俊介さんはお父さんの思い出がほとんどないそうです。
ヒロさんの文章を読んで、母親とのことを書いてみようと思いました。
いざ机に向かっても母親とのことを思い出せないのです。
僕にはただ優しかった母としか思い出せないのです。
ヒロさんのように母親と確執があったわけではありません。
むしろひきこもってからの30年間は何ごともなく単調ではあるけれど平和な日々でした。
ただ、世間様がするようなことを何ひとつ母にしてあげられなかったことへの後悔があります。
母に新しい家族を見せられなかったことが唯一の後悔です。
でも、ふと思うのです。
僕にとって家族ってなんだったんだろうかと。
と言いますのは、フィリピンで出会った家族と僕の家族は随分と違っていたと感じるからです。
フィリピン人は家族の絆をとても大切にします。
また家族間の交流がとても活発です。
家族以外の人に自分の家族のことを紹介したがります。
しかもかなり自慢げに。
僕の家族。
ぼくの家族は地域で孤立していました。
そんな感じがします。
父はもともと寡黙な人でした。
そして、家族との交流を求めることはありませんでした。
1人で歴史小説を読んでいたりすることを好む父でした。
母は、所属していた団体の人たちといつも交流をしていました。
思い返してみれば、その所属団体の人たちとだけの交流でした。
随分希薄な家族関係だったなと思います。
思うのです。
ぼくは両親から何を学んだのか?
同じことを青木からも聞きます。
青木の母親は心の病気でした。
父親はアルコール依存症で診断はありませんが、ASDの特性と見られるゆえのトラブルを繰り返し起こしていたそうです。
その両親の元、「何を学んだんだろう」と考え込むそうです。
僕は昨年から、サポートセンターでひきこもっているお子さんのご家族との相談にのっています。
まだ50件程度ですが、その中に自分の家庭環境と同じようなご家族と出会うことが多いのです。
もちろん、どのご両親も心からお子さんの回復を願っておられます。
しかし、お子さんとの関わりがとても希薄なのです。
青木は、今年の春先にお世話している子どもたちとサーフィンをしにいきました。
そこは世界中から、サーフィンや観光のために多くの外国人が訪れる場所です。
そこで出会ったフランス人の家族の姿に、大きな衝撃を受けました。
父親が、幼い子どもたちの問いかけに、丁寧に時間をかけて、答えていました。
世の中の様々なことを子どもにもわかるような言葉を使って、一生懸命伝えようとする姿に感動と絶望感を味わったというのです。
自分の父親は、何も教えてくれなかった。
そんな青木の話は、僕にはよくわかりました。
僕も同じでした。
僕たち発達障害の人たちには、メンターがとても重要なのです。
多くの人たちは、他人の様子を見ながら、学びます。
でも、僕たちには、それはとても苦手なことなのです。
具体的に、丁寧に教わらないとわからないことが多いのです。
そうなのです、僕たちが生きていくにはメンターが必要なのです。
世の中の父親がその役割を担えるようにと望みます。
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