大学時代の友達。一緒にサポートセンターで働いています。
なんどもなんども過去のことを思い出しています。
思い出したくもない過去。
その過去の出来事が1場面、1場面、額に入った写真のように思えてきます。
何が僕に起こったのか?
それがどういう意味を持つのか?
過去の出来事を考えることは、混乱した僕の頭の中を整理することでもあるのです。
まあ、スタッフから聞かされていることをそのまま書いているだけですけれどね。
10年前には「過去のことなんか思い出したくもない。」と思っていた。
5年前には「全否定していた過去に違う意味を感じた。」
3年前には「過去を否定しなくなりました。」
時々思い出しては胸が締め付けられそうにはなっていたけれど。
昨日と今日でも僕の過去に対する見方は違ってきたりもします。
さて今日は父親のことを書きます。
出会う人たちから、「ヒロさんはたくさんの言葉を覚えていますね。どこで覚えたんですか。」と聞かれることが多いです。
ある中学校の校長先生がこう言ってくれました。
「ヒロさんには才能がありますよ。僕は国語の教員を長年していましたから、ぼくの目に狂いはない。」
それがお世辞ではないことを信じたい僕です。
僕がたくさんの言葉を覚えていたり、少しは読んでもらえるような文章を書くことができるのは父のおかげです。
父との思い出。
父は僕によく本を買ってくれました。
「マンガ日本の歴史」「マンガで読む世界の偉人伝」とか。
まあ全てマンガですけれどね。
買い与えただけではなく、一緒に読みもしてくれました。
声色や声のトーンを変えたりして、僕に読み聞かせてくれました。
それはとても楽しかったです。
「切腹!!」
「このうつけ者が!!」
「大義であったの」
「片腹痛いわ」
父親の言い方を真似てなんどもなんども大声を出して、武士になったり、代官様になったりしていました。
それから父親は僕にたくさんの本を買ってくれました。
全てマンガでした。
でも僕はマンガで色々なことを覚えたのです。
でも父は会社で昇進するたびに、忙しくなっていき、僕に読み聞かせをすることもなくなったのです。
今、その時のことを思い出したんです。
思い出したきっかけはある人のTwitterの記事を読んだことからです。
ご本人様に転載許可をいただいています。
⚡️ "「おしゃれな新婚家庭は乳幼児の文字環境として砂漠のようだ」"https://t.co/eV7xU44MLL
— norico arai (@noricoco) 2017年12月2日
青木さんは「よくわかっている人だな。」と、とても感心していました。
青木さんはその人の違う文章を読み進めていくうちに「この人、専門職の人だよ!!」と感じ、プロフィールを調べたら「とても偉い人」だということがわかりました。
ヒルマさんといい、この方と良いすごい人たちが日本にはいるのです。
ヒルマさんの記事です。
↓
everywhichwaytowrite.blogspot.com
青木さんはヒルマさんの記事を読んで泣いていました。
学校の教育だけでなんともならない僕のような人たち。
やはり家庭での教育がとても大切なんですね。
小さい頃からこのような配慮が家庭で継続してなされていたら、「今頃僕は?」と考えてしまいます。
また明日。
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