カラオケを楽しむことそれも大切なこと? The shadow of your smile
ここフィリピンにまたおひとりおみえになりました。
早速僕がご案内です。
寿司が食べたいとのことで日本料理屋にお連れした次第です。
ご本人に了解を取っておりませんので、詳細はお伝えできません。
40代後半になってもう一度やり直したいと決断された方です。
そして今サポートセンターの契約社員をして活躍されている方です。
この方をドラさんとします(ドラえもんが大好きなので)。
ドラさんは家族以外の方と長年誰とも会わずにおられました。
そんなお子さんに対してご両親はどうして良いのかわからず手をこまねいていました。
で気付けば40代半ばです。(先に来られている50代の方とよく似ていますね。)
それでご親戚の方が心配されて、サポートセンター名古屋にご相談。
そして訪問。
この方もなかなかお会いするまでが大変で、最初のハガキを投函してから青木がお会いするまでに1年近くかかったのです。
そして何度も何度もご自宅を訪問して、「一緒にやっていきましょう。」との問いかけに、もう一度やり直す決断をされたのです。
ですから俺はこの方のことをよく知りませんでした。
でもお会いしてその外見から長い時間の大変さ、孤独さを感じました。
もう少しで泣いてしまうおいらでした。
そんなことをお迎えした空港で考えていたら、「ヒロ何してる、ぼーっとするな。車はいっちゃうよ。」との怒声が聞こえました。
しっかりしなければ!!
車の中で色々とドラさんに質問しました。
その態度からはまったく自信をなくしているというより、これから色々なことをしていきたいという思いが感じられました。
服装はすでに我がフアッションコーディネイターたちの手によってなかなかの感じに変えられておりました。
日本レストランで寿司を食べた後は、カラオケに行ったのでございます。
「カラオケに行ったことがないので歌はいいわ。」
「つまりカラオケはしない。」という意味です。
プログラムコーディネイター東大さん(いつからそんな肩書きがついたねん!!)が困ってしまっておりました。
この気まずい雰囲気をぶち壊すには、おいらの18番Jolibeeダンスしかないのかと考えた俺です。
これさえやれば、だれもが抱腹絶倒間違いないのでございます。
しかし、俺の品性が、知性がなかなかそれを許さないのでございます。
とその時!!
シンガー嬢が言ったのです。
「日本のふるい歌あるよ。」
と同時に流れてきた曲は「♪〜上をむういてあーるこおおよ。♫〜涙がこぼれないよおおに。」
すかさずに東大さんがマイクを手にして歌う!!
おっと数年前のあんたとはえらい違いだ!!
1000字が来たのでまた明日。
でも最近サポートセンターフイリピン支部の平均年令がめちゃくちゃ高くなっとるな。
若い人たち来れ、南国に!!
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こんにちは。
日本語教師をやっている者です。
(発達障害者の身内でもあります)
タイなどの「発展途上国」と呼ばれるエリアの若者からは、私も同じような質問を受けます。
彼らには「日本社会のプレッシャーは住んでみて共同体の一員にならないとわからないよ」と答えてます。
実際、夢と希望を抱いて来日して数年暮らした後、故郷に帰る外国人が大多数です。
その一方、日本社会が合わずに海外に出て、外国でのびのびできる日本人もいます。(知人の男性は色が白いという理由で日本では不当に扱われ、ブータンでは高く評価され、現地で家庭を築きました)
タイや中国で、日本で一旗揚げようというパワフルな若者を見ると圧倒されてしまいますが、彼らは本国でも特にエネルギッシュな人達です。スタンダードではありません。
個人的には、海外でひと休みする、海外に活路を求める、という方法は間違ってないと思います。
3日前の記事にコメントをもらった。
もらってみてうれしかった。
とてもとてもうれしかった。
マイノリティさんありがとうごさいました。
「大丈夫だよ。あなたの感じていることは間違いじゃないよ。」
背中を押されている感じがした。
なんだろう。ひとの優しさを感じた。
すぐに青木さんにそのことを知らせた。
青木さんからすぐに電話が来た。
「いいね。ブータンの話はいいよ。ブータンでは色白が高く評価されてるんだね。」
「そのことで、その人は自信を持ったんだね。すごくいい話しだ。すごくいい例だね。」
「ありがたいコメントだね。」と1人でえらく盛り上がって電話を一方的に切られた。
俺の話を聞かねえのかよ!!
有名な大学や有名な会社、高給取り。
「そうでなくてもせめて人並みになって欲しかった。」と俺の母親は何度も何度も俺に言ってきた。
「近所の◯◯君は東京の大学を卒業して地元のどこどこに入社して・・・・・・。」
「お前の小学校の時の同級生の◯◯君、覚えているか?アメリカの大学を出て向こうで彼女も作って、就職して今孫が2人もいて・・・・・・」
「叩き殺すぞ!!糞婆。死ねよ。死ねって言ってんだろ。」
昔の俺なら、母親のその言葉がきっかけで暴れて警察沙汰だな。
今は違うよ。
今はあまり怒らなくなった。
イライラしたら、自分の頭を壁にぶつける程度。
俺の頭が痛いだけで、だれも傷つけてはいないから。
俺は希望を見つけたから。
そう言うと偉そうに聞こえるけれど。
なんか大丈夫なんだと思っているな。
その根拠は何なんだって言われると、具体的には何もない。
でもこのまま日本にいてはもうだめだと感じた俺は、狭い日本を出て、外でもう一度やり直してみたいと思っているんだ。
だれも俺のことを知らないそんな場所なら、今からでもやれる気がする。
あせってはいるけれど。
ただそれだけのこと。
自分はまだやれると思っている。
「自分に納得できるほどやったのか?」と青木さんに言われた。
「何も俺はやっていない。」
1人で不安になって、1人で傷ついて、1人で暴れて・・・・・・。
要は1人芝居の馬鹿野郎でした。
今はコーチがいるから。
自分では自分のことが何もわからなかったけれど、今はコーチがいて今の俺がどうなのかを教えてくれている。
そのことはとてもとても大きなことなんだ。
手取り足とり教えてくれる。
いいんだ。それは俺にとってとてもいい。
1000字の約束は難しいな。
それとこのブログはいつどんなタイミングで終わればいいんだ。
何も聞かされていない。
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