発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

病気が治る魔法のことば。ドラゴンズ

 

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名前は「ドラゴンズ」としておいてください。

私はこの度、サポートセンターの「ボランティア活動」に参加しましたので、その報告をいたします。

 

 

 

参加人数はスタッフが4人と私です。

朝、9時に住んでいるマンションを出て、1時間で支援している小学校に着きました。

私は今回で7度目の参加です。

 

 

車の音を聞きつけて、子どもたちが教室から駆け出してきます。

子どもたちからいつも聞かれることは「Joeはどこ?」です。

 

 

 

私はJoeを知っています。

Joeはとても優しい人です。

私に優しくしてくれました。

 

 

「Joeさんはよその場所の中華料理店で働いているよ。」と私は言いました。

「おじさんは嘘つきだ。Joeはネイチャーガイドになるのが夢なんだよ。」

 

 

大人の事情がわからない子どもには、何を言っても無駄なので黙っていました。

 

 

 

早速、古着を配布します。

サポートセンターの決まりで、一人一人に挨拶をして手渡しするのです。

私はビサヤ語を勉強していますので、ビサヤ語で「こんにちわ」と言って一人一人手渡ししていきました。

 

 

どの子どもたちも笑顔です。

私は最初の時に「古着なんて差し上げたら、失礼じゃないですか」とスタッフに聞きました。

 

 

 

フィリピンの現実を何も知らない私は、日本の常識で物事を考えたり判断したりしていました。

 

 

みなさんからいただく古着を子どもたちは大切に抱えて教室に戻ります。

その姿を見ていたら、私は毎回泣いてしまいます。

 

 

1度目の古着を配布していた時に、仲良くなった女の子ができました。

素敵な笑顔を私にくれます。

そして、私に話しかけてくれたのです。

 

 

「おじさんの住んでいる日本はどっちの方向なの。」

たわいもない話題が多いです。

 

 

しかし、「お母さん病気で寝ているよ。私が妹の面倒を見ているけど、そしたら私は学校にこれないんだ。」と寂しそうな顔をして話してくれました。

 

 

私は何かしたくて「おじさんは病気が治る魔法のことばを知っているから、今からお祈りしてあげる。」と言いました。

「チチンプイプイ・・・・・・」

 

 

 

「お母さんの病気はこれで治るんだ!!」

女の子は飛び跳ねて喜んでいました。

 

 

 

2度目の訪問。

私はその子の姿を探しました。

見当たりません。

 

 

校長先生に聞きましたら「長いこと休んでいる。」とのこと。

青木さんに「その子の家を訪問したい。」と頼みました。

でも、とても足場が悪いので、行けないとと言われました。

 

 

 

3度目の訪問、4度目の訪問。

彼女の姿を見ることはできませんでした。

そして今回。

 

 

彼女と出会うことができました。

「おじさん、魔法のことば効いたよ。お母さんね、病気が治ったの。」と満面の笑みを浮かべて、私の所に駆け寄ってきてくれました。

 

 

わたしは大泣きしてしまいました。

私にとって初めての友達のような気がしました。

私に話しかけてくれたそのことだけで、もう充分でした。

 

 

私は高校を出てから、家に引きこもりました。

家からは全く出ることができませんでした。

5年前に青木さんからハガキが届きました。

 

 

それがきっかけで家から出ることにしました。

今はフィリピンに住んでいます。

 

 

50歳で、体のあちらこちらが悪くなっています。

今から働くことは難しいのはわかっています。

でも死ぬその時までに、何か人の役に立ちたいと思っています。

 

 

そのために今、英語とビサヤ語を勉強しています。

よろしくお願いします。

 

 

古着をください。

たくさんの子どもたちが喜んでいます。

私はお願いすることしかできません。

 

 

よろしくお願いします。

 

 

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これからのこと。最終回です。山田。

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山田です。

風邪も治りましたのでまた書かせてもらいます。

 

 

フィリピン人と日本人は違います。

何が違うかと言いますと、例えば温度の感じ方です。

映画館や病院、タクシーなどではエアコンの温度はほとんど、16度に設定してあります。

 

 

それでもフィリピン人は平気なのです。

もちろん国の半数の家庭にはエアコンはありません。

ないから、これみよがしにつけるのでしょうか?

