発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

20代後半の息子さんにどのようなことを望んでいますか?ヒロ

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データー入力のアルバイトなら時給1000円も可能と聞き頑張る俺。16歳

 

 

 

 非常に落ち着いている僕です。

講演会と小学生たちのプログラムが終わりほっとしています。

今はすでにフィリピンに帰ってきました。

 

 

いいですね。

南国はいいです。

寒いのが極端に苦手な僕です。

 

 

僕が日本に降り立った途端、冬将軍がおいでなさって寒いこと、寒いこと。

冬将軍と出会ったら、一発で風邪を引いてしまうおいらですから、プログラム終了後は部屋に閉じこもっていましたよ。

 

 

そういえば、僕の滞在中に3件ご相談の依頼がありまして、僕もそのうち1件は出ました。(下記のことを書いても良いと承諾をご両親からえています。念には念を入れて、状況を変えています。)

 

 

僕とそっくりなんですって、僕の過去のブログを読んでいたら、自分の息子のことが書かれていると勘違いするくらいそっくりだそうです。

 

 

20代後半になる息子さんですが、今はひきこもりならぬ、部屋に閉じこもっているそうです。

夜な夜な、奇声を発し、壁を殴ったり、床をドンドンと足踏みをされているそうです。

 

昼夜逆転なので、余計に近所迷惑になるし、他の兄弟さんたちの迷惑にもなっているとのことです。

 

そして時々、深夜に家から出て、バイクに乗ってどこかへ行くそうです。

しかし、この半年は全く外出もできなくなっているそうです。

 

 

「もうだめだ。手遅れだ。」

「お前たちが、あの時◯◯してくれなかったせいだ。」

「ぶっ殺してやる。何もかも。」

 

「下の兄弟たちが家を出たいと言っています。」

「自分の息子なんですが、何を考えているのか、わからなくて、怖くて、怖くて仕方がないんです。」

 

代表の青木さんが時間が取れましたので、フィリピンからスカイブで参戦です。

おいらは青木さんの、出方をひたすら伺いました。

どんなふうに、話していくのかを、研究したいんです。

 

 

一通りお母さんの話を聞いた僕たち。

事前にサポートセンターから送ったカルテにも、ご両親がこと細かに、書かれてくださった。

 

そのカルテを元に、僕たちはこの息子さんに対して、どのような支援がどの期間必要なのかをすでに話し合って決めている。

 

「お母さん、カルテの返送をありがとうございました。そして、今お話を聞き、お写真も拝見した上で、あえてご両親にお伺いします。」

 

 

「息子さんをどのようにしたいのですか。」

 

 

「アルバイトができる程度で充分なのか」

「仕事、結婚、などの将来までを見据えての支援なのか」

「臨むところで、支援の期間、プログラムも違ってきます。」

 

「もちろん、ご本人の将来ですから、ご本人が決めるのです。しかし、そのご本人は、どうしたらいいのか、何ができるのか、何から始めればいいのかまでを考えることができないのです。」

 

 

「ですからまずは、ご両親がどのようにお考えなのかを教えていただきたいのです。」

 

 

「息子はどこまで可能なのでしょうか。」

「ご両親から見て、精神的な病気でないことが正しいと仮定した上で、お話しますと、時間をかければ、多くのことができるようになると思います。」

 

「私たちの意見としては、将来を見据えますと、やはり資格やもう一度学ぶことは必要だと思います。」

「アルバイトをさせてはダメです。」

 

「今は、将来を見据えて、その準備に当たることが大切です。」

「アルバイトをしてしまうと、アルバイトのままです。」

「大学を中退して、5年以上何もしていない人を雇ってくれる企業はあまりないです。」

 

 

「もちろん、他の人より覇気があるところを見せれれば、なんとかなっていきますが、5年も閉じこもった人がそこまで変わるのは簡単ではないです。」

 

 

明日に続きます。

 

 

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サポートセンターの就労支援施設が閉じた理由。 Mr.Joe

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この写真は第2倉庫です。大型倉庫はこの3倍はありました。2008年当時。

 

 

青木さんから、このような記事は読者の人には、必要ないので、話題を変えた方が良いと言われました。

 

 

僕は、歴史を語ることも大切なのではないかと思いましたが、スタッフさんたちもそう言っていますので、簡単に書いて就労支援施設の話は終了にします。

 

 

