発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

程度の悪いアスペルガーな俺 28歳にして覚醒 ヒロ

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俺はインターナーショナルハイスクールを卒業した。

そして大学に進み卒業した。

7年間という時間を学校にささげた感じだ。

 

 

その7年間での目標は2つだった。

 

1、大学を卒業すること

 

2、友達をつくること

 

 

そしてその目標は達成できた

 

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俺は変わった。

日本にいた頃、俺の唯一の友達は警察官だった。

いつも俺の話を親身に長時間聞いてくれた。

 

 

味気ないスチール机にクッションが効いていない椅子に座りながら何時間も同じ話をあきもせず聞いてくれた。

 

 

しかし「ヒロさん、これ以上になると君の将来がだいなしになってしまうから。」が最後の会話だった。

 

 

ある事件がきっかけとなりお友達関係は解消された。

俺は日本から出なければならなかった。

 

 

アメリカのニューョークとかロンドンにして欲しいとわけのわからないことを言っていた俺だ。

 

 

それから8年が過ぎたんだ。

友達ができたとか大学を卒業できた喜びは、たった数ヶ月という時間が過ぎてほとんど忘れてしまった俺。

 

 

IQ70でオール1で小、中と不登校の人間が海外の大学まで卒業するなんてありえない。

ありえないことを成し遂げた俺だ。

 

 

死にもの狂いで頑張ったもんな。

正直いうと何度も、何度も諦めて日本に帰りたいと思ったんだ。

 

 

しかし、俺の家族は俺を怖がり行方不明となってしまった。

引越しをして所在地不明となったんだ。

たまに青木さんにメールを送ってくるだけとなった。

 

 

ひどい親たちだなんて思わないでくれ。

俺が、家族にしたひどい仕打ちを思えば当然のことだ。

 

 

帰る場所がないということは今考えれば俺にとってとても良い環境だったと思う。

学校に行き続けるのは大変なストレスだった。

しかし、俺にはそれしか選択肢がなかったから。

 

 

 

今は自分の情けない現実を突きつけられて、驚きと落胆と不安に悩まされている。

 

 

ある部分はとても変わった俺だ。

しかし、あの頃と何も変わっていない俺もいる。

 

 

今はそのことが頭の多くを占めるんだ。

もちろん7年間社会的スキルを学んでいれば今頃は!!と考えたけれど。

できなかったんだ。

 

 

あれもこれもはできはしない。

そして、今改めて社会的スキルを学び始めた俺だ。

それにしてももう直ぐ30歳になる俺はやはり悲しいんだ。

 

 

社会にいる30歳と俺はかなり離されているから。

大きな野望なんか何もない。

なんとかそこそこ周りの人とうまくやっていきたいだけなんだ。

 

 

それすら、程度の悪いアスペルガーな僕にはとても遠いゴールなんです。

でもやるしかない。

 

 

もう一度そのゴール目指して、一歩ずつ前へ前へ進み続けるんだ。

 

 

 

 

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