

 

 

勉強に強い苦手意識を持っていたヒロさんですが、お母様は懇切丁寧にヒロさんに手とり足取りで、数学を教えていきました。

 

 

しかし、彼の言葉を借りれば「何がわからないのかさえわからなかった。」とのことです。

 

 

そんなヒロさんが因数分解をお母様から教えてもらっていた時、わからない度合いがいきなり上がったそうです。

 

 

それで、とうとう厳しく教えていたお母様に対しての暴力がこの時に始まったと話してくれました。

 

 

何もかもがうまく行かない中で、勉強を教えてもらえば、教えてもらうほどに、イライラがましていき、とうとう、我慢できなくなったのです。

 

 

 

因数分解」という言葉は、できない自分を思い出させる嫌な言葉だと彼はよく言っていました。

独り言のようによく話していました。

 

 

そんなヒロさんがある日の大学の数学の試験で満点をとったのです。

その日、僕が通っている大学から自宅に帰るなり「東大さん、今時間ありますか」と唐突に聞いてきたヒロさんです。

 

 

そして、いきなり「これ。みてください」と一枚の紙をぼくの目の前に突き出しました。

そこには100いう数字と彼の名前が書かれていました。

 

 

 

答案用紙です。

答案用紙から視線をヒロさんに向けると彼は泣いていました。

 

 

「努力は決して裏切らないんだ!!」

「俺はバカじゃないんだ。やれば出来る子どもなんだよ。」

「やったんだ。俺はやった。ゴミでもクズでもない。」

「俺は、俺だ!!!!」

 

 

 

と言葉を吐き捨てると、拳で机をなんどもなんども叩いていました。

 

 

そして、外に走りだしていきました。

その日彼が部屋に帰ってきたのは、日付が変わってからでした。

 

 

「頭の中が、いっぱいで、歩き続けないと、発狂しそうなので、落ち着くまで帰れません。」と彼がちゃんとスタッフにメールを送ったことを書いておきます。

 

 

「努力は決して裏切らない」と叫んで泣いたヒロさんの情熱に圧倒された僕です。

 

 

「僕もあんなふうに泣けるほど感動してみたい。」

その時、彼の姿に触れた僕が、その長い眠りから目覚めた気がします。

 

 

あの光景は今でも忘れられません。

今、あなたにお礼を言いたいです。

「ありがとうございます。ヒロさん」

 

 

 

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変わることに不安を覚えていた僕。東大

 

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 5年前フィリピンのホテルにチッエクイン。キョトンとしてしている僕。

 

 

特訓。

僕はそう感じていました。

 

 

30年ひきこもっていた僕にはそれはとても過酷なものでした。

年齢は50代でしたが、中身は小学生レベルでした。

 

 

それを実年齢まで引き上げるのです。

期間は5年程度。

 

 

それ以前に、まずは気持ちを引き上げないといけません。

つまり、やる気を出すようにさせるのです。

 

 

30年間ひきこもっていた僕です。

30年間、家族以外誰ともあっていない僕です。

それほど不安が強くなっていた僕の気持ちを変える。

 

 

それも色々なことにチャレンジするまでにあげるのです。

30年間ですよ。

30年間。

 

 

そんな人をわずか5年でなんとかするなんて、僕には考えられませんね。

 

 

「どうして支援期間を10年とかに設定しないのですか」と青木に聞きました。

 

 

「当事者が10年間も我慢できないでしょう。」

「長くみても、5年で当事者にはっきりと変わったと思ってもらわないといけないんですよ。」

 

 

「そんなものなのですね。」

 

 

「では、僕はサポートセンターから見て、当初の予定どうりだったんでしょうか。」

 

「計画以上の回復をもたらしていると僕たちは見ています。」

 

 

「計画と結果の1番の因果関係はなんでしょうか。」

「それは色々な要因がありますね。」

「あなたのように学ぶ力がとてもあることは、回復に際して大きな効果がありましたね。」

 

 

 

「変わろうと決断することは、当事者にとってみれば、とても難しいことです。」

 

 

