発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

日本にはおれなくなって僕は再び海外へ行かされた やす

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もう直ぐ20歳になろうとしていた。

 

 

母親が言った。

「教師をやめるから一緒にアフリカに移り住もう。アフリカで井戸を掘ったりするボランティアの人たちを紹介してもらったから、そこでお世話になろう。」

 

 

「ボランティアは年寄りがやるもので、僕みたいな若い人はやらないんだ。それとアフリカに行くといろいろな病気が蔓延しているから非常に危険だ。そんなところに行くべきではない。」と言った。

 

 

「それと僕は高校もちゃんと終了していないので、もう一度高校からやり直すつもりだ。(高卒認定試験は合格していましたが、ちゃんと3年間毎日学校に通学しないと、高卒とは認めたくないとその当時はそう自分で思っていました。)」

 

 

大きな声で母親に向かって怒鳴るように話したのでそれから母親は何も言わなくなりました。

 

 

家には青木さんが1ヶ月に数回来ては、僕と話して帰りました。

 

 

青木さんは、僕を日本から海外にだそうと企んでいたので、話は適当に合わせておきました。

 

 

それとカウンセリングや精神科にも通い続けました。

そうしたら母親もあまり何も言わないから。

 

 

「20歳になると、警察に捕まると、牢屋に入るよ。刑務所には危ない人たちがたくさんいて、生きた心地がしないそうだよ。」とこの時、母親は同じ話を何度もしていました。

 

 

そんな時にまた僕は事件を起こしてしまいます。

いつも行くコンビニは彼女の家の近くにあります。

その時には、菜々緒似の彼女への未練はなくなっていました。

 

 

そのコンビニで店長からこう言われました。

「お前、少しは真人間になったのか?」

僕はその人が話している意味がわからなかったので無視をして雑誌を立ち読みしていました。

 

 

そして、菓子パンとジュースを買ってレジに行ったら、こう言われました。

「犯罪を犯す人間にはこの店に来てほしくない。」

「お前が来ると他のお客さんの迷惑になるんだ。」

 

 

店長はそう言って僕がレジに出したパンとジュースを取りあげて、後ろの机におきました。

(僕はこのコンビニで2回警察に捕まっています。)

 

 

「もう来ないでくれ。」

その時の記憶は飛んでいて、よく覚えていないけれど、警察署で何度も確認されたので多分そう言ったんだと思います。

 

 

「殺すぞ。」

そして僕は拳を振り上げて、レジのカウンターを思いっきり叩いた。

「ぶっ殺してやる、お前たち。」

 

 

そして店長は直ぐに警察署に電話しました。

僕はその店を出て自宅に帰りました。

そうしたら自宅にパトカーが来て、僕は警察署に連れて行かれました。

 

 

母親も勤務先の学校を早退して、警察署に来ました。

この時はまた後日警察署に行きました。

今までとは違う雰囲気だったように思います。

 

 

自宅に帰宅して、僕は2階の自分の部屋に戻りました。

 

 

階下から、母親の声がしました。

母親は叫んでいました。

母親は何かを壊していました。

 

 

僕は怖くなったので部屋の鍵をかけて、ヘッドホンをして大きなボリュームで音楽を聞きました。

 

 

いつの間にか、僕は寝ていて、起きたら、母親が心配になり、階下に下りて行きました。

大変なことになっていました。

何もかもが壊されていました。

 

 

テレビでみた家庭内暴力の子どもの部屋みたいに破壊されまくっていました。

母親は着替えもせずに、居間で寝ていました。

 

 

僕はこの家を出ようと思いました。

 

 

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夜の新宿は僕には最高の場所だった やす

 

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「君がしていることは悪いことだから、今すぐにやめないといけない。」

青木さんは家に来るたびに必ずその言葉を言って帰っていきます。

 

 

「女性につきまとったりすることをやめないと知らない人たちから攻撃を加えられるようになる。」

 

 

例えば家に石を投げられたり、街を歩いていたら唾を吐かれたりするようになる。

「それでいいですか?」と青木さんは僕に聞きました。

 

 

