発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

誰もが栗原類さんのお母さんのようにはなれない。東大

 

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最初にお断りしておきます。

 

 

今日のブログの内容は、栗原類さんや栗原類さんのお母さんを否定しているものではありません。

 

出された本はすばらしい内容で、そこからは多くの子育てに関するヒントを得られると僕やサポートセンターはそう思っています。

 

 

さて。

発達障害が問題なのではなく、その特性や周りの環境によって生み出される二次障害が問題なのです。

 

 

自分が発達障害の特性を持っていることも知らずに、学校や社会で苦労しながらも生活している人たちの方が、僕たちのような状況の人たちより圧倒的に多いと思うのです。

 

 

発達障害が大変だという誤解を防ぐためにも、僕たちは自分たちのことをあえて「程度の悪いアスペルガー」と自称しているのです。

 

 

さて、「ブレない子育て」という書籍が今年の6月に発刊されました。

 

 

評判が良くて販売部数を伸ばしているとのことです。

サポートセンターにもありましたので、少し目を通しました。

 

 

少し目を通した程度の感想ですが、類さんのお母さんの素晴らしさに感動しました。

 

弱さを覚えながらも周りの人たちの助けを借りて、冷静に前向きに息子さんの「類」さんを育てられたことに感動したのです。

 

 

サポートセンターで支援をしている子どものお母さんもこの本を手にとってみえる方が多いですね。

 

 

しかし、最近面談に訪れたお母様がとても悲しそうな顔で、この本の感想を話されていました。

 

 

姑さんが孫(発達障害の当事者で状況がかなり悪い人です。)の教育にとても熱心で、何かと言うと口を出してきて、嫁と姑の間で口喧嘩が始まるそうです。

 

 

 

そんな姑が、嫁にこの栗原類さんのお母様の書籍を手渡した時に、一言付け加えたそうです。

 

 

「あなたもこの本を読んで、類さんのお母さんのようになったら。」と。

 

 

実はこのお母様はひどい鬱を発症しておられ、薬を定期的に服用されておられます。

 

 

僕が相談の場でお母様と話をした限りでは、とても状況の悪い息子さんとま向かうことが困難だと感じました。

 

 

 

お母様が大変な状況はヒロさん、青木、大統領でも見られました。

また、僕の母やMr.Joeのご両親も有効な支援に出会うまでに30年、20年とかかっています。

 

 

自分の子どものことを愛おしいと思わない親はいないでしょう。

 

 

僕の母にしてもなんとかして、息子を幸せにしたいと思っていました。

しかし、母の性格上、うまく息子とま向かうことができなかったのです。

 

 

そのことは批判されるべきことでしょうか。

誰もが「栗原類さんのおかあさんのようにはなれないのです。」

 

 

もしあなたの知り合いに、お子さんの子育てに大変困っているお知り合いがいましたら、どうか、このような本をお渡しになる時に一言付け加えてもらえないでしょうか。

 

 

 

「類さんのお母さんは特別ですよね。私もこんなお母さんになれたらと思ったけど、無理だわ。でもこの本には希望がいっぱ詰まっているから、読んで気が楽になれるかもしれないわ。」と。

 

 

細かな話でごめんなさい。

 

 

青木は僕の母に2度会っています。

80をゆうに超えた母が、電車を乗り継いで、青木に会ったのです。

 

 

「ご高齢ですから、私がご自宅近くまで参ります。」と青木が母の体調を心配してくれたのですが、それは失礼に当たるからとわざわざ電車を乗り継いで青木に会ってくれた母。

 

 

その席上何度もなんども、「息子がこんな風になってしまったのは、全て私の責任です。息子に謝りたいが、それすら怖くてできない。」と泣きながら話した母。

 

 

自分では動くことができなかった僕には、みじかにいる母のみが支援者だったことには違いありません。

しかし、それを母に押し付けることは到底できなかったのです。

 

僕は母を責めることはしません。

僕には十分すぎるほどの母でしたから。

 

 

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30年間ひきこもった自閉症の僕が海外の大学で強く感じたこと 東大

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 左上の背の高い生徒がヤン君。彼が僕に話しかけてくれている写真を紛失しました。

 

 

それは「30年間ひきこもった僕でも受け止めてくれた場所と人」だったということです。

 

 

僕が変わったのでフィリピンの人たちが僕を受け入れてくれたわけではありません。

ひきこもりから一歩踏み出したばかりの僕が、果敢に挑戦した大学でそのことを強く感じたのです

 

 

もちろん日本で誰かから30年ひきこもったことをひどく非難されたわけではありません。

日本の社会は僕を排除すると僕が勝手に思い込んでいただけです。

 

