発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

失敗して成長するしか方法がない。 程度の悪いアスぺな俺 ヒロ

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いろいろなことをやって失敗した。

失敗が続くと落ち込む。

 

 

さらに失敗が続くとご飯が食べられななったり、眠ることができなくなったりした。

 

 

そのうちにやっぱり自分は生きていてはダメなんじゃないかと思い始めた。

 

 

そんな考えが自分の中に出てきたら、たちまち周りのスタッフやブログを読み続けている人たちから励ましが入った。

 

 

人の優しさを受け入れることはできるまでには回復している俺。

だからたくさんの人たちからの優しさを受け入れて、俺はもう一度がんばろうと決心した。

 

 

「いろんなことをやってみると、できないことがわかってくる。」とスタッフが俺に言った。

 

 

「こんなことができないんだ。」が自分でわからないと成長は望めない。

だから失敗しないとだめなんだ。

 

 

 

でもずーっと失敗できるわけじゃあない。

社会に出てこんな失敗を続けていたら、「はいあしたから出勤しなくても良いよ。」となってしまう。

 

 

失敗は社会に出る前に済ませておかないといけない。

 

 

それでも社会に出て落ち込むことはある。

「必要以上に落ち込むことを防ぐ工夫をしなさい。」とスタッフからアドバイスを受けたんだ。

 

 

「映画やコンサートに行く。」「職場の同僚に話を聞いてもらう。」

などだ。

 

 

さて、今回の騒動で、少しは成長した俺だ。

立ち止まらずに、先を急ぎたい。

 

 

新しい俺のポジションは飲食関係と決まった。

以前俺は数ヶ月サポートセンターが運営する日本食レストランで働いた経験があるんだ。

 

 

そこでの俺の状況について詳細な報告と確認がスタッフから俺にあった。

 

 

要は飲食店での働きぶりはとても良かったとのこと。

俺の良い点もいろいろ出た。

 

 

言われたこと、理解したことはその通りにやろうとする俺らしい。

決して、違うことはしない。

 

 

しかし、それは裏を返せば、間違って理解したこともそのまま、何も考えずにやってしまうということ。

 

 

飲食関係でも、その場に応じて臨機応変に対処しないといけないことがあるらしい。

そういった対処ができるようになること。

 

 

「柔軟な考えで店舗運営を任せられるようになること。」

これはスタッフ間での共有事項らしい。

 

 

さて、良い思い出がある飲食店での働き。

やれそうな気がするんだ。

最近のような失敗はそんなにないと思うんだ。

 

 

来週から俺の任務は始まります。

またご報告いたしますので、どうぞこのブログをご贔屓にお願いいたします。

 

 

ではまた明日。

 

 

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程度の悪いアスペな俺 スマイルは0円。 ヒロ

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失敗続きで、嫌になって暴れてしまった俺です。

暴れたと言っても、人を殴ったり物を壊したりしたわけではない。

 

 

誰かを傷つけるような言葉を発したわけでもない。

 

 

自分を罵るような言葉を言っただけだ。

しかし、それですらよくないことなんだ。

でもがまんできなかった。

 

 

自分の心の中にあるいろいろな思いをスタッフにぶちまけたんだ。

本当はもっと冷静に自分が抱えている問題をスタッフの皆さんと共有できればよかったんだろうな。

 

 

しかし、そんなことは今のおれでは無理です。

 

 

 

徹底的に色々とスタッフ達と話してみてわかったこと。

今の自分の状況を理解させてもらった。

そしてこれから進むべき方向も教えてもらった。

 

 

サポートセンターのスタッフ達がおこなっている支援。

これはもっとも難しい作業なんだ。

だって、支援している人たちは平気で予定を変更する。

 

 

本心を言わずに嘘をつくこともよくある。

中には大変な出来事につながる嘘もある。

青木さんは支援者に嘘をつかれて警察に捕まったことがある。

 

 

俺だけではないですよ。

そういう嘘をつく人たちは。

最悪なできごとは誘拐犯に仕立て上げられたことだ。

 

 

詳細は書けないけれど、その現場においらいましたからね。

日本大使館の職員の方が、深々と頭を下げて青木さんに謝罪していたからな。

 

