発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

クラスのみんなと仲良くなりたかった。ヒロ

f:id:smilehousejapan:20170212133910j:plain

 

 

僕は不登校だった。

 

 

それで、不登校を支援している団体へ父親に連れて行ってもらった。

 

 

行きたくなかったけれど、「学校に行っていない俺は、そのくらいはしないといかんだろうな。」と思った。

 

 

それとやっぱり友達が欲しかったんだ。

この理由の方が大きいかな。

 

 

団体の人はとても優しかった。

「学校に行けなくても何も心配はないんだよ。」

「学校に問題があるの。あなたは自分を責めなくて良いのよ。」

 

 

しかし優しさの中に違和感を感じた俺。

でも、15才の俺には違和感の中身を考える余裕はなかった。

 

 

将棋、チェス、囲碁、トランプ。

おじいさんのような人がスタッフでこの人たちもとても優しかった。

美味しいおやつも出た。

 

 

毎日10分間の講話のような時間があった。

ぼくはその時間さえなければ、もしかしたら今でも通っていたかもしれない。

 

 

基本的に僕にはとても居心地の良い空間だった。

 

 

昨日不登校になった2つの理由を書きました。

 

smilehousejapan.hatenablog.com

 

 

それが解決すれば僕は学校に戻りたかった。

だって学校って楽しいんだよ。

 

 

クラスで授業中に誰かが言ったテレビのギャグやクラスメイトのまね。

 

 

そのあと一瞬間があって、その後どっとクラスが湧くんだ。

最高だった。

 

 

最高な瞬間。

なんか俺は、ここにいるみんなとその時だけは、仲間になれたという気がしたんだ。

 

 

俺は世間では不登校児だったと思われている。

そして、ある人たちから見れば、今の学校制度の犠牲者たちなんだと思われているんだ。

 

 

犠牲者?

俺自身はそんなふうに思わなかったな。

みんなと仲良くしたかっただけ。

 

 

でも誰も仲間に入れてくれなかった。

「担任の先生も一生懸命僕の為に頑張ってくれていたんだ。」今になってそのことはわかります。

 

 

でも、あの時。

「僕が何でつまずいたのか。」そのことをわかってくれる人はぼくの周りには誰もいなかったんだろうな。

 

 

いや、担任の先生はわかっていたと思うんだ。

「でも、自分にはどうすることもできない。」そう感じていてくださったんだと思うよ。

 

 

あまりにも僕の問題は深くて、どこから手をつければいいのか。

 

 

たった数年で何ができるのか。

他にも問題を抱えた生徒はいるし。

 

 

大変な苦痛を先生に与えてしまっていたなと今になって申し訳なく思うんです。

 

 

その先生は、長い間僕に年賀状を届けてくださっていた。

 

 

「あの時、何もしてあげれなかった、僕を許してください。」

最後にその言葉が毎回書かれていた。

 

 

誰が先生を責めることができるだろうか。

責めても何も産まれてはこない。

 

 

「じゃあ、あの時の俺の悲しさや、憎しみはどうなるんだ?今でもあの時のことが尾を引いているんだ。」

「俺だけババ引いたって言うこと?」

 

 

「はあ、ふざけんじゃねえぞ!!」

「お前たち、みんな叩き潰してやる。」

 

 

ブラックヒロなら今でもこう言って、周りをそして自分を傷つけているんだろうな。

 

 

今の状況に感謝しかありません。

 

 

また明日。

下記バーナーのクリックを2つ押してください。

 

 

 

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。