「嫌に決まっている。でも自分ではやめられない。」

「だから僕たちと一緒に暮らして、毎日いろいろ楽しいことをしながら、行動を変えられるように僕たちが教えてあげるから。」と青木さんは言った。

 

 

でも、「日本国内じゃなくて海外で」と言われたんで、お断りしました。

日本がいいに決まっていると思っていましたから。

 

 

その間に、カウンセリングを二ヶ所と精神科に一ヶ所とNPOに二ヶ所母親と一緒に行きました。

思うんですけれど、カウンセリングは僕には効果はなかったです。

 

 

少しは期待したけれど。

青木さんから「他の誰かが悪いとか良くないとか嫌いだ。ということは言わない、書かない。」と言われていますので、ここらへんにしておきます。

 

 

でもお母さんたちは気をつけた方がいいですね。

あちらこちらといろんなところに連れて回されると本人は余計混乱するだけです。

 

 

病院から自宅に帰る間に、話したいことが思い浮かんだり、夜静かにしていて、こんな気持ちなんだけれど、どう思うのかということがよくあったけれど、そんな時に僕の話を聞いてくれる人なんてこの世の中にはいないな。

 

 

でも母親はここにいてはダメだと何度も何度も言うので、僕は前から考えていた計画を実行した。

 

 

東京の新宿に独り住いすること。

そして風俗の店で店員になること。

 

 

青木さんは「一人暮らしをすると、ゴミ出しとか食事とか、自分で考えないといけないし、気付いたら今日1日誰とも話していなかったということにもなるから、一人暮らしははっきりダメだ。」と言いました。

 

 

でも母親はここから出てくれるんならそれは良いことだということで、僕は新宿近くのマンションに住むことになりました。

 

 

新宿は最高でした。

特に夜になると、大勢のきれいな女性が街を歩きます。

見たこともないほど綺麗な女性たちに僕はすごく興奮しました。

 

道で見つけた女性の後をつけたりはしなくなった。

また、女性の腕を掴んで、振り向かせることもしなくなった。

 

 

でもいいなと思った女性の写真を撮り続けたいと思った。

たくさんの女性の写真をアルバムにして見続けたいと考えました。

 

 

それでカメラを手にして、夜の新宿で歩いている出勤前の綺麗な女性を勝手に取っていたら、チンピラの人にいちゃもんをつけられて、金を取られた。

 

違う場所でやってもどこにでもチンピラの人たちがいて、その度に殴られたりお金を取られたりした。

 

 

でも僕の要求の方が怖さより強かったので、写真を撮ることをやめなかった。

 

 

3ヶ月ぐらいたってから、僕のマンションの郵便受けに「殺すぞ。」とマジックで書かれた紙と、僕が新宿で写真を撮っている姿の写真が入れてあったので、怖くなりました。

母親に事情を話して、自宅に帰ることにした。

 

 

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青木さんと会った。気があう人だと思った。やす

 

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僕は3つの精神科に行った。

そして1つの病院で僕はアスペルガーだと診断を受けた。

 

 

「こだわりがとても強いのでうまくコントロールできるように訓練をしなさい。」と医者に言われた。

しばらく病院附属の施設に通っていたけれど、面白くないから行かなくなった。

 

僕はこんなふうに昔の事を何十回も思い出しては書き綴ってきた。

一人ではできない作業なので、いつも青木さんや他のスタッフとやった。

やるたびに青木さんと新しい発見をしてきた。

 

僕の何がどうなってこうなったのか。

世の中の人はこうするのに僕はこうした。

こうする事が良いこととか。

 

いろいろなことを教えて貰った。

でもそれは僕にはとても大変な作業だった。

気がおかしくなりそうだったし、何かをメチャクチャにして壊したい衝動にいつも駆られた。

 

 

でも、僕は今幸せだ。

昔の僕から今の僕が幽体離脱した。

そう思っている。

 

ヒロさんが好きな魔人ブーみたいに。

 

 

青木さんからの手紙を、読んで欲しいと母親から言われて読んだ。

でも何も思わなかった。

 

 

そんなことより僕はこの先どうすれば良いのか、わからなくなってきた。

 

 

東京に一人で住んでみたいと前から考えていた。

東京に住んで仕事は風俗のお店の従業員が一番あっていると考えた。

 

 

