発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

僕と青木さんが学校にいけなくなったわけ。ジュン

 

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ジュンです。

ご心配をおかけしました。

今は落ち着いています。

 

 

青木さんからインターネットを止められました。

もちろん、僕と十分に話し合って、ぼくも了解したことです。

 

 

「インターネットの世界には、人を不安定にさせるような書き込みもあるので、ジュンさんには必要はない。」とスタッフからも言われていました。

 

 

調子が悪くなった時の原因は、ある書き込みを読んだからです。

それは「発達障害の特性を持つ子どもが不登校になったのは誰のせいなのか」という1人の母親からの問いかけでした。

 

 

このような書き込みはよく見かけます。

それに対する反応もほとんど同じです。

 

 

学校の支援体制が良くない。

教師の理解が不十分だ。

 

 

要は一方的に、学校が子どもの不登校になった原因だと思っているのです。

 

 

僕も、もっと理解して欲しいと思う先生もいました。

学校の体制が発達障害に、より理解があるようにして欲しいとも思います。

 

 

しかし、僕に関して言えば、学校に対して特別な思いは何もありません。

発達障害な僕たちから」で名前は忘れましたが、誰かが僕と同じように学校が原因ではないと書いていました。

 

 

多分サポートセンターで支援を受けている人たちは、学校に対しての批判はないと思いましたので、青木さんに聞きました。

 

 

「あからさまに、学校の批判をする当事者には出会った記憶はないな。」

「お母さんたちの中には、学校批判をしている人たちはいるけれど。」

 

 

「青木さんは、学校をどう見ていましたか」

「小、中と怖かったな。」

「みんなについていくのが必死だったから。」

 

 

「でも、高校でついていけなくなった。」

「ついていけなくなったのは勉強ではなく、同級生に対する感じ方。」

 

 

「同級生がみんな自分よりはるかに大人に見えた。そしてその差を埋めることは自分にはできないと強く感じた。」

「勉強ならなんとかなるのに。」

 

 

「具体的にいうとなんですか」

「例えば、恋愛。」

「『恋愛』というものが何がなんだかさっぱりわからなかった。」

 

 

「今になってわかるんだけれど、それは先輩や同年代の仲間との交流の中で、学んでいくものなんだよ。」

「僕にとってはそれは一番苦手なこと。いや全くできないことだったから。それで勝負あったな。」

 

 

「恋愛読本」なんていう参考書があればよかったのかもしれないけれど。

 

 

そうそう、当時は「ポパイ」とか「ホットドックプレス」なんていう月刊誌があって、それが若者の恋愛バイブルと見られていた。

 

 

ぼくも毎月欠かさず買っていたけれど、何も参考にはならなかったな。

「デートの時はこんなコーデイネートがモテる。」とか。

 

 

「これが今女の子が助手席に乗ってくれる車ベスト3」とか。

「プレリュードという車が、当時若者にとても流行っていて、あれさえ手に入れれば、女の子と親しくなれるんだと真剣に思っていた。」

 

 

 

明日に続けたいと思います。

 

 

 

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