発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 程度の悪いアスペな俺 まとまらない文章 ヒロ

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僕には今、彼女がいます。

何人目だろう。

たくさんの人に振られてしまったから。

 

 

日本にいる時は、人を好きになる事なんて考えられませんでした。

何度も同じ事書くなよって言われるかもしれません。

ごめんなさい。

 

 

僕は小、中、高とひどく嫌われていましたから。

それは半端ない嫌われ方でした。

存在じたいを否定されていました。

 

 

当然です。

おかしかったから。

今はそう理解できるんですよ。

 

実の親にもあきらめられてしまったぐらいですから。

両親に取っては大変な時間だったでしょうね。

ほんとうに、ごめんなさい。

 

 

僕自身は、僕の何がおかしいのかわからなかったんです。

僕は15歳でアスペルガーと診断されました。

しかも、病院からは(とても大きな病院でした)「うちでは無理だ」

と、2つの病院から言われてしまいました。

 

 

最後の望みとしてお医者さんから紹介してくださった「サポートセンター名古屋」に転がり込みました。

一ヶ月寝食をともにし、様々な事を体験させてもらいました。

 

 

その結果はセンターでは支援ができないと言う事でした。

どんなに頑張っても、今のセンターのスタッフの力量や体制では

お力になれないとのことでした。

 

 

 

それまでに何件も施設で訓練を受けてきて、全て断られていたんです。

だから、父親としてはここを断られたら、確実に刑務所行きと思っていたでしょう。

 

 

 

僕も暴力団にお世話になるしかないと心では思っていました。

俺を否定し続けたこの社会に復讐してやりたいと、強い憎しみをいだいていましたから。

 

 

 

それを、お人好しの青木さんが、拾ってくれたんです。

あのとき、心を鬼にしていれば、もっと楽な運営だったのにと

青木大先生はきっと後悔していると思います。

 

 

はい、それほどまでに、青木さんには、ご迷惑をかけたと思います。

いつか、給与をもらったら、青木さんを有名なレストランにお連れしようと思っています。

 

 

でも順番は、彼女、母親、父親、他の家族、その次に青木さんです。

 

 

もう教会に行く時間です。

それでは、行ってきます。

 

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