 

しかし、僕が思い込むというのは、やはり日本の社会にそれなりのことを感じていたからだと思います。

 

 

何より100万人という人たちが日本でひきこもっている状況がそのことを示しているのではないでしょうか。

 

 

では、具体的にフィリピンで僕が何を感じたかをおしらせします。

 

 

キーワードは「多様性」です。

 

  • 異なる宗教を認める国だった。

 

カトリックプロテスタントイスラム、ヒンズー、仏教、イグレシアなどなど。

学食には、イスラム教の人の為のメニューが置かれてありました。

  • LGBTが社会に溶け込んでいた。

大学にL(レズビアン)G(ゲイ)B(バイセクシャル) T(トランスジェンダー)の生徒が普通にいて、そうでない生徒たちとも普通に接していたこと。

 

 

  • 生徒の年齢がまちまちだったこと。

30歳前後の女生徒が自分の子どもの面倒をみる人がいないといういことで、子どを教室内で遊ばせていたことに対して、教師も生徒も受け止めていたこと。30代、40代の生徒も多くはないが在籍していた。

 

  • 障害を持った生徒が多く見られた。

顔にあざやできものがある生徒、身体に重い障害を抱えている生徒。

しかし、大学は残念ながら障害を持った方々に配慮した設備ではなかった。ところが、身体が不自由な生徒に対して、周りにいる生徒が自分のことのように気にかけていたことがとても驚きだった。

 

 

また、顔にあざやできものがある生徒が、普通に学内の喫茶店で楽しくおしゃべりをしている風景をなんども見た。

 

 

  • 色々な国の生徒が在籍していて、普通に溶け込んでいた。

東大でも留学生はいました。

しかし、僕には特別な存在と感じていました。

 

 

 

僕がはじめて大学に登校した日。

1人の生徒が僕を見つけるなり小走りで近づいてきて、こう言った。

 

 

「ぼくの名前は、ヤンです。はじめまして。日本人の東大さんですね。教授から聞きましたです。どうぞよろしくお願いいたしますです。」彼の変な日本語でぼくの緊張は一気に和らいだ。

 

 

一緒に付いてきた青木が英語で聞いた。

「どうして、あなたは挨拶をしてくれたのですか」

「友達になりたいのです。日本は素晴らしい国です。僕たちの国を助けてくれています。ILOVE JAPAN !!」

 

 

青木の質問の意味を理解したのだろう、つづけてこう言った。

 

「ぼくがたまたま、一番最初に話しかけただけです。教室内にいるみんなは東大さんのことをみんな知りたがっているよ。」と話した途端、他の生徒が一斉にぼくのところに押しかけてきた。

 

 

ぼくはパニックになる寸前だった。

 

 

明日に続きます。

 

 

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東大は発達障害の人の割合が多い?東大

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  30数年ぶりに訪れた母校東大。感情が交錯しました。
 

 

 

30年間のひきこもりから回復してフィリピンになかば強制的に連れて行かれた僕です。

 

 

 初回の2週間は徹底的に遊ばさせられました。

強制的に遊ばさせられたのです。

30年間ひきこもっていたんですよ。

 

 

ひきこもっていた部屋から30年ぶりに外に出て青木と会いました。

青木はその足で、パスポートを取る手続きを僕と一緒にしたのです。

 

 

それから2度目の外出がフィリピンです。

昼夜逆転の生活が数十年続いていました。

家の中で閉じこもっていましたので、体力も恐ろしくありませんでした。

 

 

そんな僕をフィリピンに連れて行く。

それは狂気の沙汰です。

 

 

フラフラになりながら、青木に支えながら行ったフィリピンです。

 

 

なんども同じことは書きたくないので省略しますが、1度目のフィリピンで僕の中で長いこと眠っていた何かが目を覚したのです。

 

 

そして僕はもう一度あのフィリピンの喧騒の世界に戻りたいと思いました。

あそこならば僕はもう一度精気を取り戻し、本来の自分を取り戻せるとも感じたのです。

 

 

2度目のフィリピンで早くも大学に行くことが決定していました。

あとで青木から聞いた話ですが、僕に関する5年間の回復プログラムは、2度目のフィリピンが決まった時にすでに決まっていたのです

 

 

スタッフに背中を押されて訪問した大学はフィリピンでもっとも優秀な学生が集まる私立大学でした。

 

 

しかし、そこは僕が通っていた私立高校や東大とは全く雰囲気が違っていました。

 

 

今まで書いてきましたが、東大は他人に関心を持たない生徒がおおかったです。

 

