やるしかないんだ。後悔したくないならやるしかない!!
僕は、小学校と中学校にほとんど行けなかった。
行かなかったのではなく、行きたかったけれど、行くことができなかった。
行けなかった理由は2つある。
1つは学校の勉強がわからなかったこと。
2つ目はクラスのみんなと仲良くできなかったこと。
両親は僕に一生懸命、勉強を教えてくれた。
しかし、両親の熱心さも僕には届かなかった。
僕は、学校でひどくいじめられた。
命に危険が及ぶくらいのひどいいじめだった。
いじめる連中には、いじめる理由がある。
同じようにいじめられた僕にも、いじめられる理由があった。
勉強ができなくて、クラスのみんなと集団行動ができなかった僕。
運動会の集団行動の練習で、僕は何度も何度も間違えた。
その度ごとにクラスのみんながやり直しをさせられた。
そして僕へのリンチが増えていった。
もちろんどんな理由があってもいじめてはいけないんだ。
でも人はいじめる。
心配した父親が、児童相談所の紹介もあって、ぼくを医者に連れて行った。
そして、色々と調べた結果、アスペルガーとADHDですと診断された。
父が言った。
「お前は障害者だからみんなと違っていて、いじめられたんだ。」って。
医者が言った。
「衝動性がとても高いので、抑える訓練をしましょう。」
僕は、どういうことかわからなかったけど、なんか僕に問題があるような感じだった。
そして、紹介された施設に通った。
でも、すぐに行かなくなった。
そしてひきこもった。
母親が「復学するか、働くかどっちかにしろ。」と毎日のようにぼくに言ってきた。
ご飯を食べさせてもらえなかったり、真冬の中下着一枚でベランダに追い出されもした。
そして、「真面目になるんだったら、部屋に入れてやる。」と言った。
その時、ぼくは母親に強い憎しみを持った。
(機会を見つけて、こいつを殺してやろう。)って。
僕は、家であばれた。
母親にも、父親にも暴力を振るった。
結局、両親は青木さんに僕を預けた。
青木さんは、僕をフィリピンに連れて行った。
そして学校に入れた。
ぼくはまたいじめられるから学校は、絶対にいやだと訴えた。
「フィリピンでは絶対にいじめられないから。」と説得させられて、学校に連れて行かれた。
体験入学をしたら、たくさんの生徒がぼくの周りを取り囲んだ。
(やっぱり、みんなでリンチをするんだろう。)と思って、ぼくは逃げ出そうとした。
そしたら、みんなが歌い出した。
あとで聞いたら歓迎の儀式だとわかった。
ぼくはフイリピンで、人生で初めての友達ができた。
おまけに彼女までできた。
こんなに学校って楽しいのかと驚いた。
ぼくは、相変わらず頭が悪かったし、行動も変だったけれど、フィリピンでは誰もぼくをいじめなかった。
そして、ぼくは大学にも行くことにした。
大学はもっと楽しかった。
でもやり残したことがあった。
それは家族に許してもらうこと。
ぼくは両親に謝罪の手紙を書いて青木さんにそれを託した。
しかし、両親は受け取りを拒否した。
あの時、僕が家族にしたことがどれほど大きなことだったのかがわかった。
落ち込んだ。
ある日、フィリピンの僕の元に、良い知らせがまいこんだ。
父親がフィリピンまで来てくれて、僕の謝罪を受け入れてくれたんだ。
しかし、母親は、息子は存在しなかったかのように振舞っているらしい。
あれから6年がたった。
ぼくの状況も大きく変わった。
毎日忙しくしている。
それでも時々、家族のことを思い出す。
あんなにもひどいことをした自分なのに。
僕が今できること。
それは母親と会えた時に、胸を張って「俺は自暴自棄にならずに、一生懸命頑張りました。」と言うつもりだ。
その時に何かしらのプレゼントを家族1人1人に渡したい。
心からその日が来ることを祈っている。
いつかまた母親と笑顔で語れる日が来ることを。
ある機関紙に書きました僕の文章を転載しました。
僕は元気でやっています。
いずれ今やっていることをお話しします。
ちよっと恥ずかしいので、今はご勘弁を。
ではまたいつかお会いしましょう。
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