 

 

フィリピンにお越しの際にはお気をつけください。

僕もなんども言われていましたが、やられてしまいました。

 

 

僕が書かない間、急遽、代わりに書いてくださいました東大さん、Mr.Joeさんありがとうございました。

 

 

 

またアドバイスもありがとうございました。

 

 

「来た当初からくらべたら、大きく成長しているんだよ。」スタッフにそう言われても、僕がそう感じる必要があるわけですよ。

 

 

自分がそう思っていないなら、やっぱりそんなに成長していないとおもいますがね。

 

 

でもやるしかないんです。

ぐずぐずしている時間はありませんから。

 

 

僕はこの6月からフィリピンの大学に行きます。

その間に何が自分に向いているのかを調べます。

フィリピンの大学は取った科目を持って違う大学に編入が簡単にできるのです。

 

 

大学卒業後は、フィリピンで数年間、研修のような形で働いて、それを就労実績として、日本で仕事を探す。

 

 

それがいいのではないかとスタッフが、進言してくれました。

 

 

その方向で進んでいくことに決めました。

 

 

 

それと「やり残したリスト」を元にして、できなくて悔しかったことを今一度やっていきます。

 

 

例えば「木工版画」です。

 

 

僕は力の加減がうまくできなくて、穴を開けてしまいました。

それが恥ずかしくて、授業がある日は休みました。

 

 

 

だから「木工版画」をもう一度、納得いくまでやりたいです。

 

 

「大縄跳び」ができなかった。

「懸垂」「バスケットボール」「写生」「本立て作り」「音符の長さを手を叩くことで表す。」「準備体操」「フォークダンス

 

 

まだまだあります。

これらを全て「やれた。」としたいのです。

そしたら、もう小、中の悲しい思い出とも、おさらばできるはずです。

 

 

 

それが終わって、大学の授業に慣れた頃から、色々なことにチャレンジしてもらうとスタッフは言いました。

 

 

 

「サーフィン」「ダンス」「スキューバーダイビング」「空手」「ボクシング」「マジック」などなど。

 

 

他の人ができないけれど、僕はできるということをどんどん増やしていくそうです。

でも、できなくてイライラして、さじを投げることはしないと念をおされています。

 

 

僕の新しい時が始まりました。

 

 

僕の書きたいことはもうなくなりました。

 

 

「多分、親に対しての質問があるよ。」とスタッフがぼくに言いました。

 

 

 

父親は子育てに無関心な感じです。

いつも仕事に逃げている。

あまり感情も無い人ですね。

 

 

母親はあまりいろんなことがよくわかっていない人ではないかと思います。

上品ですが、たくましさが無いです。

色々なことでよく泣いていました。

 

 

 

母親は、僕が学校に行かないことを、祖母から随分ひどく責められていました。

母親のせいでは無いのに、責められていた。

父親にも相談したれけれど「俺は仕事で忙しいんだ。子育てはお前の仕事だろ。」と怒っているのを僕は聞きました。

 

 

それで、僕は自分の存在を憎みました。

「僕がいなければ、母親は楽になれるのに。」って。

 

 

母親に対しては申し訳ないと思っています。

祖母は絶対に許せません。

 

 

でも今は、日本から離れて良かったと思っています。

 

 

以上です。

 

 

みなさま読んでくださり、ありがとうございました。

コメントを下さった方、嬉しかったです。

 

 

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ひきこもっている自分への罰 東大。

 

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人生を楽しむ。

ひきこもっていた時には考えたことがありません。

ひきこもっているお前がなぜ人生を楽しむことができるんだ。

 

 

 

家でじっとしていることしかできない奴は、最低限の生活をするべきなんだ。

 

 

 

 

誰からもそんなことを言われたことがありません。

でも世の中の皆さんは僕の存在を知ったら、そう思うはずだと思っていました。

 

 

 