大型就労支援施設の閉鎖の理由は、当時のスタッフが業者と交わした契約書に問題があり、違約金を支払うはめになったからです。

 

 

1人のスタッフさんが、独断で契約書にサインをしてしまったのです。

サポートセンターにとって利益がある仕事がもらえると、勝手に判断されたうえで契約されたのです。

 

 

しかし、その結果、大きな損失をまねいてしまったのです。

 

 

青木さんが言うには、「そのことがきっかけで、支援している人の様子を見ながら、仕事を徐々に減らして閉鎖した。」とのことです。

 

このプログラムの成果。

 

 

1、支援の中身がよく見える支援だったし、お子さんのお母さんが直接運営に参加していたので、とても満足されていた。

 

 

2、企業に頭を下げにお願いに行ったことで、協力しようと申し出てくれた会社が想像以上に多かったことに気づいた。

 

 

3、大きな倉庫にタイムカード、制服、小さな社員食堂も兼ね備えていたので、利用者のモチベーションはとても高かった。

 

 

問題点。

 

 

軌道に乗ったら、噂になって、利用者が多くなると想像していたが、想像以上に多くの人たちから、支援の依頼先をサポートセンターに変えたいとの依頼があり、他団体と少し問題になった。

 

 

もちろん、他団体からの移動も全てお断りしつつづけた。

 

 

その後、青木さんは。

 

1、状態が重い人だけを支援することにしました。

軽い人たちの支援を中止したのです。

それと、障害者枠での就労ではなく、あくまでも一般就労を目的とする支援にかじを切りました。

 

 

 

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サポートセンターの大規模就労支援施設が閉鎖。Mr.Joe

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本日はサポートセンター代表の青木さんから聞いた話を元にして書いています。)

 

海外に就労支援施設を作る。

日本でいいじゃないのか?

はい、その通りですね。

 

サポートセンターは、日本に就労支援施設を作っていました。

就労支援施設としては国内最大規模を誇っていたそうですよ。

 

 

 

非常に大きな倉庫で、佐川急便の孫請けとして、衣料の検品作業をしていました。

 

 

 今から20年前に就労支援施設を立ち上げました。

その人の能力に応じて、様々な仕事を作り出していました。

僕たちのような状況の人たちには、最適な職場でした。

 

そしてこの仕事をバックアップするために、パートの人を30人近く雇っていたそうです。

30人もの人を正規にパートとして雇えるだけの収益が得られる仕事でした。

 

研修を受けている人たちにも、ちゃんとしたお給料が支払える。

これがサポートセンター最大の強みでした。

 

30人のパートの方達には、募集段階から、この仕事の趣旨を説明して、共感してくださる方たちに集まっていただきました。

多くは障害を持つ子どもたちの親です。

 

全てがうまくいくはずでした。

もちろん、この状況を維持することが、どれだけ大変なのかもサポートセンターは、わかっていました。

 

実際、働いている人たちには、今まで見ることができなかった笑顔が見られたのです。

そして、支援を受けている人たちのモチベーションもとても高かったそうです。

実際、ここから実社会に巣立っていった人たちも出てきました。

 

今では福祉施設の責任者として働いている人。

建築現場で部下を率いて働いている人。

実家のクリーニング工場を父親の後継として働いている人。

などなど成果が出ていたのです。

 

 

しかし、この仕事は5年で閉じます。

理由は、色々ありましたが、仕事面で言うとノルマがあったからです。

 

 

この仕事は、短期間で衣料の検品をして、納品先に収めるという仕事です。

ですから、必要なのは正確さとスピードです。

 

もちろん、大変な作業はお母さんたちにやっていたただき、残りの仕事を色々と分けて、当事者の性格に合わせて、やってもらっていたそうです。

 

ですが、毎回、毎回、違う仕事になります。

仕事が変わるたびに、配置転換が必要です。

また、当事者の状況も様々でしたから、今まで以上にオーダーメイドの支援が必要だったのです。

 

その結果、スタッフが脱落していきます。

毎日、朝早く工場に出勤して、その日の段取りを組み、納品が終わって自宅に帰るのは、夜中だったそうです。

 

過酷な労働状況にスタッフが1人、また1人と辞めていきます。

 

もちろんサポートセンターの職員です。

強者たちばかりなのです。

しかし、体を壊すまで働いては、続けることができなかったのです。

 

 

そして、もっと大きなダメージがサポートセンターを襲います。

それは、また明日書きます。

 