 

また、一目見ておかしいと感じてしまう生徒もいました。

多分東大の構内で見たので大丈夫だったのでしょうが、東大構内を一歩でるとたちまち、周りから好奇な目に晒されてしまうような生徒たちです。

 

 

少し言い過ぎではと思われるかもしれませんが、僕はそのように感じたのです。

 

 

それ以上に東大の教職者には違和感を感じた人たちがいました。

 

 

生徒の方を向かずに黒板と会話しながら授業を進める教師。

優秀な生徒の挑発に乗ってしまい、授業とは関係ないやり合いをしてしまう教師。

結局教師に「私の負けです。」と認めさせてしまった生徒の能力にも驚きましたね。

 

 

多分発達障害の割合が他の学校や団体よりも高いのが東大ではなかったのかと、今思います。

 

 

そんな大学でしたから、僕は僕のおかしさに目をやる必要がありませんでした。

そういう意味でとても快適だったのです。

勉強さえしていればよかったのですから。

 

 

しかし、その先には現実の僕と相対さなければならない時が待っていたのです。

僕はただ、自分の中の大きな問題を先送りしていただけだったのです。

 

 

しかも就職目前というその時になって初めて自分の問題に直面したのです。

万事休す。

それから30年間ひきこもってしまったのは全て自分のせいなのです。

 

 

そんな僕が、フィリピンの大学に通って感じたのです。

もしこの地で高校生から過ごしていたら、僕は全く違う僕になっていたのではないかと。

 

 

それほどフィリピンの大学の雰囲気は、僕の頑なな心を変えるのに十分すぎるほどの強力なホスピタリティを持っていたのですから。

 

 

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発達障害な僕が東大で失敗したこと。東大

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「東大での学生生活はとても快適だった。」と昨日書きました。

 

それは僕が通っていた私立の進学校と同じ雰囲気だったからです。

私立高校では勉強さえしていればよかったのです。

それで同級生達からその存在を認められていましたから。

 

 

東大も同じです。

勉強さえしていれば良かったのです。

 

 

私立高校でも東大でも、在籍する生徒はみんな自分を中心として、半径2メートルくらいのセイフティゾーンを持っていた感じがします。

 

 

誰もそのゾーンを超えて入ってくることはないという安心感が僕には常にありました。

 

 

 

しかし、その安心感は自分が抱えている問題を直視することを避けることにつながってしまいます。

 

 

そして大学院での研究チームで僕は自分が抱えている問題に直面してしまいます。

 

その問題とは「他人とコミュニュケーションが取れない。」ということです。

 

 

チームでは1つのテーマをみんなで分担して研究していました。

僕には決められた期日までに研究結果のデーターを出すことが義務付けられていました。

 

しかし、チーム全体のスピードがとても早くて、僕はついていくことが困難になってしまいます。

 

 

その結果、チーム全体に迷惑をかけてしまうことになりました。

 

 

徹底的に謝罪すればよかったのです。

しかし、僕にはそれができなかったのです。

信じられないかもしれませんが、僕は謝罪の仕方を知りませんでした。

 

 

僕が他のメンバーと教授を前にして話したことは「ご迷惑をかけてすみませんでした。」のひとことだったのです。

 

 

今考えたら、もっと言葉を出して深く謝罪をし、「自分は今のこのポジションではまたみなさんに迷惑をかけてしまいますので、他のポジションに変えてもらえないでしょうか」とお願いすべきだったのです。

 

 

たった一言の謝罪を受け入れてくれたチームで、再び研究が開始されました。

しかし、またもや僕のデーターだけが提出されませんでした。

いいえ、データーを取り揃えることはできていました。

 

 

それを発表するところまで完成できなかったのです。

 

 

何か指摘されたらどうしよう。

きっと否定されるに違いない。

いろんな不安が頭をよぎりました。

 

 

結局2度目は担当教授から強い叱責を受けることになってしまいます。

それから僕は研究室に通うことができなくなってしまいました。

最後に担当教授から言われた言葉をいまでもはっきりと覚えています。

 

「君を企業に推薦することはできない。」

東大の場合はその教授の推薦で、ほぼ入社が決まります。

僕も大手企業の研究室に入社を考えていました。

 

 

しかし、その夢は教授の一言でなくなってしまいました。

つまり僕が今まで頑張ってきた成果が全て消えてしまったのです。

 

 

僕は頭の中が混乱してしまい様子がおかしくなってしまいました。

慌てた母親が担当教授に掛け合い、僕の大学院は終了と認定されましたが、やはり推薦は得られませんでした。

 

 

