発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年間ひきこもった自閉症の僕が海外の大学で強く感じたこと 東大

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 左上の背の高い生徒がヤン君。彼が僕に話しかけてくれている写真を紛失しました。

 

 

それは「30年間ひきこもった僕でも受け止めてくれた場所と人」だったということです。

 

 

僕が変わったのでフィリピンの人たちが僕を受け入れてくれたわけではありません。

ひきこもりから一歩踏み出したばかりの僕が、果敢に挑戦した大学でそのことを強く感じたのです

 

 

もちろん日本で誰かから30年ひきこもったことをひどく非難されたわけではありません。

日本の社会は僕を排除すると僕が勝手に思い込んでいただけです。

 

 

しかし、僕が思い込むというのは、やはり日本の社会にそれなりのことを感じていたからだと思います。

 

 

何より100万人という人たちが日本でひきこもっている状況がそのことを示しているのではないでしょうか。

 

 

では、具体的にフィリピンで僕が何を感じたかをおしらせします。

 

 

キーワードは「多様性」です。

 

  • 異なる宗教を認める国だった。

 

カトリックプロテスタントイスラム、ヒンズー、仏教、イグレシアなどなど。

学食には、イスラム教の人の為のメニューが置かれてありました。

  • LGBTが社会に溶け込んでいた。

大学にL(レズビアン)G(ゲイ)B(バイセクシャル) T(トランスジェンダー)の生徒が普通にいて、そうでない生徒たちとも普通に接していたこと。

 

 

  • 生徒の年齢がまちまちだったこと。

30歳前後の女生徒が自分の子どもの面倒をみる人がいないといういことで、子どを教室内で遊ばせていたことに対して、教師も生徒も受け止めていたこと。30代、40代の生徒も多くはないが在籍していた。

 

  • 障害を持った生徒が多く見られた。

顔にあざやできものがある生徒、身体に重い障害を抱えている生徒。

しかし、大学は残念ながら障害を持った方々に配慮した設備ではなかった。ところが、身体が不自由な生徒に対して、周りにいる生徒が自分のことのように気にかけていたことがとても驚きだった。

 

 

また、顔にあざやできものがある生徒が、普通に学内の喫茶店で楽しくおしゃべりをしている風景をなんども見た。

 

 

  • 色々な国の生徒が在籍していて、普通に溶け込んでいた。

東大でも留学生はいました。

しかし、僕には特別な存在と感じていました。

 

 

 

僕がはじめて大学に登校した日。

1人の生徒が僕を見つけるなり小走りで近づいてきて、こう言った。

 

 

「ぼくの名前は、ヤンです。はじめまして。日本人の東大さんですね。教授から聞きましたです。どうぞよろしくお願いいたしますです。」彼の変な日本語でぼくの緊張は一気に和らいだ。

 

 

一緒に付いてきた青木が英語で聞いた。

「どうして、あなたは挨拶をしてくれたのですか」

「友達になりたいのです。日本は素晴らしい国です。僕たちの国を助けてくれています。ILOVE JAPAN !!」

 

 

青木の質問の意味を理解したのだろう、つづけてこう言った。

 

「ぼくがたまたま、一番最初に話しかけただけです。教室内にいるみんなは東大さんのことをみんな知りたがっているよ。」と話した途端、他の生徒が一斉にぼくのところに押しかけてきた。

 

 

ぼくはパニックになる寸前だった。

 

 

明日に続きます。

 

 

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