発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校の僕の選択肢は保健室登校。ブン

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小学校4年生で小学校に行くのが怖くなって、行けなくなりました。

 

 

その時点で僕の取れる選択肢は、とりあえず学校にいかずにひきこもるということだけでした。

 

 

まあ、保健室登校、相談室登校、適応指導教室フリースクールとフリースペースなどがありましたが、とにかく部屋でじっとしていたい。

それがその時の僕の希望でした。

 

 

怖くて仕方がなかった。

何をやってもみんなのようにはできなかったから。

 

 

少し経って、母親に保健室登校を選択させられた。

保健室の先生はとても優しかった。

保健室にいると、「ここはあなたの居場所なんだよ。」と言われた。

 

 

けれど、僕の頭の中は、クラスの様子を想像しているだけだった。

早く自分のクラスに戻れるようになりたい。

 

 

小学校3年生の僕でも、保健室は僕の一時的な居場所でしかないということはわかっていた。

 

 

保健室にいたら、先生から色々と御手伝いをお願いされた。

保健の先生が作っていた「保健室便り」の数を数えたりそんなお手伝いをしていました。

それはとても嬉しかったです。

 

 

 

僕は何をやっても他のクラスの同級生たちのようにはできなくて、強い疎外感を感じていました。

 

 

だから、先生から「ちよっとお手伝いをしてくれるかな」と言われた時、自分一人だったので、他に比較する人がいなかったので、安心してお手伝いができました。

 

 

僕はいつも鈍いとかクラスのみんなに言われていて、とても悲しかった。

でも保健の先生は「あなたは、1つ1つ丁寧にやるからとても良いよ。」と言ってくれました。

 

 

 

その言葉はとても嬉しかったです。

今でもよく覚えているくらいだから。

でも、4年生になったらその先生は、違う学校に転校してしまいました。

 

 

それで違う先生が来ました。

その先生は前の先生と雰囲気が違っていました。

 

 

僕が保健室に滞在していたら、僕と同じクラスの子たちが保健室に来て、ドアをどんどんと叩きました。

僕は廊下で騒いでいる生徒の声を聞いて、同じクラスの連中だと分かりました。

 

 

でも、先生が注意をしても、全然気にせずに保健室のドアを開けたりしていたから、僕は怖くなって保健室登校もできなくなり、家に引きこもってしまいました。

 

 

小学校4年生の時でした。

僕が10歳の時。

それ以来、僕は学校に行けなくなってしまいました。

 

 

 

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