母親がサポートセンター名古屋の青木さんが訪問に来ると言った。

僕が返事をする前に、青木さんが自宅に勝手に来た。

 

 

来たのでついでに手紙に書いてあった事を色々と聞いてみた。

いろいろな情報を青木さんから聞いて、それはとても良かった。

 

 

青木さんが持ってきたケーキを、忘れて帰ろうとしたので、「忘れ物ですよ。」と青木さんに手渡したら、「それは君に食べて欲しくて、持ってきたんです。」と言った。

 

 

「中身はなんですか。」と聞いた。

モンブランにブルーチーズケーキとチーズケーキとニューョークチーズケーキとストロベリーケーキ。」

 

 

「青木さんは僕がチーズケーキが好きだいう事を知っているんですね。」と僕は言った。

とても嬉しかったので、この時の事はよく覚えています。

 

 

青木さんは顔に傷があったので、「その傷はどうしたんですか」と聞いたら、「急いで髭剃りをしたら、カミソリで切ってしまった。」と答えた。

 

 

「僕は髭が濃いので、ブラウンのシェバーを使っています。あれはいいですよ。」と青木さんに言ったら、「僕も使っている。」と青木さんは言った。

 

 

「何番をつかっていますか」と聞いたら、「シリーズ7です。あれは良い。」と言った。

それは一番高いやつなので、青木さんはお金がある人なんだということがわかった。

 

 

「ブウランのシェバーを持っているのになんで使わなかったのか」と聞いたら、「充電し忘れた。」と言った。

「これからは寝る前には必ず充電してください。」とアドバイスをさしあげた。

 

 

後から考えると、この時の会話は高校に入ってから自分がした最初のまともな会話だと思った。

ちゃんと相手と会話ができた最初のもの。

 

 

「いろんな事を知っているから助かるな。これからもいろんな事をアドバイスしてくださいね。お願いします。」と青木さんは僕に言って帰った。

 

 

「青木さんも知っている限りのSEXに関する情報を僕に教えてください。」と小さな声で話した。

 

 

近くに母親がいたからです。

 

 

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アメリカから日本に出戻って施設に入れられた僕 やす

 

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警察に捕まって2日後には親戚の人に連れられてアメリカに行きました。

 

 

アメリカの滞在は最低でした。

ホストファミリーがひどい人たちだったので。

 

 

親切とお節介を履き違えている人たちです。

日曜日とか休みの日には僕を無理やり教会に連れて行こうとしました。

また夜には家族と一緒に聖書を読むように言われたのです。

 

 

すぐに母親に電話して、留学斡旋業者に文句を言いましたが、その人たちは何も仕事をしません。

 

 

1ヶ月に一度様子を見に来る程度です。

それで色々と注文しても何も改善されません。

 

 

 

早く帰りたいと何度も、何度も母親に電話をしてようやく帰れたのは8ヶ月後でした。

 

 

それと僕は英語はできると思っていましたが、発音が全然ダメで何を言っているのかわからなかった。

 

 

何を言っているのかわからないととてもストレスになります。

そのうち筆談を思いつきました。

筆談だとわかった。

 

 

とにかくアメリカ留学は最低だった。

それで日本に帰りました。

 

 

日本の空港に降り立ったら親戚の人と見知らぬ人が僕を待っていました。

見知らぬ人は施設の職員でした。

僕は施設で監禁されることになりました。

 

 

その施設は山深いところにあって、高い壁に囲まれていて、どう考えても逃げられないようにしてありました。

 

 

食事はひどかった。

囚人に与えるようなものでした。

 

 

それと、僕に対しての接し方が、家畜のような接し方でした。

 

 

やることはシール貼りとか民芸品の箱を折る作業を毎日朝から昼までやります。

 

 

昼食後は無理やり外に出さされて施設内をだらだらと5周歩きます。

これが体育ということです。

 

 

そのあとはお昼寝の時間です。

声をだしてはいけません。

瞑想しなさいと言われました。

 

 

僕は目を瞑ると女性の◯◯の姿が出てきますんで大変です。

瞑想は妄想に変わってきます。

 

 

それが終わるとワークブックで勉強です。

わからないところがあれば手を上げて先生に聞きます。

 