「散々、希望を無くしてきた人です。それこそ気力をふり絞って、もう一度頑張ろうと決断しても、結果がダメだったらと考えてしまうのです。」

 

 

「もう一度、頑張ってもダメだったということがはっきりすれば、それは当事者にとって死刑宣告に近いものがあるんじゃないですか。」

 

 

「だったら、やらないという選択にしたら、いつかはなんとかなるという希望を持ち続けることができるじゃないですか。」

 

 

「だから、僕たちが必死に環境を調整しても、やらないという選択をしてしまうのですよ。」

 

 

青木のこの見方は、とてもよくわかりました。

というより、僕自身がそうだったのです。

やらないで良いという理由をいつも考えていた僕です。

 

 

 

フィリピンに移住を決意しても、なかなか素直に周りのスタッフのアドバイスに耳を傾けなかった僕です。

 

 

そんな僕が変わっていくのです。

そのことを書いていきたいです。

その先に僕の婚活が待っているのです。

 

 

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ひきこもり30年元東大生の婚活日誌1 東大

 

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 フィリピン到着早々30年間ひきこもった僕が孤児院訪問です2013年

 

 

僕と私。

やはり昔のことを思い出して書いたりするのですから、「僕」を使った方がいいですね。

 

 

僕がサポートセンターで教えてもらったことは数多くあります。

 

 

その中で、特に印象に残っているのは「人生は楽しんでいいんだ。」ということです。

別に「人生を楽しんではいけない。」などとは思ってはいませんでした。

 

 

けれど、「人生を楽しむ。」ということまで考えたこともありませんでした。

 

 

 

どういうことかというと、「みんなが進むままに自分もその進路を進んでいった。」ということです。

 

 

 

たとえば、「この成績なら◯◯高校に進学できますよ。」と担任の先生に言われたまま、◯◯高校に進学しました。

 

 

「この成績なら『東大』に受かります。」と言われて東大に進学しました。

何か夢があったわけではありません。

 

 

みんなが就職するものなので、ぼくも就職と思っていました。

 

 

当時の東大生の人気企業といえば「東レ」「味の素」「旭化成」でしたね。

先輩の多くがこれらの企業に入っていましたので、僕も同じように「どれかに入れば良いか。」と考えていました。

 

 

「働いて、結婚して、家族を持つ。」

みんながそうするので、僕もそうするのだと思ってはいましたが、実感が湧かなかったです。

 

 

というより(なんだか大変だな。)言い換えれば(めんどくさいな。)とも感じていました。

何に対してめんどくさいかといえば、会社でいえば「上司との付き合い」です。

 

 

どうして「上司との付き合いがめんどくさい」と感じたのかと言いますと、今考えますと、その当時は付き合い方が全くわからなかったからです。

 

 

数学や物理の問題を解くのとは違い、僕にはその問題「上司との付き合い方」をどのようにして解いていくのかが全くもってわからなかったのです。

 

 

また、その問題に対して、誰に聞けば良いのかもわかりませんでした。

同じように「恋愛」や「結婚」もどのようにすれば良いのか、何もわかりませんでした。

 

 

当時の僕は「東大生」という肩書きだけの人間でした。

これといった趣味もありません。

ただ、勉強していることが唯一の楽しみでした。

 

 

 

そして30年間のひきこもり。

30年たち、青木と出会った時の僕は、世間の常識がわからないまま、50代を迎えていた男でした。

 

 

それから青木から、僕への特訓が始まるのです。

 

 

6年後の今、その特訓の成果が少しずつ現れてきたと感じる今日この頃です。

 

 

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わずか0.01%の人たちへの寄り添い 東大

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        5年間お世話になった人たちと 

 

 

私はひきこもっていた。

30年間近く。

 

 

わけもなくひきこもる人は病気が原因でない限りいない。

必ずひきこもった人それぞれに理由があるはずだ。

 

 

理由といってもそれはたった1つ。

「自信がない。」

言い換えれば「不安が強い。」となる。

 

 

もちろん今話題に取り上げているのは「社会的ひきこもり」というカテゴリーです。

 

 