僕の様子はますますおかしくなり、母親に連れていってもらった病院で僕は色々と検査を受けて「発達障害」と診断されました。

 

 

担当医は「しばらくは静かにして、休みなさい。その後アルバイトなどでもやって経験を積みなさい。」とだけ言ってくれました。

 

 

その日から僕の30年間のひきこもりが始まったのです。

30年間僕は静かに休んでしまいました。

 

 

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東大は発達障害の人たちに合う環境です。東大

 

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ヒロさんの卒業式の写真です。素敵な笑顔です。誇らしいと思っているのでしょうね

 

 

 

自分は人と関わるのが苦手なタイプだということは高校時代から感じ始めていた。

 

 

しかし、自分にとってそれは大きな問題ではないと心配はしていませんでした。

同級生達の目標は良い大学に行くことで、そのことに関しては東大に合格できるとわかっていたからです。

 

東大に合格して思ったことが2つあります。

 

 

1つ目は自分は頭がよくないとわかったこと。

 

東大医学部という最難関の学部に学ぶ人たちの圧倒的な優秀さに驚きを通り越して、畏敬の念を持ったくらいです。

それまで自分は頭が良いと感じていました。

世界が広いことを学びました。

 

 

もう1つはその時にははっきりしなかったことで、今になってはっきりと思うところです。

 

2つ目は東大は僕にはとても居心地が良かったのです。

 

 

もちろん少なくとも大学院で研究チームに所属するまでの話です。

 

僕は私立高校の進学高校に通っていたのです。

その雰囲気は独特で、他者のことをあまり気遣わない人たちが多かったです。

よく言えば、みんな自立していて、そして相手の存在を尊重していた。

 

 

だからいじめじたいありませんでした。

 

 

その雰囲気を東大内でも感じたのです。

誰も他人に関心を持たないという雰囲気。

でも、互いに相手の存在を尊敬はしている。

 

 

ですから大学生活はとても快適でした。

 

 

話は変わりますが、僕たちアスペルガーの特徴に人をランクづけすることがあります。

今になって思うのですが、東大生には発達障害の生徒が多かったとかんじます。

ですから彼らは同じ優秀な生徒ということで、東大に所属する人たちを受け入れていたと思うのです。

 

 

学生だけでなく、教授もそのような雰囲気を醸し出していました。

 

とにかくおかしな人たちを多く見かけました。

そのおかげで、僕のおかしさも際立たなかったのだと今は感じます。

 

 

フィリピンの私立大学で一番優秀なところに入学しました。

ここでは1人で静かにしていることは不可能でした。

どこにいても周りの生徒が気遣ってくれるのです。

 

 

まあ、僕が唯一の日本人だったということもあります。

とにかく、学内にいるといろんな誘いを受けました。

それは僕にとってはとても苦痛でした。

 

 

いくら30年間のひきこもりから抜け出したとしても、簡単に他人と仲良くすることはできません。

 

しかし、僕はフィリビンの大学に在籍して、その素晴らしさに気づいたのです。

 

 

それはまた明日書きたいと思います。

 

 

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ひきこもったことを後悔しています。東大

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僕は今月で58歳になる。

もうすぐ60歳。

やはり焦りからくる諦めという気持ちが大きくなってきている。

 

 

東大大学院を修了してから30年近くひきこもっていた。

強烈なキャラクターの人間との出会いで、僕は30年間の幽閉状態から抜け出すことができた。

 

 

それから5年間、僕なりに一生懸命頑張ってきた。

色々と楽しいこともつづいたので頑張れた。

 

 

しかし、仕事をするようになって、社会に戻ることができて、より一層自分に欠けていることがよくわかってきた。

 

 

もちろんそれらの問題を正しく認識して、メンターと共に解決を目指せば良いことなのだ。

決して解決できない問題ではないことはこの5年間でわかった。

 

 

しかし、それには時間が必要なのだ。

今の僕は朝から晩まで働いている。

土日もほとんど仕事だ。

もちろんそれは、僕の要領の悪さの結果なのだということはわかっている。

 

 

はあ。

やはり無理なのか。

なんだかヒロさんと同じセリフを吐いている自分に驚く。

 

 

疲れてきました。

自分を変えていくことに疲れてきたのです。

情けない話ですが、「あのままひきこもっていてそのまま死んでしまった方がどれだけ楽だったのだろうか。」と考えてしまう。

 

外の世界の楽しさも知らなければそれはそのままだったはずだし。

 

 

結婚?