 

1ヶ月に一度、お坊さんが来て、長い話をして帰ります。

みんなの睡眠時間です。

 

 

そこの施設にいる人はみんな悪そうな連中ばかりでした。

施設内で違反を何回か繰り返すと、丸坊主にされます。

女子もです。

 

 

ほとんどみんな丸坊主でした。

僕は違反はしませんでしたが、短く髪を切ることになりました。

髪を切る担当の人が間違えて僕まで丸坊主にしました。

 

 

その人は笑っていたので、僕はわざとやったと思って、むしょうにこいつだけは生かしていてはダメだと強烈に思いました。

 

 

どうしたらここから出られるのか、仲間も一緒にだしてやりたいと思いました。

 

 

でもぼくと同じ考えをもっている囚人は他にもいて、その人のおかげで全員施設からでられることになりました。

 

 

僕は18歳になっていました。

施設にいた時に、高卒認定試験に受かったんで、母親が大学に行きなさいと言った。

で、僕は九州の親戚に預けられました。

 

 

そこで僕は女性の後をつけまわしてしまい、警察に捕まりました。

その後もう一度捕まってしまいます。

 

 

母親は本当に困ってしまっていました。

いずれ大きな犯罪を犯すのではないかと心配したそうです。

 

 

どこか息子を支援してくれる人はないかといつも探していそうです。

 

 

そんな時に、知り合いの人からサポートセンター名古屋を紹介されて、母親は相談に行きました。

 

 

「あなたのことを理解してくれる人たちがいたよ。」と泣きながら僕に話した母親。

 

 

泣いた顔を初めて見ました。

「お母さんが悪かったね。本当にごめんなさい。」というと大きな声で母親は泣きました。

 

 

それから代表の青木さんが書いた手紙を見ました。

「やすは読んで聞くのと自分で読むのどちらが良いの?」と母親に聞かれたんで、自分で手紙を読みました。

 

 

明日でおしまいにします。

ヒロさんがもうすぐ卒業なので、書きたいことがたくさんあるそうです。

早く終わって欲しいと言われました。

 

 

僕のブログをたくさんの人が読んでいてくださると言うことを聞いて興奮した僕です。

 

 

もっともっと書いてみたいと思いましたけれど、明日でさようならです。

 

 

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危険人物だからアメリカに行かされた僕。やす

 

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最初に書いておかなければいけませんでした。

僕はアスペルガーと診断されました。

中学の時です。

 

検査は吐き気がしました。

時間が長かったから。

 

 

警察官は色々と話してくれました。

僕がしている行為はストーカーということです。

 

 

そしてそのような行為を取り締まるためにストーカー規制法が出来ました。

 

 

「君みたいなことをしている人たちを取り締まるために法律があるんだ。」

 

 

「今のようなことをしていると君の将来がだめになる。」

「相手の女性が拒否をしているので、会いに行くこと、メールや手紙、電話をすることを止めないと、逮捕されて君の将来がだめになると言われました。」

 

 

その警察官とは気が合いました。

ところで君の彼女はどんな女性なんだと話しかけてくれたからです。

 

 

僕は、彼女の写真をアルバムにして、持ち歩くカバンに入れてありました。

 

 

それを警察官に見せたら、とても驚いていました。

じーっと眺めていたので、警察官も好きになったはずだとその時は心配しました。

 

 

それから僕はいかに彼女が素晴らしいかを説明しました。

そして、結論は「だからなんとしてでも彼女を自分のものにしたい。」と締めくくりました。

 

 

「もう一度、ご両親とじっくり話し合ったほうがいいね。」

迎えに来てくれた母親に挨拶をした警察官はそう僕に語ってくれました。

僕は母親と自宅に帰りました。

 

 

「どうしても、◯◯さんのことが忘れられんの?」

「無理だ。」と車中で吐き捨てるように母親に言いました。

 

「仕方がないから、アメリカに行くしかないね。」

「なんで、アメリカに行かなあかん。絶対に行かんからな。」

 

 

「アメリカはエイズとレイプが蔓延している危険な国なんだぞ。」

「そんな国に俺を捨てるのか。」

 

 

