新天地でお友達ができたそうでなりよりですね Mr.Joe
僕はていどの悪いアスペルガーな男。
29歳で今はフィリピンに住んでいます。
フィリピンに住んで今年で8年目になります。
父親と最後に会ったのは8年前です。
母親や他の家族とは13年間会っていません。
僕から逃れるために家を売り払い、どこか遠くに引っ越してしまいました。
青木さんも僕の家族の居所を知りません。
僕は母親の命を奪おうとした人間です。
ですから、母親が僕から逃れようとしていることを理解しています。
父はこんな僕に本当に一生懸命色々としてくれました。
中学を出た後に児童相談所から教えてもらった病院に僕を繋げてくれました。
でもその病院付属の施設で練習をしている人たちは「あああああ」とか「うううううう」とか一日中声を出している人たちでした。
僕は僕なりにその人たちと「ドラゴンボール」の話で盛り上がろうとしましたが、無理でした。
そのうちにそこに行くのが嫌になりました。
そして行かなくなりました。
家にいると母親がうるさく色々と僕に言います。
僕は働くことが怖かったんです。
「どうせまた失敗するに決まっている。」
「そしてバイト先でもひどいいじめを受けるんだ。」
「もうたくさんだ。」
でも僕のそんな気持ちを理解してくれはせず、とにかく母親から嫌がらせを受けました。
僕だけごはんを食べさせてもらえなかったり、みんなでモールに行って買い物に行くのに僕だけ1人にされたり。
僕の大切な「ドラゴンボール」のフィギュアを捨てられたりしました。
僕は本当に悲しかったです。
僕は怠け者ですか?
ぼくはどうしていいのか何もわからなくて、ただ家の外が怖かっただけなんです。
自信がついたら僕は真面目に働くんです。
でも母親は僕を毛嫌いしていました。
とうとう僕は母親の僕に対する扱いに切れてしまいました。
それは、家族でしゃぶしゃぶを食べに行った時のことでした。
僕だけ1人他の家族と離れたテーブルでご飯を食べます。
それは昔からそうだったんです。
理由?
はい、ありますよ。
僕は料理がテーブルに運ばれたらすぐに1人で全部食べてしまいます。
食べるときはすごいスピードで食べます。
だから、ぼくの口はいつも「リス」みたいでした。
兄弟たちに料理を取られるんじゃないかといつも心配でしょうがありませんでした。
時には兄弟とレストラン内で殴り合いをしたこともあります。
それが理由で、いつからか僕だけ他の家族と離れたテーブルでごはんを食べるようになりました。
僕としては自分のペースで食べられるので嬉しかったです。
僕がレストランで暴れた時は、他の家族のテーブルには肉が運ばれましたが、僕のテーブルには野菜だけでした。
「肉がないぞ!!」と店内に響くような大声を出したら母親がこう言いました。
「働いていないものには、野菜だけだ。」
その一言でぼくは切れました。
足でテーブルをひっくり返して、母親の首を締めました。
「お前は死ね。早く死ねえ。」と泣きながら叫んだ僕がいました。
「ママが死んじゃう」と叫んだ妹の声を今でもはっきりと覚えています。
僕たち家族はもうどうしていいのかわからなかったです。
確かなことは、このままでは息子の僕が母親の命を奪ってしまうだろうということでした。
僕たち家族はこの社会の中で孤立していました。
ぼくたち家族は助けを求めていました。
パトカーが来て僕は警察署に連行されました。
また明日です。
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