発達障害が問題じゃないんだ。
発達障害の二次障害で不登校、ひきこもり、家庭内暴力、自傷行為、反社会的行為なとがあると問題なのです。
僕は学校の勉強がわからなかった。
二桁の足し算、引き算が17歳までちゃんとできなかった。
日本語の敬語もうまく話せなくて、度々周りとトラブルを起こした。
身なりもちゃんとしていなかったから、学校ではみんなから距離を置かれた。
集団行動が苦手だったり、運動神経が鈍かったので、運動会や防災日には必ず、全校生徒の前で注意を受けました。
学校は好きだったけれど、もう怖くて通うことができなかった。
学校に行かなくて、家にいたら母親が、勉強しろと口うるさく言ってきた。
僕は勉強の仕方がわからなくて、勉強をしなくなったのに、なまけものだと思われた。
指に輪ゴムで鉛筆をくくりつけられたのはとても痛かった。
「お母さん、痛いよ。痛いって。」あまりの痛さに泣いたことを思い出す。
冬の寒い夜にパンツ一枚でベランダに立たされた。
「真面目に学校に行きますと言うまで中には入れない。」僕が泣きながら「真面目になります。」と言っても母親は部屋の中には入れてくれなかった。
中学卒業後はいろいろなところでお世話になった。
昨日そのことを書きました。
最後には、サポートセンター名古屋に流れ着いた。
でもそこでもやることなすこと、失敗ばかり。
もう疲れ果ててしまった。
そして、投身自殺を図った。
近くの釣り人に命を助けてもらった。
それから僕はフィリピンに流刑になった。
そこで、たくさんのフィリピン人スタッフと一人の日本人スタッフが俺のためについてくれた。
その日本人がゴリ男だ。
ゴリラに似ているからゴリ男。
俺の父親であり兄であった男。
彼がいてくれたからこそ、俺は今ちっとはましになった。
彼がいてくれたから、彼女ができた。
彼がいてくれたから大学を卒業できた。
先日の日曜日、朝食後。
「2時間後の便で日本に帰る。」と言った。
「ハゲに言われたの?卒業式には間に合いますか?」
「ごめんね、卒業式には出たいけれど、出られないんだ。」
「ええええ、どういうこと」
「明日日本に帰った後、田舎に帰って父親の後を継ぐことにしている。」
「ちよっと、どういうこと?この仕事やめてしまうの」
「何も聞いていないよ。僕が何か悪いことしたの?」
「いいや、父親が病気なので、僕があとを継ぐんだ。」
「いつそれは決まったの。」
「半年前だけれど、内緒にしていてごめんね。ヒロさんが不安になるといけないと思って言わなかったんだ。」
タクシー運転手が寮に顔を出した。
ゴリ男はスーツケースを手にして、寮の外に出た。
僕は何がなんだかわからないまま頭が混乱していた。
とにかく何か言わなくちゃ。
「言わせてください。5年間俺を毎日支えてくださって、本当にありがとうございました。」
「あなたがいてくれて、僕は今幸せです。」
そう言うのが精一杯だった。
「ヒロさんは頑張りました。私はあなたの頑張りに頭が下がります。」
「日本でまたお会いする日を楽しみにしています。」
ゴリ男はタクシーの車内で顔を伏せながそう言った。
ゴリ男を乗せたタクシーが小さくなるまで、僕は見続けた。
また会う日まで。
さようなら。
そしてありがとうごさいました。
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