病気が原因でひきこもっいる人たちもみえます。

それは今になって大きく増加したものではなく、昔から一定数の人たちがいるのです。

 

 

今話題に取り上げている「社会的ひきこもり」は大きな社会問題になっています。

どうして大きな社会問題になっているのか。

 

 

それは、対策が誰にもわからないからです。

国も費用をつけて、この問題に様々な角度から取り組んでいます。

しかし、全くといっていいほど、効果がないのです。

 

 

民間の団体でもそれは同じです。

効果があまりないのです。

数十年と言う月日の中でも効果が多くでていない。

 

 

その理由は、またいつか別の機会に書いてみます。

 

 

では、「支援の効果が出ていない。」という風潮が世間に流布されますとつぎのような考えが出てきます。

 

 

「ひきこもることは必要なこと。」

または、「甘えを駆逐する必要がある。」です。

 

 

今インターネットの世界を見てみますと、その2つの考え方が広まっているように感じます。

 

 

しかし、それを目にした当事者はどのように思うのか。

私はそのことを考えるのがとても辛いです。

 

 

どちらの意見にしても、実情から大きく乖離しているのですから。

 

 

そのような現実に私は何ができるのだろうかと考えます。

恥ずかしい話ですが、考えるだけで終わってしまいます。

 

 

私には何かを生み出すだけの情熱はないのです。

そんな時に、あの男を刺激したらどうななるだろうかと思います。

 

 

あの男なら、この今の風潮に風穴を開けてくれるのではないか。

 

 

しかし、彼は言いました。

 

100万人のひきこもりの人たちがいると言われています。

100万人の1%は1万人です。

100万人の0.01%は100人です。

 

 

あと僕は大きな病気をしない限り、10年間は支援ができると思います。

1年間に新規でお引き受けする人が10人が限度です。

ですから、僕が今後、寄り添える人たちは100人と言う計算になります。

 

 

つまり現在ひきこもっている100万人の人の0.01%に当たる人数だけしか寄り添えない。

 

 

それも朝から夜まで、1年365日休むことはできない。

そんな状況の中、残りの99.99%の人たちのことを考える余裕などないです。

 

 

インターネットや新聞、テレビでさまざまな記事を目にして気持ちが揺らぐことはおすすめしません。

 そのような記事を目にする必要などないでしょう。

 

 

と僕に話してくれました

 

 

その話を聞いて、現実がわかっていなかったのは私のほうだと思いました。

 

 

私にできる精一杯のことは、このブログでの発信しかありません。

 

 

そして私の夢を実現させることもまた、多くの人への励ましだと改めて思わされました。

 

 

婚活に集中します。

ではまた明日。

 

 

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生産性のない僕は抹殺される 東大

 

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今まで30年間家の中で両親と過ごしていました。

途中父が亡くなり、母と子2人の世界になりました。

 

 

ひきこもり始めた時には、女性のことをまだ考えていました。

 

 

しかしひきこもりがだんだんと長期になるにつれて、異性に対する気持ちを諦めなければと思うようになりました。

そしていつしか、人を愛するということを諦めました。

 

 

30年間誰とも会わずにいた人間です。

30年間の空白があるのです。

今の私は、30年間の時空を飛び越えてやって来た人間といってもオーバではありません。

 

 

携帯電話を持っていませんでした。

両親とも携帯電話を持っていませんでしたので、青木と出会った時にはじめて携帯電話というものを目にしました。

 

 

それはそれは新鮮でした。

実際に手にとって見て見たい。

青木の気前の良い話と同じくらい、携帯電話のことが気になっていました。

 

しかし、すぐに不安な気持ちが大きくなって行きました。

携帯電話1つで、あまりの驚きで、自分が果たしてこの先この社会に戻れるのだろうかという不安を感じたのです。

 

 

家にはテレビや新聞がありませんでした。

母の僕への配慮からのことです。

テレビや新聞を見て、切り離した世界のことを僕がまた思い出すことを不安がったのでしょう。

 

 

ですから、そんな僕が異性のことを考える余裕などありませんでした。

 

 

 