 

あれはおいらにとっちゃ忘れられない出来事だ。

ハゲはすでに忘れているだろうな。

今が大切な人だから。

 

 

 そんなことをされても、支援している人を守らなければいけないんだ。

支援者は自分の人生を全て支援に捧げなけれはならない。

過酷だよ。

 

 

この支援は下手をすると人生をめちゃくちゃにされてしまう可能性だってあるんだから。

 

 

そんな支援の現場に俺みたいな程度の悪いアスペルガーがうまくなじめることなんか出来はしない。

アスペルガーなんだから、直接人の支援なんかできないんだよ。

 

 

でも俺にだってできることはあるんだ。

程度の悪いアスペルガーの俺にだってできることはある。

そのことで社会参加できるんだ。

 

 

俺はそこそこみんなとうまくやっていければそれで良いと願っている。

 

 

結婚して子どもも授かって、その子ども達が希望すれば大学に行かせてやりたい。

それはとても難しいことだとは思うれけれど、良くできた女性と一緒になれば可能なことだ。

 

 

俺は休みの日には子どもと公園でボール蹴りなんかして過ごす。

ディズニーランドなんかには連れて行ってやれないかもしれないな。

 

 

でも、青木さんが言っていたんだ。

 

 

子どもが一番望んでいることは、両親の笑顔だって。

ディズーニーランドよりもお父さん、お母さんの笑顔だって。

 

 

それなら俺にだってできると思う。

マクドナルドじゃないけれど、スマイルは0円だからな。

 

 

1日、1日、頑張って生きていきます。

そのことがまた俺みたいにどうにもならんと思われている人への希望となるんだから。

 

 

みなさん、いつもありがとうございます。

 

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程度の悪いアスペルガーな俺 28歳にして覚醒 ヒロ

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俺はインターナーショナルハイスクールを卒業した。

そして大学に進み卒業した。

7年間という時間を学校にささげた感じだ。

 

 

その7年間での目標は2つだった。

 

1、大学を卒業すること

 

2、友達をつくること

 

 

そしてその目標は達成できた

 

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俺は変わった。

日本にいた頃、俺の唯一の友達は警察官だった。

いつも俺の話を親身に長時間聞いてくれた。

 

 

味気ないスチール机にクッションが効いていない椅子に座りながら何時間も同じ話をあきもせず聞いてくれた。

 

 

しかし「ヒロさん、これ以上になると君の将来がだいなしになってしまうから。」が最後の会話だった。

 

 

ある事件がきっかけとなりお友達関係は解消された。

俺は日本から出なければならなかった。

 

 

アメリカのニューョークとかロンドンにして欲しいとわけのわからないことを言っていた俺だ。

 

 

それから8年が過ぎたんだ。

友達ができたとか大学を卒業できた喜びは、たった数ヶ月という時間が過ぎてほとんど忘れてしまった俺。

 

 

IQ70でオール1で小、中と不登校の人間が海外の大学まで卒業するなんてありえない。

ありえないことを成し遂げた俺だ。

 

 

死にもの狂いで頑張ったもんな。

正直いうと何度も、何度も諦めて日本に帰りたいと思ったんだ。

 

 

しかし、俺の家族は俺を怖がり行方不明となってしまった。

引越しをして所在地不明となったんだ。

たまに青木さんにメールを送ってくるだけとなった。

 

 

ひどい親たちだなんて思わないでくれ。

俺が、家族にしたひどい仕打ちを思えば当然のことだ。

 

 

帰る場所がないということは今考えれば俺にとってとても良い環境だったと思う。

学校に行き続けるのは大変なストレスだった。

しかし、俺にはそれしか選択肢がなかったから。

 

 

 

今は自分の情けない現実を突きつけられて、驚きと落胆と不安に悩まされている。

 

 

ある部分はとても変わった俺だ。

しかし、あの頃と何も変わっていない俺もいる。

 

 

今はそのことが頭の多くを占めるんだ。

もちろん7年間社会的スキルを学んでいれば今頃は!!と考えたけれど。

できなかったんだ。

 

