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発達障害の子どもたち
早期に発達障害と言う事を知り、その子どもに適した環境を作って上げる。
この事が一番大切な事何じゃないでしょうか。
その為の支援って今の日本でも結構整っていると思うんですけれど。
様は子どもの一番そばにいる人(お母さん)がその情報にアクセスできるかどうかが一番大切になってきます。
発達障害の子どものお母さんも発達凸凹だったり鬱の状況の方が結構いらっしゃるので、やはり母子の関係がうまくいかないケースが多いんじゃないかと思います。
うちの母親も、「私の子どもだから私が何とかしなれば」との強い思いから、ただでさえ子育てが難しい程度の悪いアスペな俺の子育てを一人でやろうとしてしまったんです。
父も本当に悩んでいました。
父は僕が母の胎内にいるときから母が子育てをする事はむずかしいとわかったそうです。
だから何とか、母親の負担を軽減させてあげたいと頑張りました。
話は変わりますが、僕は生まれてすぐに父の仕事の関係で
アメリカに渡りました。
アメリカで3才の頃、滑り台で滑る順番が待てなくて、前の子を突き飛ばし、その後その子どもが大けがをしているのに、我関せずに平気で滑っていたそうです。
それを見ていたお母さんたちの中に専門職の人がいらっしゃって、検査を受けてみたらどうですかと言ってくださったんですよ。
もちろん母親は大反対、「障害なんかうちの子にはありません」ってね。
その方は父親と密にコンタクトを取ってくださり、父親が専門機関に相談し、検査した結果、疑いありとのこと。
アドバイスに従い、療育機関で支援を受けました。
どうだったかって?
全ての事は覚えていませんが、楽しいところでした。
当然ですよね、楽しくないと子どもは行かないわけですから。
とにかく先生が優しく、僕の反応に着目してくれていた事を感じましたね。
アメリカの療育は世界最先端だと言われています。
日本でも受けていたんですが、なんかぱっとしませんでしたね。
日本はマニュアルに沿っておこなっているという感じでしたかね。
アメリカはもっとダイナミックな感じがしました。
ところがですよ!!
日本の療育は誰でも均一なサービスが受けられるじゃないですか。
アメリカ。。。
お金が全てですよ。
医療にしてもお金持ちが最高の医療を享受できるシステムなんです。
父は僕の為に大金を支払って最先端の支援を受けられるようにしてくれました。
と、同じく凄いなと今になって感動するのは、母に対する支援です。
母は僕を手放そうとはしませんでした。
とても強い、抵抗があったそうです。
療育センターのスタッフは素晴らしくて、そんな母親と友達になって下さったんです。
僕が、母親から手が離れる事で、その時間を療育センターのスタッフが一緒に趣味をおこなったりしてくださったとの事です。
ここの違いなんでしょうね。
日本ではそんな事をしてくださる支援機関はないでしょうね。
で、僕は世界最先端の療育プログラムを受け続けた事で、僕の中に眠る能力を最大限に生かす事ができたのです。
飛び級を経験して後に、MITに進み、今はNASAで研究者として働いています。
なんてね、そんなふうになれたかもしれませんよ。
現実は父の日本への転勤で帰国したんすよ。
父は悩みましたよ。
知人に僕を託して、引き続き世界最先端の支援を受け続けさせたいと願っていました。
しかし、母が強固に反対して、日本に帰国。
それからは母が、「私が自分の子どもを教育する!!」という事になったのです。
その結果、7年後には母に大けがを負わせてしまい、初めて、もうこの子とは一緒にいられないと決心したのです。
はい、ここからサポートセンター登場!!
大変な、きわめて大変な状況の中で、サポートセンターさんはおいらを引き受けなさったんす。
それから苦節、8年。
程度の悪いアスペな俺は、少し程度の悪いアスペな俺に変わったのでした。
「お知らせ」
「日本でひきこもっている青少年の就労支援食堂をフィリピンに作る」と題して、下記のブログを書いています。
これは、「ひきこもり、家庭内暴力等で、希望を失ってしまった日本の青少年に就労場所を提供し、自信をつけてもらう為のプログラムです。」
素人が無謀にも取り組んでおり、毎日悪戦苦闘しております!!
どうか私たちと一緒にこの働きを盛り上げていただけないでしょうか
「日本でひきこもっている青少年の就労支援食堂をフィリピンに作る」
http://supportcenternagoya.blog.fc2.com/
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