どんなに練習してもできないことはあるのです。
10年近く毎日朝から晩までの支援を受け、練習をしてきた僕が言うのですから間違い無いでしょう。
他の人に比べてこんな簡単なこともできないのかと指摘を受け続けてきた僕です。
東京にあるラーメン屋のご主人はとても優しくて、青木の活動を応援してくれていました。
経営するラーメン屋で青木が支援している人の就労練習をしてくださっていたのです。
しかし、僕には無理でした。
青木たちがラーメン屋での仕事を細分化してくれました。
ラーメン屋の現場では無理なく、無駄なく就労支援が行われていたのです。
しかし、僕には向いていなかったのです。
こうなると、障害者雇用や作業所のお世話になるしかないのでしょうね。
すでに50歳を過ぎていた僕には無理なことは分かっていましたが、参考の為に障害者雇用や作業所の見学や訪問を繰り返して学んできました。
そこで理解したことは、障害者雇用や作業所は多くの人に雇用の機会を与えていること、そして日々利用者によりフイットした支援を目指していることでした。
現場の皆さんは熱く僕に語ってくださいました。
しかし、僕は障害者雇用を選ばないのです。
Mr.Joeも、あの何をやってもうまくいかなく希望が消えかかっている現状のエイジさんも障害者雇用や作業所は選ばないと言っています。
世間のみなさんから見れば「おまえたちこそ障害者雇用や作業所のお世話になるべき状況だ。」との見方が大勢だと思います。
しかし、僕たちには障害者雇用でも無理なんですよ。
10年ほど前のこのブログにひとりの青年が書いたブログがあります。
かれは僕たちの様な特性を持っていました。
青木たちは丁寧に時間をかけて支援をしていき、彼は落ち着きを取り戻し前向きな気持ちになることができたのです。しかも、学ぶことに楽しさを見出し、復学したいとの希望が本人から出たのです。
それで、青木たちはご両親に教育を受ける機会を与えてほしいと願ったのですが、母親から「支援が終了したら以前の様な警察沙汰な日々がまた発生するのではと不安なので、今のうちに障害者雇用での就職をしたい。」と言われました。
そして、彼は大手製造業の障害者枠で就労につきました。
待遇がとても良くてお母様はとても喜んでいました。
本人も母親が喜ぶ姿を見て前向きな日々を過ごしていました。
しかし、問題が起きてしまい結局彼は仕事を辞めてしまいました。
そしてひきこもってしまったのです。
彼は「一般就労をめざすべぎった。」と言っていました。
どこかにそのブログ記事がありますので読んでみてください。
明日に続きます。
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