だから生きていくことはとても辛かったのです。

そんな僕の悲しみを知らずに、僕の心臓は止まることをせず、身体中に血液を運んでいるのです。

 

 

 

 

同じ服を着続けていました。

えりがボロボロでした。

 

 

 

服は二着しか持っていなかったです。

見かねた母が買ってきた服にも袖を通さずにいました。

ある時、僕の愛用の服の代わりに、真新しい服が僕の部屋に置いてありました。

 

 

 

 

「お母さん、僕の服はどこにあるの?」

「服って、あのボロボロの服でしょ。捨てたよ。」

「どこに捨てた!!ねえ、どこに捨てたの。」

 

 

 

「いい加減にしなさい。服ならいくらでも買えるでしょ。」

「せめて、服ぐらい新しいのを着なさい。」

僕は、母の返事を待たずにゴミ箱から僕の服を探し出しました。

 

 

 

 

そして、母が買ってきた新しい服をゴミ箱に捨てたのです。

 

 

 

今思い出しても、申し訳ないことをしたと思っています。

母が生きている間にそのことを謝ろうと思っていましたが、謝る機会を逸してしまいました。

 

 

 

新しい服を着ることが怖かったのです。

何もできない、何の役にも立っていない人間が新しい服など着てはいけないのです。

僕にはボロボロの服がお似合いなのです。

 

 

 

今思えば、僕は僕に重い罰を与えていたんだと思います。

 

 

このような状況は僕だけではなく、多くのひきこもっている人たちに見られるものなのです。

 

 

 

青木も、俊介兄いも、僕も、三郎さんも、みんなひきこもっていた自分自身に重い罰を与えていたのです。

 

 

 

僕はこの正月に休みをもらいました。

スパイダーマン」の映画を見たのです。

しかし、チケット売り場の前で足がすくみました。

 

 

動けないのです。

「映画なんか見るご身分ですか?」誰かが背後で囁いた気がして振り返りました。

パニックになりそうでした。

 

 

 

青木に電話をしました。

「支援している人全員問題ありません。」

「・・・・・・・」

 

 

「今日は休みでしょ。」

「ええ、昨晩連絡ができなかったのでその報告です。」

 

 

「そうなんだ。東大さんは今何をしていますか。」

「ちょうど映画をみようと思いまして、チケット売り場に来ています。」

 

 

「いいね。楽しんでね。映画がどうだったかも、あとで教えてください。もっと人間らしい生活にしてあげないといけないんだけど、本当にごめんね。」

 

 

 その優しい言葉にもう少しで涙が出るところです。

青木の言葉に押されて、チケットを購入。

館内ではカップルや、親子連れが映画を楽しんでいました。

 

 

 

誰もがしている映画を見ることを僕もできたことを嬉しく思います。

僕はもう自分に罰を与えることをしなくなったのです。

 

 

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失敗は成長に繋がっている Mr.Joe

 

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毎日のように研修を受けています。

年末年始も休みは1日だけでした。

でも動き回ることが嬉しいのです。

 

 

 

毎日なんども失敗をしてしまいます。

活動しているから当然失敗するのです。

 

 

失敗はしたくないと昔は思っていました。

今は失敗すればするほど、成長することができていると自分に言い聞かせています。

 

 

山田さんの辛さは僕にもわかるかなと思っています。

周りの人ができることが僕にはできない。

小、中と僕も同じように感じていました。

 

 

とうとう、中学校で怖くなって行けなくなってしまいました。

だから山田さんと僕は同じ仲間なんですよ。

 

 

でもサポートセンターに来てからは、できることが一つずつ増えていっています。

できないことが山ほどあった僕です。

でもできることが一つずつ増えていきます。

 

 

できないという負の感情に支配されていた僕が、今では、「これもできた、あれもできた。」というプラスの感情に意識が向くようになりました。

これは僕の大きな変化だと思っています。

 

 

 

だからなのか、もう2度とひきこもることはないと僕は思います。

この世の中はとても楽しいですから。

今は寝ている時間も惜しいぐらいです。

 

 

 

