俺は、15歳の時に母親をバットで殴りつけた。
確か、15才だ。
正確にはもう思い出せない。
そして母はICUに入れられて、入院となった。
一命はとりとめた母。
「ヒロ、ごめんな。お父さんとお母さんは、もう一緒に住むことができないんだ。これから、お前が生活していく場所を探すから、その間ビジネスホテルに宿泊してくれ。」そう言われて、俺は当座の生活費とホテルの部屋の鍵を父から渡された。
もちろん、俺は心から謝った。
しかし、時すでに遅し。
父親からの提案を受け入れることにした。
自分の部屋で荷造りをした。
そして俺は家をでた。
しかし、向かった先はビジネスホテルではなく、青木さんの所だった。
家から青木さんの所までは40キロはある。
それを俺は徒歩で向かった。
青木さんのマンションは鍵がかかっていた。
俺は暴れた時に携帯を真っ二つに折ってしまったので、連絡手段がなかった。
だからサポートセンターの事務所に向かった。
青木さんは海外にいるとのことで、青木さんからの連絡があるまで、俺は事務所で待機した。
1年振りのサポートセンター。
しかし、馴染みの連中は全て卒業したんだろうな。
見かけない。
みんな新入りの奴らばかり。
「◯◯とか◯◯◯はどうしていますか?」
大学に入学したとか専門学校に行っているとか、みんなそれぞれ幸せになったんだ。
俺だけここでも取り残されたというわけか。
小、中ダメ。
フリースクールダメ。
お寺さんの修行もダメ。
サポートセンターもダメ。
♩〜 ダ〜メダ〜メのダ〜メダ〜メ。
♩〜 ダ〜メダ〜メのダ〜メダ〜メ。
はははは。バカは本当に死ぬしかないか。
ついこの間、父親の前で泣いて謝罪した俺だったけれど、無性に腹が立った。
そしてこんなふうにしたのは、あいつのせいだと思い始めたら、その場でじっとしていることができなくて、外にでて、コンクリートの壁を足で蹴り続けた。
「ふざけるな。おい、ふざけるなって言ってんだろう。」
「お前たち、叩き潰す!!」
「責任とれや。なあ、どうして俺だけこんなんなんだ。」
「寂しいよ。誰か頼むから俺を助けてくれ。」最後は涙で絶叫だ。
下校中の中学生の集団がおしゃべりしながら、歩道を歩いている。
楽しそうな笑い声。
奈落の底に叩き落とされた感じの俺。
この後、さらに僕は自暴自棄になっていく。
そして投身自殺。
未遂で終わったけれど。
あれから15年がたった。
家族と過ごした15年。
青木のおっさんと過ごした15年目の今。
俺と家族と支援者の15年。
色々な視点から思うところを書いてみたい。
もちろん、ハゲにも正直な気持ちを教えて欲しいと思っている。
俺の小っ恥ずかしい過去の出来事が誰か別の当事者の親子にお役に立てればと思っています。
希望はあるのです。
こんな俺でも、今はとてもしあわせなのです。
だったら、あなたはもっと幸せになれますよ。
みなさん、よろしくお願いします。
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