そう言うと僕は走っている車のドアを開けて、外に飛び出しました。

すごい早いスピードでコロコロと僕の体は転がっていったことは覚えています。

 

 

気づいたら病院にいました。

ドームの中に入って色々と検査をしました。

2日後退院しました。

 

 

僕はアメリカに行くことになりました。

アメリカに行く前に彼女に挨拶だけはしておきたいので、再び彼女の家にいきました。

 

 

呼び鈴を鳴らしても返事がなかったので、玄関の階段に座って30分ごとに一度呼び鈴を鳴らそうと、携帯のストップウオッチをセットしました。

 

 

20分したら、パトカーが来ました。

屋根の上のライトが消えていたので、仕事が終わってこれから警察署に帰るんだなと思っていました。

 

 

パトカーから警察官が降りてきて、僕は再びパトカーに乗りました。

 

 

走り去る車の後部座席で、後ろを向いて彼女の家を見続けました。

「出てきてくれ!!頼むから。」

 

 

心の中でそう叫んでいた僕がいました。

 

 

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彼女にまとわり続けて警察に捕まった僕。やす

 

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次の日、学校を休んだ。

 

 

夜に担任から自宅に電話があった。

珍しく帰宅していた母親が留守番電話を聞いた。

 

 

階下から僕を呼ぶ母親。

「何があったの?」

話す気持ちにはなれなかったが、話さないとしつこいので話した。

 

 

すぐに彼女の自宅に電話をしておわびする母親。

それと、次の日に勤務先の学校を休む連絡をする母親。

 

 

僕は一緒に高校には行きたくないと母親に言った。

もうその時点で高校は辞める気持ちが大きかった。

 

 

高校での担任との面談は学年主任と教頭まで揃っていたらしい。

午前中で担任との面談は終わったので、母親は勤務先の学校に向かった。

 

 

「自宅に帰ってから詳しく話す。」と階下から僕への呼びかけがあった。

 

 

その晩も珍しく自宅に帰ってきた母親。

キッチンで母親の報告を聞いた。

 

 

僕の元カノは僕が送ったメールのせいで、眠れないのと頭痛がひどくて学校を休んで、親戚の家で静養しているとのことだった。

 

「私の方から◯◯さんには丁寧に謝っておいたから、それとお前はあの高校を辞めて、アメリカに行きなさい。」と母親から一方的に言われた。

 

 

「このままだと、お前は何かしでかすかもしれないので、ここから離れた方が良い。」とも言われた。

 

 

そんな話より、親戚のところに行ったというのは嘘だと直感した。

 

 

自宅にまだいるはずだ。

そう思ったら、今すぐに顔だけでも見たいという要求が強くなった。

 

 

僕は要求が強くなると、そのことの奴隷になってしまうのです。

 

 

そして周りが見えなくなって、何が悪いことなのかもわからなくなってしまいます。

自分で自分を抑制することがとても苦手なんです。

 

 

その時はそういう自分の特性のことは何もわからなかった。

後でサポートセンター名古屋と出会って長い時間支援を受ける中でわかってきたことです。

 

 

彼女の自宅に行くしかない。

行って、会って話せば必ず僕たちは元に戻れる。

彼女が僕に言ったことを思い出して口に出してみた。

 

 

「あなたのことが好き。いつもあなたのことを思い出してしまう。」

何度も何度も自分で口に出して言ってみた。

 

 

そして僕は彼女の家に向かった。

彼女からもらった香水をたっぷりとかけて。

 

 

彼女の家の周りをゆっくりと眺めた。

彼女の部屋の明かりがついていた。

 

 

「やっぱりいるじゃないか、嘘をつきやがって」強い怒りが僕の全身を走った。

 

 

呼び鈴を鳴らすとお父さんが出てきた。

にっこりとして「どうした◯◯君。」と言った。

 

 

「◯◯さんは家にいますよね。明かりがついているから。」

 

「親戚の家で1ヶ月程度過ごさせるので、母親が服なんかを用意しているんだよ。」

 

 

「◯◯さんと会えますか。一度会って話せばお互い理解できるんです。」

 

「君の言う通りだよ。うちの娘も一度は君のことを好きになったんだ。でも今は君のことを遠ざけている。その理由が何か君にはわかるか。娘が君のことを恐れた理由だ。」

 