無理だ。

ガールフレンドを作ることさえできない。

 

 

このまま一生ひとりぼっちだろう。

 

 

今の僕でも、誰かの役に立つ人生だと一時はとても気持ちが前向きになった。

しかし、それ以上に自分が感じる情けなさに押しつぶされそうになる。

 

 

僕の人生はここまでなのか。

 

 

「待っていても向こうから何もやってこない。動きなさい。」

青木が、そのキャラクターらしくない微笑みを持って僕に言っても僕は動けない。

 

 

今の僕がみなさんに言えること。

「子どもをひきこもらせてはいけない。そこからは何も得ることはないのだから。」

 

 

せめてこのようにして、自分の今の状況を書くことで、少しは落ち着くことができます。

 

また明日もよろしくお願いします。

 

 

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52歳で18歳の女子生徒に告白された自閉症の僕。東大

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52歳の僕。童顔ですので若く見られたみたいです。フィリピンの片田舎にて

 

 

来月で僕は58歳になる。

そして2年後には60歳だ。

そのうちの半分の時間は自宅に引きこもっていた。

 

 

60歳になるとさすがに結婚することは難しくなるとはわかっている。

 

 

僕は子どもを望んでいるので、結婚対象の女性は20代から30代前半と限られてしまう。

もちろん日本人で僕との結婚を考えてくれる人たちはいない。

 

 

しかし、フィリピンだと今の僕でも結婚対象として見てくれるのです。

そんなバカな!!

読者の方はそう思うでしょうね。

 

 

もちろん、日本の赤いパスポート欲しさに、日本の高齢者を探しているフィリピン女性達は大勢います。

 

 

 

そんな女性の罠にハマって大変な目にあった日本人の高齢者の話も、よく耳に入って来ます。

 

 

彼女達はたくさんの兄弟に囲まれて、その中で唯一の労働者なのです。

家族の期待と未来を背負って日本で水商売の道を選びます。

 

 

高等教育を受けることさえできなかった女性達にはその道しか残されていないのです。

 

 

彼女達がいつも考えることは「お金」です。

そんな彼女達にとって、奥様に先立たれてひとりぐらしになった田舎のおじいさん達は格好の標的になるのです。

 

 

そんなこととも知らずに「あなたのことが大好き」という一言で舞い上がり、財布の紐を緩めてしまう高齢者たち。

 

 

やがて結婚。

 

 

結婚して3年経てば日本国籍がもらえます。

日本国籍を取得すれば日本で永久に働けます。

そして親族全員を呼び寄せることもできるのです。

耄碌した老人の元から蒸発して新しい人生を歩むことを選ぶのです。

 

 

 

サポートセンターには「フィリピン人の女性に騙されたので助けて欲しい。」との依頼がときどき舞い込みます。

フィリピンに溶け込んで活動していることで、きっと何か助けてくれるのではと思ったとのことです。

 

 

もちろん丁寧にお断りしています。

 

 

さて、こんな僕に付き合ってくださいと告白してくれたのは、同じ大学に通う19歳の女子学生でした。

 

 

僕の通っていた大学は、私立で一番有名な大学でお金持ちの姉弟しか入学できない大学です。

ですから、彼らは日本人のパスポートを必要としていないのです。

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           大学授業初日。全員18歳。戸惑う僕。

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  青木から「髪型変えますから」と有無を言わせず連れて行かれたサロン。

 

 

 

フィリピンという国に対して貧しいという印象を持たれていると思いますが、お金持ちもまた普通にいます。

多くは中国人の血筋を継ぐ人たちです。

 

 

自分の孫と言ってもおかしくない大学の同級生たちの家庭をお邪魔したことがありますが、驚くことばかりでした。

 

 

数々の最新式の電化製品。

 車はトヨタの高級車。

家にはプールがあったりもします。

 

 

僕に告白してくれた女生徒もそのような家庭環境だとあとで知らされました。

 

 

僕は人生で初めて「付き合ってください」と言われたことに驚きを通り越して、今何が起こっているのかが理解できなかったのです。

 

 

僕がはっきりとした返事をしなかったことに、その女子生徒とはいたく傷つき、ぼくの担当教授に文句を言いに行ったのです。

 

 

その話が担当教授から青木さんに届けられて、その後大変なお説教を青木から食らいました。

 

 

今から5年前のできごとです。

 

あれから5年が経っています。

 

少しは成長したのでしょうか。

今度青木とあったら聞いてみたいと思います。

それにしても僕の結婚は遠のくばかりですね。

 

 

皆様の応援が僕の背中を後押ししてくれます。

どうか、皆様のお力をお貸しください。

 

 

「しっかりしなよ、東大さん。」で結構です。

何かコメントをいただけたら嬉しいです。

 

 

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