 

あれもこれもはできはしない。

そして、今改めて社会的スキルを学び始めた俺だ。

それにしてももう直ぐ30歳になる俺はやはり悲しいんだ。

 

 

社会にいる30歳と俺はかなり離されているから。

大きな野望なんか何もない。

なんとかそこそこ周りの人とうまくやっていきたいだけなんだ。

 

 

それすら、程度の悪いアスペルガーな僕にはとても遠いゴールなんです。

でもやるしかない。

 

 

もう一度そのゴール目指して、一歩ずつ前へ前へ進み続けるんだ。

 

 

 

 

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程度の悪いアスペルガー、人生は学習の日々 ヒロ

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本当にいろいろな出来事があったおれの人生。

ありすぎだ!!

 

 

しかし、なんとか刑務所に入らずに、ひきこもらずに毎日を過ごすことができている。

 

 

それもこれもみんなサポートセンターのスタッフたちのおかげだと思っています。

昔のことを思い出すと、感謝の気持ちが出てきます。

 

 

しかし、忘れてしまいます。

昔のこと。

よくしてもらったこと。

 

 

僕は暴力性をなくすためにインターナショナルハイスクールに行った。

 

 

学校生活を月曜日から土曜日まで送ることで、生活リズムが整った。

そして、社会的スキルを学んでいった。

 

 

歯を磨くこととか、朝起きたら顔を洗う。

「おはようごさいます。」の挨拶。

髭を剃って、鏡で顔を見て、鼻毛チェック、目やにチェック。

 

 

ズボンやカッターは汚れてないかチェック。

靴は汚れていないか?

カバンがパンパンになっていないか。

 

 

うるさいほどチェックの嵐。

 

 

そんなことは言葉で言ったって絶対ダメなんだ。

ちゃんと集団に所属することで、他者からの視線を意識して初めて、身につくこと。

 

 

俺はサポートセンターから、いやという程言われてなんとか身につけたんだ。

 

 

スタッフが言葉でどれだけ言っても身につきはしない。

学校に行って、女生徒から「ヒロさんいい匂い。香水は何をつけているの?」

そう言われた時のことをよく覚えている。

 

 

スタッフがこの香りが良いと言って、購入してくれて、俺に香水のつけ方を教えてくれたんだ。

 

 

自分で選んだとしたら、強烈な香りの香水を選んで、頭のてっぺんから、香水をじゃぶじゃぶふりかけていただろうな。

 

 

最悪だ。

そしてそのことがおかしいなんて気づかない。

誤学習のままなんだろうな。

 

 

人生は学習の日々。

俺たち程度の悪いアスペルガーは自主的に学習することなんてできやしない。

1人だと、誤学習してしまいがちだ。

 

 

今まで書いてきた通り、認知の歪みが激しい俺。

その状況から正しい状況に導いてくれる人が必要だ。

 

 

混乱しても落ち着かせてもらい、また元の位置に立たせてもらい、再び前に出る。

人生は生きている以上、前に進むしかないんだ。

 

 

失敗しても前に進むよ。

また落ち込むことがあって悪態ついたらごめんなさい。

頑張りますんでよろしくお願いします。

 

 

今は落ち着いています。

たくさんの人たちの優しさ、いつもながらありがとうございます。

 

 

 

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程度の悪いアスペルガー簡単に暴力性はなくならない ヒロ

 

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でも、どうかしている。

俺はほんと、おかしな人間だ。

 

 

自分でインターナショナルに行きたいとスタッフに懇願したんだ。

 

 

それを忘れて、「高校に行かずに社会的なスキルの練習に当てたら、もっと今よりよくなっていたのに、行かせたスタッフたちが悪い。」と批判した。

 

 

頭がおかしいんだ。

認知の歪みが半端ない。

 

 

まあ、俺だけではないんだ。

当事者は多かれ、少なかれ、俺みたいな状況だから。

 

 

それで、言った、言わないとなってはいけないので、当事者に自覚を持ってもらうために誓約書などを書いてもらったり、ICレコーダーに録音をする。

 

 

俺も今回、スタッフから8年前に俺が書いた誓約書を見せてもらって、俺の勘違いだということがわかったんだ。

 