 

僕は父親の言うことが頭に入らなかった。

とにかく、彼女に触れたかった。

彼女の匂いを感じたかった。

 

 

「一度でいいので合わせてください。お願いします。」

「無理です。」と父親は言った。

 

 

僕の頭の中は混乱してしまっていた。

めまいがしたのでコンビニに行って、パンとジュースを買って店の外で食べた。

 

 

そうしたら、落ち着いた。

でもすぐに父親に対して強い憎しみが湧いてきた。

もう一度彼女の家に行った。

 

 

父親が出てきて言った。

「君にも娘とやり直すチャンスがあったんだよ。娘の手紙を読んで、娘との距離をおいていれば、娘の君に対する気持ちはまた復活していたと思う。」

 

 

「恋愛は押してばかりではダメなんだ。」

「◯◯さんと合わせてください。お願いします。」

「近所の目もあるんで、これ以上は君と話せないんだ。」

 

 

「これ以上君がここに来るのであれば、警察を呼ぶしかないよ。」

「そんなことはしたくはないけれど。」

 

 

も僕はそこから離れることができなかった。

「もしかしたら、この父親との会話の中で父親が僕を認めてくれたなら、元に戻れるかもしれない。」そう一縷の望みを託した僕です。

 

 

しかし、警察が来て僕はパトカーに乗せられて、そこから離された。

パトカーの中でも思うは彼女のことばかりだった。

 

 

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狂気と冷静の間の中で。やす

 

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その時の記憶は何度も何度もリフレインしていたから、覚えていた。

でも最近はリフレインがなくなってしまっていた。

それで、思い返してみても、自分の記憶があやふやとなっていることに気づいた。

 

長年の呪縛から解き放たれたのか。

何十回と昔のことを思い出しては整理する作業を青木さんと一緒にやってきた。

そのことで、区切りをつけることができたんだ。

 

最近、ブルゾンちえみwith Bにはまっている。

そのネタの中でも「35億。」と語りかける場面が好きだ。

そうなんだよ、笑っちゃうけれど異性は35億人。

 

www.youtube.com

 

5000万人とも語る。

それは恋愛対象人数なのか?

 

「次行こ、次。」BY青木さん

青木さんのセリフで僕が気に入っている言葉。

 

 

気づいたら、コンビニでパンとジュースを購入してその場で食べた。

 

 

しばらくコンビニの外で座っていた。

寒くなってきたので自宅に帰った。

 

 

その晩は眠れなかった。

何度も何度も彼女と撮った写真を見たり、彼女とのラブラブなメールを見返した。

「どうして !!??」

 

 

それしか言葉が思いつかなかった。

 

 

知らない間に寝てしまっていた。

 

 

両親はどうしていたのか?

父親は医者で自宅に帰ってきたり、来なかったりの毎日。

自宅でも僕と話すことはなかった。

 

 

今になってわかるけれど、父親も典型的なアスペルガー男だ。

避けているんじゃなくて、コミニュケーションの取り方がわからない。

 

 

そもそもコミニュケーションを必要としていないんだろうなとも思う。

医者ならそんなんでも務まるんだ。

 

 

母親は教師。

学校でも重宝されている感じ。

できる人なんだろうな。

 

いつも、いつも帰宅が遅い。

それで勤務校の近くにアパートを借りたりして家に帰ってこないことがあった。

母親も家庭的ではないね。

 

 

僕は祖母に育てられた。

そして祖母が亡くなってからぼくは一人になった。

その頃から僕の不安は増していったんだと思う。

 

 

言いようのない、不安と孤独。

だから、異性に恐ろしいほどの依存を求めた僕。

自分の思うように相手をコントロールしたい。

 

 

相手のことなんか何も考えていない、一方的な思い。

それは正しいことではない。

そんなことでは誰からも愛してもらえないんだ。

 

 

そう学んだ。

他者を通して学んだ。

学んだことで、僕は方向転換を図れたんだ。

 

 

向きを変えて、今歩み始めている僕がいる。

 

 

まだ僕の文章は終わっていません。

まだ続きがあります。

よろしくお願いします。

 

 

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