 

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Joe、石油王に会う。Mr.Joe

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実際はもっと年をとって腹が出ていた人です。参考写真

 

 

フィリピンのリゾート地に、レストラン兼宿泊施設を作るのはとても大変なことです。

僕は1年しか関わっていませんが、直近で見ていて、自分が何の力にもなれないことを情けなく思っていました。

 

 

2年という時間とお金が大変かかりました。

もちろん、それは最初からわかっていたことらしいです。

しかし、それに見合う成果が中々でなくて、辛かったんじゃないのかと僕は思います。

 

今はまだ、建築中ですが、そこに至るまでがとても大変だったのです。

何が1番辛かったのか?

ずばりそれは誰も信用できなくなったことです。

 

 

青木さんは今、そう話してくれます。

 

騙す人がとても多かったらしいです。

フィリピンに12年滞在している青木さんなのにです。

色々なことをフィリピンでやってきた青木さん。

失敗も成功もあったそうです。

 

でも、こんなにも騙そうとする人が多いとは思ってもいなかったそうです。

 

「自分の認識不足だ。」と話している青木さんです。

 

 

僕は島に住む唯一の日本人として、役場の皆様と交流があります。

 

 

何をおいても、「ここは日本じゃないからね。貧困から脱出するには、外国人を騙そうと考える人たちがいるから、気をつけるんだよ。」と役場のみなさんが僕にアドバイスしてくれます。

 

暇があると役場に顔を出して佇んでいる僕です。

「騙されたよ。何とかしてください。」と青ざめた顔をしたヨーロッパ人が役場に駆け込んできます。

 

昨年1年間で10人程度は見ていますよ。

 

みんな土地がらみです。

南国のこの土地に、住まいを築きたいと思うヨーロッパ人は多いのです。

そんな彼らに偽物の土地利権書を渡して、お金を騙し取る。

同じパターンです。

 

いざ、小さな家を建てようと建築家に頼み込んで、書類を見せたら、偽物だとわかるというパターンです。

みんなおなじです。

 

 

「青木さんは、よくだまされませんでしたね。」

「そのくらいはわかっていたよ。」

「でも、何度も役場に行って、書類をチェックしては、偽物だとわかってくると、だんだんと疲れてきたね。」

 

 

「多分この島で1番土地に詳しいのは僕だよ。不動産屋に転職しようかな。」

確かに青木さんは2年間で100箇所近くの物件を調べ上げでいますから。

 

そんな宝のようなこの島には、この2年間で、世界中から投資が集まってきました。

ロシアマフィアから、中国、アラブの石油王まで視察に来ましたからね

 

「Joe、石油王を見に来なさい。それと何か日本の高いお菓子はないかしら、あったらくださいよ。石油王に出すから。それとフィリピンの礼装で来なさい。」と突然メールが来たので、マニラで購入したヨックモックを持って行きました。

 

あとで見たら、賞味期限が切れていました。

ごめんなさい。

でも、何とヨックモックを知っていた石油王です。

「これはjapanのお菓子でしょ。何でここにある?」と言っていたとか。

 

僕も石油王に挨拶をしました。

とてもとても甘い香りが部屋全体に漂っていました。

写真を撮ってはダメだとお付きの人に言われました。

 

気に入ってもらえたら、サポートセンターに投資をしてくれるかもと思いましたが、何を話していいのかわかりませんでした。

というより、話しかけられる雰囲気ではありませんでした。

 

 

何のお役に立てなくてごめんなさい。

 

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中学の講演会、嫌な気持ちがなくなっていた。ヒロ

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校長先生、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

 

 

12月7日に中学校で講演会をしました。

 

 生徒さんたちの反響はとても良かったです。

生徒さんたちを見渡していても、うなずいたりしている生徒も多かったし、下を向いている生徒はほとんどいませんでした。

 

 

今まで以上に生徒たちに僕のメッセージが届いていると思いました。

 

 

今回の中学校は、昨年、講演会に呼んでくださった中学の校長先生が、転勤で赴任された中学校です。

 

昨年度、その校長先生はとても僕を褒めてくれました。

「素晴らしかったね。これは色々な中学に宣伝しないとね。」との言葉通り、それ以降、中学での講演会が決まりました。

 

その時の僕の反応があまり良くなかったのでしょう。

「お世辞ではなく、本当ですよ。僕は国語の先生をやっていましたから、文章に関してはきびしいのです。」と重ねて僕を褒めてくれました。

 

