発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

再掲 発達障害支援 川島先生ありがとう 柔道一直線

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小学校5年の時に、テレビで柔道を題材にしたドラマが子ども達に大人気だった。

その影響で全国の道場は、子ども達で溢れかえった。

僕のクラスも、男子が全員柔道教室に通っていた。

 

僕が入部した時には、ドラマはとっくに終わっていた。

何をやるにもワンテンポ遅れてしまうのが僕だ。

一人、二人とやめていく同級生を横目に、通っていた。

しかし、僕は運動音痴なので、いつも怒られてばかりだった。

 

 

子ども達に人気なのは、背負い投げや、一本背負い、ともえ投げなど。

両手、両足を瞬時に動かす事が要求される柔道は、最も苦手なスポーツだったという事を、入部してから気づいた。

 

 

ある時、川島先生が、クラスの男子に聞いた。

「まだ、柔道を続けている人いますか?」

 

 

手を挙げたのは、僕ひとりだった。

 先生は僕を褒めてくれた。

 

 

でも、僕は川島先生に技ができない事を相談した。

「両手、両足を使って技をかけると訳が分からなくなってしまう。」

 

 

先生とやってみたら、先生が笑ってしまった。

その後、先生は僕と取り組みをしてくれ指導してくれた。

 

 

 

「ミスター青木は、小内刈りだけやりなさい。他の技はしなくてよい。」

「小内刈りだけ練習して、試合で使いなさい。」

「相手が技をかけてきた時、バランスをくずすのでその時、小内刈りを使いなさい。」

 

 

それから、柔道教室では小内刈りだけ練習した。

 当然、柔道教室の先生からは、無視された。

組む相手も与えられず、壁に向かって、ひたすら小内刈りを練習した。

 

 

試合当日、大技を繰り出す相手の一瞬をついて、小内刈りを仕掛けた。

 

 

面白いように決まり、僕は市内小学校5年の部で優勝した。

その後、中学2年まで連続優勝してしまった。

ちなみに、中学2年時の準優勝者はその後国体に出ていたのを知っている。

 

 

 

川島先生のアドバイスで、大きな自信をつけさせてもらった。

 

 

しかし、川島先生、正直に言います。

 

 

 

我慢強く通っていたのではないのです。

 皆がやめてしまい、僕一人になってたので、怖くて「やめたい。」と言い出せなかっただけなんです。

 

 

 

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