発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

20年間ひきこもり。会うまでに1年かかった彼。中編 東大

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この写真は違う方です。扉の向こうで声を押し殺してじっとしているのです





大学卒業後、就職に失敗した彼はそれでもアルバイトを頑張っていました。

 

 

しかし、アルバイト生活では将来に希望が持てません。

「アルバイトから正社員にもなれる。」とアルバイト先の上司から言われてはいたのですが、新卒採用の年下の人たちが毎年職場に配置されるのを見て、かすかな希望は遠のいてしまったそうです。

 

 

 

 同年代は正社員になって、車を購入したり、結婚をしたりという話が彼の耳に届くにつれて、次第に自信を無くしていった彼です。

 

 

アルバイト先が閉店したのを機にひきこもってしまいました。

それ以来、外に出ることができなくなったのです。

知っている誰かと会うのが怖かったのです。

 

 

 

自分だけがこんな惨めな生活を送っている。

そして、その生活から抜け出す術もきっかけもわからないでいる。

気づけば20年近くひきこもっていました。

 

 

本人の承諾なしにこれ以上詳しくお伝えできないことが残念です。

そんな彼と私たちのスタッフが会って、話ができるまでに1年かかってしまいました。

それも、彼が受け入れてくれたわけではないのです。

 

 

最初で最後になるかもしれないと思って、私たちは約束もないまま玄関の呼び鈴を鳴らしたのです。

出てきたご家族に事情をお話しして、息子さんである彼に声をかけてもらうことにしました。

 

 

もちろんそれ以前に、私たちの団体に最初にアクセスしてこられたご親戚の方を通じて、ご家族とも入念にその日に備えて準備はしていたのです。

 

 

10年近く息子さんと顔を合わせていないので、声をかけるのが怖かったとご家族からは事前に言われていました。

 

 

 

それに、「声をかけたとしても、部屋から出て来ることはないだろう。」とも言われていました。

 

 

 

しかし、手紙にも反応しなかった彼に対して、訪問して直接お会いするしか残された方法はありませんでした。

 

 

 

2階の息子さんの部屋に向かって、階下から声をかけるご家族。

丁寧に優しく話しかけられたのを鮮明に今でも覚えています。

少しして、部屋の扉が開く音がしました。

 

 

 

ご家族は慌てて違う部屋に移動されました。

暴力があったわけではないのです。

息子さんと顔を合わせて、どんな反応を示せばよいのかもわからなくなっていたのです。

 

 

初めてお会いする彼は、髪の毛が肩まで伸びていました。

顔の表情はやつれています。

 

 

 

「なんですか、あなたたちは?」

 

 

それが彼の第一声でした。

 

 

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