 

褒められたことがほとんどない僕は、それでも人を疑ってしまいます。

後で、サポートセンターのスタッフから、「校長先生が話してくれたことは、本当ですよ。」と言ってくれましたが。

 

 さて7日の講演会が終わった後、たくさんの先生から賛辞をいただきました。

その中で、「外国に行った選択は良かったと思います。生徒達にも、もっと外に目を向けて欲しいですね。」と外大卒の先生に言われたのがいちばん嬉しかったですね。

 

さて、校長室で再び、校長先生から褒められました。

 

「昨年度より、より文章が洗練されているし、話し方、特に間の取り方、強弱ともよく考えて話されていました。だから、生徒は、ヒロさんの言ったことを、考える間があったし、よく聞いていたんですよね。」

 

 

「あかん。あかんて。 校長先生、そんなに褒めないでください。号泣してしまいそうです。(ヒロ心の声)」

 

 

中学校で初めてお話をさせてもらったのは、今から、5年前でしょうか。

その時には、中学で俺をいじめた奴らへの憎しみの気持ちが強く残っていました。

 

 

それで中学の敷居をまたぐ時に、体が震えあがりました。

心臓を強く掴まれたような気にもなりました。

怖くなりました。

 

話終わった後に、通された部屋は校長室。

母親が怒鳴り込んで、校長室で、校長先生と母親と担任と僕で話し合った時の記憶が蘇り、今、あいつら(中学で俺をいじめていた連中)が廊下で聞き耳を立てて、話し終えて出てきた俺を殴る機会を探っている。

 

 そんな妄想に駆られて、呼吸ができなくなったことがありました。

 

 しかし、2018年12月7日金曜日

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             父ちゃん!!バカ息子が人様のお役に立っていますよ!! 

 

僕が確実に変わっていることを自己認識しました。

もう中学校に対しての特別な思いはなくなっています。

余裕で話すことができました。

 

それどころか、話をしながらも、(今度はこんな風に話したいな)や文章をこう書き換えたいなどと次からつぎへとアイデアが浮かんできました。

 

 

僕は講演会を楽しめたのです。

 

 

そして、自分の中で、「不登校」「勉強が全くわからない。」「みんなとうまくやっていけなかった。」という思いを、なんか、距離を持って眺めることができるまでになりました。

 

 

これが成長なのでしょうか。

これが回復なのでしょうか。

 

 

「ありがとうございました。」という言葉しか思い浮かびません。

 

このような体験を今度は「東大さん」や「Mr.Joe」など、後から続く仲間に引き継いで欲しいと思っています。

 

 

以上講演会の報告でした。

 

 

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南国に就労練習のためのレストランを作っています。 !!Mr.Joe

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      日本から南へ3000キロ そこに天国がある。

 

 

 

今は中華料理店で研修をしています。

僕が4月から勤務するレストランは、中華料理もメニューに入れています。

それで、提携している中華料理店で僕は今研修しているのです。

 

 

 

 

レストランでは3ヶ月間僕は休みなしで働きます。

そして2週間のおやすみをもらいます。

2週間は色々な国をまわってみたいですね。

 

 

そこで出会った人たちに、自分の半生を話したりして、交流したいです。

海外でたくさん友達を作って、彼らにフィリピンに来てもらうつもりです。

 

 

そんなことを考えていたら、とても幸せな気持ちになります。

 

 

「Joeはひきこもっていたれけれど、人と関わりたかったんだよね。」とスタッフが話しかけてくれました。

そうなんです。

僕はみんなと一緒にいたかったのです。

 

 

でも、僕がみんなのペースについて行けなかったので、僕はみんなといることを諦めました。

中学校をやめて、家でじーっとしていました。

 

 

気づいたら40才近くまでじーっとしていたのです。

それは僕にとっては一番辛いことでした。

 

 

僕はじっとしていることが困難な人なのですから。

 

 

でも僕は今幸せです。

昔思っていた、夢がかなうのですから。

 

 

ワクワクしています。

ウキウキしていたりもします。

「鼻歌が多いな。」と中華料理の店長さんから、なんども言われました。

 

 

 

僕はこの胸のときめきを抑えられないですね。

 

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      他店ですが、こんな感じで作っています。

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フィリピンですがここだけはヨーロッパ圏からのお客様が多いです。

 

仕事はレストランが主な仕事です。

ダイビングやサーフィンなどのお客様があればそちらを優先します。

レストラン内にツアーガイドの事務所も作られます。

 

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       これがこの島のシンボルになっています。

 

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同じ場所です。サーフィンの研修期間中の写真。とても大変でした。

 

 

12年前、青木さんが初上陸した時には週に2本の飛行機のフライトでした。

それも欠航ばかりでした。

今は、毎日5便3社が運行しています。

 

 

国際空港にする案が出たとか?