さて、僕宛にお便りが日本の事務所に届きました。

僕と同じ年齢で、高校中退してから、今までひきこもっている方です。

やはり小、中とみんなについて行けなかったそうです。

 

 

それで自信を無くしてひきこもってしまったそうです。

ご両親がこのブログを読み続けてくださっています。

お子さんにこのブログを読ませたいそうです。

 

 

 

まだ希望はあることを息子さんに伝えたいそうです。

それで、息子さんにこのブログを伝えても良いかと手紙の中で質問されていました。

青木さんに聞きました。

 

 

 

「親子間で会話がほとんどなく、家庭内暴力もみられるようなら、見せないほうが良い。」

 

 

 

「親子間でコミニュケーションが常日頃あり、親のことを信じてくれているならすぐにでも見せたほうが良い。」

 

 

とのことでした。

当たり前の返事でしたね。

 

 

 

僕の場合は、両親からさりげなくサポートセンターの情報を伝えられました。

積極的に「こんな団体があるから、行ってみないか」と言われたら、もちろん行きはしないです。

 

 

強制的に何かをやらされると想像しますから。

「こんな僕のような状況に、優しくそして徹底的に寄り添ってくれる人や団体なんかあるわけない。」と固く思っていましたからね。

 

 

 

社会に戻れるための具体的な方法。

そして、それは修行や強制的なものではないこと。

むしろ、楽しいこと。

 

 

それがひきこもっている本人さんたちにわかれば、この世からひきこもりはなくなると僕は思っています。

 

 

 

僕のようなお子さんを持つご両親様。

どうか、ここは1つ冷静に、そして策を練って子どもたちに相対しましょうよ。

 

 

僕にできることはなんでもします。

3月には自動車免許を取るために、日本に1ヶ月間滞在します。

僕で良ければ、その時に面談でもなんでもいたします。

 

 

話は変わります。

今、30年間ひきこもっていた「50代男さん」という方をサポートセンターは支援しています。

 

 

すごい頑張りで日々プログラムをこなしていますよ。

彼が、経済的に自立して、結婚して家庭を築けたら、それは全国100万人のひきこもっている方への、大きな希望になりますね。

 

 

 

あなたの本気、全国の皆さんに見せてくださいよ !!

 

 

 

フレー!! フレー!!  50代男さん ソレ!!

 

 

 

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30年間ひきこもってやっと気づいたこと。東大

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山田さん、風邪を拗らせてしまったようですね。

「風邪なんか引いている場合じゃないのに。情けない、情けない」と落ち込んでいるとのこと。

 

 

 

まあ、数日間程度なら問題ないですよ。

君なら余裕で取り返せるからね。

 

 

 

焦ってしまって投げだしてしまう事が1番よくない事だよ。

ここはひとまずゆっくりと休養しましょうよ。

 

 

 

えっ、「30年間もゆっくりしていたお前にだけは言われたくない」って?

ごもっともでございます。

僕みたいにならなくて良かったですよ。

 

 

 

まだ30代でしたよね。

充分に挽回できますよ。

同世代に追いつきたいんでしょ。

 

 

 

追いつくだけでいいんですか?

圧倒的な差で同世代を引き離したいんでしょ。

 

 

 

山田さんだけではなく、ひきこもってしまった多くの人はみんなそういう考えを持っていましたよ。

実は、僕自身も一発逆転を狙ってましたね。

 

 

 

医者になればいいんだ。

そうしたらみんなに顔見せできる。

医者にだってなれるさ。

 

 

弁護士でもいいな。

今からやり直そうか。

僕なら弁護士にだってなれる。

 

 

 

ハーバード大学を挑戦したいんです。」

「MITに行きたいのですが、助けてもらえますか。」

すごいですよ。東大を飛越して、海外の有名大学の受験を考えているひきこもりの人も案外おおかったですね。

 

 

 

でもみんな言うだけ番長なんです。

「そんなことを言って、実際やり遂げたひきこもりの人は今までいましたか?」と青木に問いかけました。

 

 

 

答えは「いない」でした。

 

 

そこまで自分を追い詰めなくても幸せになれますよ。

最近やっとその事がわかった僕です。

30年間ひきこもってやっと気づいたんですよ。

 

