サポートセンターの支援を受ける中で、〈発達障害〉を勉強していきました。
そして、〈その特性から、僕は定型発達の人たちのようにはできないのだ。〉と理解したのです。
30年間の悩みが解消しました。
と、同時に、悪魔の囁きが聞こえたのです。
「自分が努力しないとかそういう問題ではないから、安心して前のひきこもりの状態にもどれる。」
「僕にはひきこもる正当な理由があるのだから。」
どんなに青木が優れた支援者だとしても、50才をすでに過ぎた男を、社会から必要とされる者に変えることはできない。
誰も僕を必要としていないのだ。
(まあ、フィリピンに連れてきてもらって楽しんだから、それで良しとしよう。)と考えるようになりました。
そして、支援をしてくれている青木に対しても、やらなくても良い理由を何かと探していました。
支援を受けることが怖かったのです。
支援を受けてもできなかったらどうしようかと、そう思うと怖かったのです。
支援を受けて初めてインターネットに触れました。
インターネットの世界では、多くの人たちがこう叫んでいました。
「会社が、友達が、家族がもっと発達障害を理解して欲しい。」
「僕たちはあなたたちとは違うのだから。」
僕も同じように叫びたかったです。
僕は障害者だから、ひきこもったのだ。
だから、僕の弱さをもっと理解して欲しいと。
しかし、そんな僕の考え方を見越したように、青木がこういったのです。
「どんなに社会が発達障害を理解したとしても、当事者が最低限やらなければならないことがある。」
「清潔にすること。」
「人とそこそこ仲良くしていくこと。」
「社会の常識やマナーを知ること。」
「それができなければ、いつまでたってもあなたは社会に戻れない。」と。
その当時はよくわかりませんでしたが、今はわかります。
私は社会に戻りたいので、日常生活でのマナーや社会常識を57歳になった今、必死に学んでいます。
僕は社会に戻りたいのです。
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