まあそれはないですね。

 

 

住んでいる日本人は僕だけです。

役場が把握している昨年の日本人入島者は50名だそうです。

そのうち、サポートセンター関係が35名です。

 

 

まだまだ日本人は来ていないので、僕たちのような程度の悪いアスペルガーにはとても良い環境です。

 

 

これから随時、情報を発信していきます。

ここでは来年から3人のひきこもっていた人たちが回復に向けて研修を受けます。

どうか、僕たちを応援してください。

 

 

随時情報をご紹介していきますので、よろしくお願いします。

 

 

 

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ありがとうございました。古着が集まりました!! Mr.Joe

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         感謝します。で、俺が持っていくんですか!?

 

 

 

さて、内容を1部変更してお送りします。

 

 

    〈古着ボランティア活動ご協力ご報告〉

                    

           サポートセンター事務局

 

 皆様にお願いしていた古着ですが、予定数が集まりました。

皆様のご愛を心から感謝いたします。

 

 

予定数200枚のところ、12月5日現在、842枚いただきました。

 

 

私たちは3歳児から小学校6年までの男女の児童のことを考え、それぞれの児童に服を手渡す活動をしています。

 

 

私たちが、支援している子どもたちは、貧しい地区の小学校の子どもたちです。

 

 

全てのご家庭ではありませんが、児童のご家庭の中には、その日の食事のことで精一杯で、新しい服が買えない状況のご家庭もあります。

 

 

大きな穴が空いたような服しか持っておらず、それが恥ずかしくて、学校にいけない子どもたちもいるのです。

 

そんなことがないように、全ての子どもたちに、まずは、着る服をさしあげたいと願って、このボランティアは始まりました。

今年で11年目になります。

 

途中からテロ活動の危険から、支援先が変わりました。

今現在は、フィリピンのダバオ市郊外にあるサンミゲル小学校で行なっています。

 

12月5日現在、在籍生徒数が145人です。

 

11月14日づけブログでは100人と報告していましたが、ボランティアを聞きつけ、休学していた生徒たちや他校から急遽転校してきた生徒が出てきた為、人数が増えました。

 

今回は12月14日金曜日に古着配布を行います。

 

 配布のボランティアをする方は「50代男さん」と呼ばれている人です。

30年間、自宅でひきこもっていた方です。

現在支援は5年目になります。

 

 

英語と日常生活でのスキルを学んで社会復帰を目指しているかたです。

 

ご協力いただきました皆様、ご関心を寄せてくださいました皆様、ありがとうこざいました。

 

 

これからも古着は、定期的に必要としていますので、引き続き古着配布ボランティアにご協力ください。

 

      〈僕の文章です。〉

 

 

僕が、もう一つ気にかかっていることがあります。

支援を受けている仲間の1人の状態が良く無いようです。

色々とご家族とのすれ違いがあって、大変な状況になってしまった彼。

僕は、詳しいことは知りません。

 

「本人さんからお話をされないかぎり、聞かないこと。」とサポートセンターのスタッフから言われています。

 

僕は、少しの間彼と一緒にいたのです。

心の中にある葛藤の気持ちと、うまく折り合いをつけていけるようにと努力をしていた彼ですが、とても苦しんでいました。

 

大学に行き、友だちもでき、成績も優秀でしたが、また今不安定になっているのです。

 

スタッフさんたちは毎日、朝から晩まで、彼に寄り添い、支援をしています。

 

 

今はそうではなくても、必ず、全てを受け入れる時が来ると思いますので、明日に期待しましょう。

 

僕が言えるのはそのくらいですかね。

 

僕はなんの宗教も信じていませんが、心の中で、彼のことをお祈りしています。

また、あの笑顔を取り戻してほしいと思います。

 

 

頑張ってください。スタッフの皆様。

僕でお手伝いできることが、あればなんでもします。

 

 

明日は僕の職場紹介です。

 

 

 

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