 

このブログの読者は信じられないと思うかもしれないが、これが程度の悪いアスペルガーたちの真実だ。

 

 

俺はいかれている。

 

 

高校に行ったのも、他者とつながるためだったんだ。

他者に対して攻撃的な俺に残された方法は、それしかなかったんだ。

 

 

そりゃあ、高校生活を楽しく過ごせたら俺の攻撃的な性格も変わるはずだ。

 

 

そう考えた、スタッフたちは天才だと思う。

そして、スタッフたちが考えたように、俺の攻撃性は消えた。

 

 

もちろん消えるまでに3年くらいはかかった。

突然消えたわけではなく、徐々に攻撃性が低くなり、他者を思うようになっていったんだ。

 

 

 

正直に言う。

ハゲを殴ったんだ。

ボコボコにしてやった。

 

 

確か高校3年時だ。

殴った理由?

ムカついたから。

ただそれだけの理由。

 

 

俺が確か、嘘をついたんだよ。

買い物を頼まれて、お釣りをちょろまかした。

 

 

スタッフが清算をしてくだいと言っていたけれど、ばれたくないのでそのうちにと言ったと記憶している。

 

 

数日たっても清算をしないので、ハゲが俺の住んでいる家にきた時に、「清算ができない理由があるの?」と聞いたんだ。

優しく聞いたさ、ハゲは基本優しい人種だから。

 

 

三度目の問いかけの時、「はい、はい、清算すればいいんだろ。」と大きな声で暴言を吐いた。

もう一度、同じ言葉を今度は力いっぱいにでかい声で、絶叫した。

 

 

「ヒロさん、近所迷惑だよ。もっと声のボリュームを下げようよ。ボリューム2にしようよ。」

「うるせえんだよ、てめえ。いちいち、人に指図しやがって。お前は何様だ。」

 

 

そう言い終わらないうちに、俺は椅子を振りかざして、ハゲに投げつけた。

それが戦闘合図だった。

 

 

俺はハゲを渾身の力で殴った。

椅子が命中したハゲはその場にうずくまった。

拳を何度も何度もハゲめがけて打ち下ろした。

 

 

「死ねよ、お前は死ね。生きていてはいけないんだ。頼むから死んでくれ。」

泣きながら俺はハゲを殴りつけた。

「ヒロさん、落ち着きなさい。」

 

 

「ヒロさん、落ち着かないと警察を呼ばなければならなくなるから、やめなさい。」

 

 

でも俺はやめなかった。

そして、俺は警察署に連行された。

7年前の出来事。

 

 

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暴力的で程度の悪いアスペルガーの俺が変わった理由 ヒロ

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1年間、英会話の家庭教師以外に算数の先生もつけてもらった。

二桁の足し算と引き算から俺は学び直した。

 

 

「死んでも勉強なんかするものか」と言っていた俺が突然変わったのかと疑問に思う人もいるでしょう。

はい、その理由。

 

 

1、スタッフにとても俺のことを可愛がってくれる女性スタッフがいたんだ。

俺は恋心のようなものをその人に感じていたんだと思う。

 

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  俺が20歳の時だから今から8年前の写真です。時は流れていく。

 

 

貧困家庭に生まれ育った彼女。

勉強をして、良い仕事を見つけて、家族を早く楽にさせようと考えていた。

 

 

特待生で医学部に進学。

大学の費用は心配なかったけれど、祖母や難病を患っている妹の病院代や薬代また、下に3人兄弟がいて彼女が働いて助けるしかなかった。

 

 

父親は不慮の事故でなくなっている。

彼女は大学を諦めて朝から夜遅くまで、市場、ベビーシッター、屋台と働いた。

 

 

そんな姿をキリスト教会の人たちが見ていて、僕たちの団体にメンターとして採用できないかと打診が来たんだ。

青木さんは採用した。

 

 

そんな彼女が僕に寄り添って、姉のような存在として、バカな弟の俺を導いた。

 

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 スタッフと一緒にアイススケートに行った。とても嬉しかったな。

 

 

