発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

安心を求めるために日本から離れたのに、どうして? 東大

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一緒に食事を取ることも大切なことなのです。一人にさせてはダメなのです。


 

 今、支援活動が終わり自分の部屋に戻りました。

フィリピンの時間で午後10時過ぎです。

朝は6時から支援を開始しましたので16時間、外に出ていたことになります。

 

 

さっきまで青木とも一緒でした。

疲れてはいますが、気持ちはとても充実しています。

 

 

 

年末になりますと、支援している人たちの中で、気持ちが不安定になる人たちが多くなります。

 

 

「また、1年という時間が過ぎていくのに、自分はそれほど成長していない。

同年代との差は縮まるどころか離される一方だ。」

 

 

そのように思う人が多いです。

せめて日本ではなく、フィリピンという異国の地、日本を思い出すことがあまりない環境で過ごすことでこの不安な気持ちをやり過ごしたい。

 

 

「ゆく年来る年の放映だけは見たくない。」

「紅白なんて糞食らえだ。」

「日本のテレビが放映されないだけ、救われましたよ。」

そう言っている人たちがいました。

 

 

ところが、ここフィリピンのセブ市。

毎年、毎年日本人観光客が増えているのです。

私たちが住んでいるこの地域には、セブ市の有名なモールがありますから、必然的に観光で来た日本人が集まってくるのです。

 

 

最悪な9日間です。

みんなそのことを知っていますので、今の時期は部屋から出ようとはしません。

 

 

そんな中、本日3時頃私の携帯がなりました。

携帯の画面に出た番号は支援している19歳のT君でした。

 

 

「ダメです。呼吸がうまくできない。助けて。」

慌てて、彼の部屋に直行です。

パニックになって、床に伏せていました。

 

 

「もう大丈夫だよ。誰も君を傷つけたりはしないよ。」と体をさすってあげます。

彼の場合はそうするとパニックが収まるのです。

 

 

「日本人帰れ!!帰ってくれよ。来るんじゃないよ!!」

ほとんど叫び声です。

 

 

「大丈夫だよ。大丈夫。誰もここには来ないからね。」

「どうしたの?日本人が多いから部屋から出ないでと言ったよね。どうしたの?」

 

 

「日本人が大勢やってきていると思うと、やられる前にこちらから奇襲攻撃を仕掛けないと、やられてしまうという思いに支配されて、どうしようもできなくなって・・・。」

 

 

「そうなんだね。そうなんだ。彼らは攻撃なんかできはしないよ。」

「もう大丈夫なんだよ。君がいいというまで、ここに居てあげるよ。」

 

 

少しして、突然T君が起き上がって、浴室に駆け込みました。

そしてシャワーを浴びました。

 

 

シャワー室から出てきたT君はとても落ち着いた表情になっていました。

どかっと椅子に座り込み、深いため息を吐きました。

 

 

「いつまでこんな気持ちと格闘しなければいけないんですかね。疲れました。」

「支援している他の人はどうなんですか?」

 

 

「人それぞれだよ。でもT君が決めたプログラムをやっていくことが、今君ができる全てのことです。」

 

 

「やるしかないんですよね。」

「わかっているじゃない。」

「やるしかないんですよ。僕はその為にここにいるんだから。」

 

 

誰もがT君のように不安定になるわけではありません。

そんなT君もこのようなことを繰り返しながら、少しずつ落ち着いていくのです。

 

 

明日も私は朝6時から支援している人と朝食を食べます。

それも支援なのです。

 

 

明日もみんなを励ますことができますように、非力な私に力を与えてください。

 

 

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