僕には何も「希望」がありませんでした。

できたら今すぐにでもこの命を取り去ってほしいと願っていました。

生きることがとても辛くて仕方がなかったのです。

 

 

 

毎朝目覚めることになんの意味があるのか。

食事を取ることが無駄に思えて食も細くなって行きました。

 

 

でも死ぬことさえできないのです。

怖いのです。

 

 

 

50歳を超えた時、突然僕の世界にある男が侵入して来ました。

知らない男からハガキが僕の家に届けられました。

それでパニックになった僕です。

 

 

きっといつか、その男が、僕の家にやってくる。

 

 

「怠けているんじゃないよ。」

「お前は人間のクズだ。」

「生きている価値などお前にはないんだ。」

 

 

そんな事を言いながら、僕の家にやってくる。

不安がだんだんと大きくなって行きました。

とにかくこの男を止めなければいけない。

 

 

この頃毎日の様に怖い夢を見ました。

 

 

日本政府が管轄する軍隊が日本中を周り生産性のない人間を収監しているのです。

生産性のない人間は生きている価値がないので、抹殺することを決めた日本政府です。

 

 

この「発達障害な僕たちから」で記事を書いている誰かが、同じ様なことを書いていました。

 

 

やはりみんなひきこもっている自分を責めているのですね。

 

 

直接会ってはっきりと、「ハガキを勝手に送るのをやめるんだ。」と言うことにしました

 

 

青木に直接会うことを僕は決めました。

5年前の出来事です。

 

 

 

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程度の悪いアスペルガーからの卒業 ヒロ

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僕は研修ということで、日本に戻り古巣のサポートセンターでお世話になっています。

 

 

今の日本はなんですか???

人が暑さでお亡くなりになるなんて!!

なんとかしてください日本政府。

 

 

まあ忙しいですね。

それも自分にとってのプラスになりますので頑張っています。

 

 

今の自分を採点するなら、上司から言われたことはその通りにできると思っています。

つまりその点においては自信を持っているということです。

 

 

1、言われてもできない

 

2、言われたことはできる

 

3、言われる前にやってしまう

 

 

今は2番目の段階なのです。

3番目の「言われる前に察知してやれる」ようにと特訓をしております。

 

 

僕の場合はどうしてもコミニュケーションにおいて、人とうまくやっていけないのです。

特に女性とのコミニュケーションはほぼダメですね。

 

 

ですから、ダメなところは補強しながら、ひたすら、得意な分野を伸ばしているという次第です。

 

 

コミニュケーションはダメ。

仕事もできない。

 

 

となると、この社会で生きて行くことがとても難しくなります。

 

 

ましてや結婚なんて夢のまた夢。

一生1人で孤独に静かに生きて行くしかないのでしょうね。

 

 

そんなのは絶対に嫌だ。

「俺はできるんだ。」という信念のもと毎日、頑張っております。

 

 

さて、前回僕はコミニュケーションについて「4割バッターを目指せ」という文章を書きました。

 

 

サポートセンターによれば、今は2割バッターだそうです。

それを「4割まで上げろ。」ということなのです。

 

 

 

実はすでにコミニュケーション界での4割バッターになっているのです。

えええええ??

何んだと!!嘘をいうんじゃねえぞ、てめえ!!!

 

 

いえいえ、嘘なんてついておりません。

信じてください。

僕自身が4割バッターだと言っているわけではないんですよ。

 

 

周りのみなさんがすでにヒロさんは4割バッターだと言ってくださっているのです。

 

 

ただ、日本のサポートセンターさんだけが、

 

未だにチミは2割バッターだ。

えっ、そこのところどう思っているんだね。

君、13年間だよ。

 

 

13年間家族のような支援をしてきて、このザマか?

情けないと思わないのかね。

まあね程度の悪い君だからこそ、この程度なんだろうね。

 

 

違う人を支援した方がよかったかな。

大きな後悔だよ。

君という存在は!!

 

 

ハハハハハ。

ご心配なく、すでに私は程度の悪いアスペルガーを卒業しているのです。

それを皆様に明日お知らせいたしましょう。

 

 

 

 

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