 

 

自分のことを好きになってくれる女性が1人いれば、僕はそれで充分ですよ。

もちろん、自分に子どもが授かれば言うことなしです。

 

 

 

子どもと奥さんと3人で公園に行き、奥さんが作ってくれたランチをベンチに座って食べる。

そんな場面を想像するだけで、涙が出てしまう最近の僕です。

 

 

幸せは僕の周りにあったのです。

それに気づかないだけの僕でした。

 

 

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スタッフと僕が泣いた日。東大

 

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僕は泣かない人間だと思っていました。

小学生の時、家で飼っていた愛犬が車に轢かれてなくなりました。

兄弟は悲しみのあまり、数日間学校を休んでしまいました。

 

 

どうしてこんなことが起こるのかと、怒りを表していたその姿を今でもよく覚えています。

 

 

 

なんの反応も示さなかった僕に、兄弟はその怒りの矛先を向けました。

「勉強はできるが、人間としての優しさがお前には足りない。」と。

 

 

 

そう言われても・・・・・・。

僕も僕なりに悲しかったですけれど、泣くまでもありませんでした。

しかし、僕を省く家族全員の涙をこの時見たのです。

 

 

 

あの変わった父親ですら涙していたことに驚いていたぼくです。

 

 

東大の合格発表の瞬間。

母は泣いていました。

「よかった。よかった。」と何度もつぶやいていた母。

 

 

滅多に感情をあらわにする人ではないのですが、この時は違っていました。

そんな母が僕に聞きました。

「隆は嬉しくないのかい。」って。

 

 

嬉しいか、嬉しくないかと尋ねられれば、答えは嬉しかったです。

しかし、その時母には何も答えませんでした。

 

 

そんな母が数年前になくなりました。

流石に涙が出ました。

しかし兄弟からは「やっぱり変わらないね。少しは悲しいという感情がないの?」と言われたのです。

 

 

そんな僕が最近泣いたのです。

 

 

女性スタッフが支援をしている生徒がいます。

以前ヒロさんがブログで書いた生徒です。

 

smilehousejapan.hatenablog.com

 

 女性スタッフは2年間青年を支援しています。

今は彼が学校に行き続けられるようにと、同じ学校に入学して、クラスメイトにまでなって支援をしているのです。

 

 

しかし女性スタッフの優しさに答えるどころか、冷たい態度や発言をスタッフに返します。

 

 

もちろん僕たちは、彼らに「お仕えする」という気持ちで支援をしています。

決して支援をしている人から、優しさを求めようとはしません。

 

 

しかし僕たちも感情を持つ人間ですから、冷たい態度を取られ続けると、自分の何がいけないのだろうかと、自己否定な気持ちを持ってしまいがちです。

 

 

その女性スタッフはほんとうに一途に青年に仕えていました。

 

 

そんな女性スタッフが最近体調を崩して入院しました。

すぐに別のスタッフが青年の支援をひきついだのです。

女性スタッフは入院中も、青年に対して励ましのメールを送り続けていました。

 

 

 

そして退院の翌日には、学校に復帰したのです。

 

 

そんなスタッフに青年が「僕は大丈夫だから、まだ休んでいてください。」と話したというのです。

 

 

 

2年間毎日一緒にいて、初めて優しい言葉をかけてもらったのです。

 

 

この言葉に担当スタッフはとても強く心を揺さぶられました。

事務所に帰るなり泣き出したのです。

「よかった。よかった。」となんどもなんども同じ言葉を繰り返していました。

 

 

 

僕もその報告を聞いて泣いてしまいました。

大粒の涙が頬をつたいます。

母が亡くなった時にもこんなには泣かなかったのに。

 

 

気持ちを落ち着かせるために外に出て歩きました。

以前ヒロさんから勧められて見た映画のワンシーンが思い出されました。

 

 

 

たくさんの人たちに見守られて、生徒たちは回復していくのです。

 

 

もちろん僕たち支援者も同じです。

 

 