「過去を振り返るより、これからのことを考えなさい。」

「あなたを傷つけた人たちを許しましょう。」

 

 

彼女は僕を教会にも連れて行ってくれた。

僕はいつしかボランティアを率先してやるようになっていた。

強い憎しみや怒りが少しづつ僕の中から消えていった。

 

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みなさんからいただいた古着を整理してるところです。7年前くらい

 

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頑張って子供たちにさしあげる古着をチェックしているところです。

 

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子どもの笑顔が嬉しい。小さな支援でもいっぱいの笑顔を僕にくれる

 

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   ありがとう、フィリピンの子どもたち。 おい!! ちんこ触ってんじゃねえよ。

 

 

 

その彼女はそれからシンデレラストーリーの主人公となる。

書くスペースがないから今現在のことを書きます。

今はクゥエートの病院の看護部長をしています。

 

 

給与は信じられないくらい高給取りです。

彼女の夢だった、家をお母さんにプレゼントして、他の兄弟たちも全員学校を卒業させました。

 

 

「ヒロさん、信じて前に進みなさい。」

去年のクリスマスにメッセージが彼女から届いた。

僕はたくさんの人の愛情に囲まれて生きながらえています。

 

 

もちろん勉強はなかなか進まなかった。

家庭教師がどれだけ俺の悪態に我慢していたか。

今思い返せば本当に申し訳なかったと思う。

 

 

自分が作り出したわけでもなく、より良い環境をサポートセンターのスタッフたちが作ってくれた。

 

 

それが俺が変わった一番の理由だと思うんだ。

 

 

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IQ70オール1のアスペルガーが海外の高校に進学する ヒロ

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英会話の家庭教師を一年つけて、英会話にならしてから、英会話学校に行くという支援計画を立てていたスタッフたち。

 

 

英会話学校は高校や大学と違い、人間関係はとても緩やかだけれど、そのくらいが俺には一番良いと判断したスタッフたち。

 

 

しかし、まさかインターナショナルハイスクールに行きたいと言い出すとは思っていなかったスタッフたち。

 

 

どうやって、インターナショナルハイスクールを諦めさせて、英会話学校に行かせるのかを色々と考えて出た答えは、見学に行かせるということだった。

 

 

 

実際に授業風景をみればおじけづいて、インターナショナルハイスクールを諦めるだろうと考えたんだ。

 

 

そして、俺は見学に行かされた。

インドイ人の学校、英国式の学校、トルコ人の学校、中国人の学校、ドイツ人の学校

どの学校も、馴染めなさそうだった。

 

 

俺はとても落ちこんだ。

やれば勉強はできるんだという俺の思いは実現しそうになかった。

あまりの落ち込みように、青木さんが決心したんだ。

 

 

最後に、僕が通えそうな学校の見学をしたんだ。

その学校は僕たちが住んでいたマニラから飛行機で南へ2時間かかる場所にあった。

日本からはありえない遠さだった。

 

 

こんなんならアメリカの高校に行かせて欲しいと思った。

グアムもハワイもアメリカ本土よりは近い。

 

 

そんな辺境の地にあるインターナショナルハイスクールには行きたくはなかった。

 

 

まあ、青木さんがなんとか行かせてあげるように考えるからと言って、俺を持ちあげて南の果ての島に連れてきた。

8年前だ。

 

8年前にマニラはすでに車の洪水だった。

しかし南の果ての島には車はほとんどなかった

なんとものどかな南の果ての島。

 

 

こじんまりとしたその島の雰囲気がとても俺にはあったんだ。

そして、肝心な学校。

見学に行った時、たくさんの生徒たちが、俺を見て反応してくれた。

 

 

JAPAN JAPANと叫ぶやつ。

ドラえもん、ナルト、ドラゴンボール、月に変わってお仕置きよ!!

知っている日本語をこれでもかと連呼する奴。

 

 

俺はその光景を見て涙が出そうだった。

「青木さん、俺ここにしますわ!!」

「よっしゃあ、やるぞおーーーーーー!!」

 

 

周りを気にせず、でかい声で叫んだ俺がいた。

その時、俺はすでに20歳を超えていた。

 

 

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