卒業まであともう少しだよ。

本当によく頑張ったね。

僕は君を誇らしく思うよ。

 

 

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30年ひきこもった僕から山田さんへ。東大

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山田さん、風邪を引いてしまい、お休みしていますので、僕が代わりにブログを書きます。

 

 

 

僕は山田さんを知りません。

仮名で書かれていますので、「以前に僕が訪問していた人ですか」と青木に聞きましたら、僕は訪問していないとのことです。

 

 

「サポートセンターで支援をしている人なのに、知らない人がいるなんて!!」とお怒りの電話が読者の方から来そうです。

 

 

 

サポートセンターで支援をしている人たちは、状況としては重い人たちです。

 

 

 

ですから、1人1人個別支援をしています。

住む場所も1人1人違うのです。

決して1部屋に2人で住むなんてことはしていないのです。

 

 

もちろんスタッフは同じマンションの違う階に部屋を借りて一日中支援をするのです。

 

 

 また、状況が重いと言いましても、医療にかかっている人たちや、薬を服用している人たちの支援はできないのです。

 

 

私たちが提供するのは、医療的支援ではなく、あくまでも教育的な支援ですから。

 

 

簡単には、人前には出られない過去を持つ人たち(という言い方が適切なのかどうかは僕にはわかりませんが。)の支援を青木が専属でしています。

 

 

その方達の情報は一切出せないのです。

僕やヒロさんも知らない人たちです。

 

 

 ただ、ブログを山田さんに書かせているところをみると、そんなに大変な人ではないと思いました。

 

 

 

いずれ調子が安定してきましたら、僕たちが支援を担当することになるかもしれません。

そんな山田さんです。

 

 

 

山田さんの文章を読んでいますと、大変な過去に僕の心が痛みました。

 

 

 

青木がこの先の支援をどう考えているのかが知りたくて、聞いたところ、「とにかく、モチベーションを下げないように、毎日フォローすることが大切。」

 

 

 

「1年あれば、自分で考えて少しは行動できるまでになるとみています。」とのこと。

 

 

 

「今の問題点はなんですか?」

「同年齢の人たちと比較して、自分はダメだと考えて、気持ちが下がってしまうんだよ。それで、日々のプログラムが計画通りに進まない。」とのこと。

 

 

 

「まあ自信をつけていけば、落ち着き、支援が中断することも少なくなっていくよね。」と僕に相槌を求める青木です。

 

 

「その通りです。時間がかかるということを、僕を初め支援者は肝に命じないといけません。」

そんなふうに、青木に向かって、はっきりと言えた自分に驚きました。

 

 

 

「それにしても、山田さんが書いているブログをみると、日々成長していますよね。」

「やはり、ブログを書くのは、大きな回復プログラムですね。」

 

 

「・・・・・・・」

「青木さん?」

寝息が聞こえます。

 

 

 

どうも日々の疲れが出てしまったようで、電話中に寝てしまったようです。

「ありがとうございました。おやすみなさい。」と言って電話を切りました。

 

 

山田さんが書いてくれているおかげで、読者の皆さんに回復の過程がお伝えできていると思うのです。

いかがでしょうか。

 

 

パニックになってしまった山田さんを助けるために、スタッフが機転を効かして、台車で山田さんを運んだくだりを読んで僕は泣いてしまいました。

 

 

 

ただ、ただ、ありがたいと心で手を合わせた僕です。

 

 

 

山田さん、大丈夫なんですよ。

東大出て、30年間も部屋でじっとしていただけの僕にはできないことは、いっぱいあります。

 

 

 

情けなくて、死んでしまいたいと思ったこともあります。

でも、死ねなかったです。

 

 

 

できないことがあっても、だれかに助けてもらえばいいし、他の人ができないのに、自分はできることがあればもっといいんですよ。

 

 

 

僕は仕事をもらえて、お給料もいただけるまでになりました。

今年はなんとかして結婚をと考えています。

 

 

 

もうすぐ、60近い男なんですけれど、夢は捨てていません。

 

 

とにかく僕から言えることは、「あなたの人生なんですから、あなたが楽しむんですよ!!」です。

 

 

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