発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

障害者就労から一般就労を目指すアスペルガーの彼。東大

 

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※ Webサイトの方は、最新の情報ではありませんので、お手数ですが、詳しくは電話・メールでご連絡ください

 

 

彼を診た医者はアスペルガーと診断した。

お医者は、「今から障害者就労のための練習をすることです。」とご両親にアドバイスをした。

 

 

「うちでは無理ですので、サポートセンターをご紹介します。」と続けて言った。

 

 

◯◯病院から「◯◯な状況の16歳の男性ですが、そちらにご紹介してよろしいですか。」と電話がかかってきた。

 

 

 

その電話が意味することを「大変な人なのでうちでは到底無理です。そちらでなんとかなりませんか。」と電話をとった青木は気づいたそうだ。

 

 

 

「障害者枠でしかないのですか?」とご両親はなんども青木に面談の場で尋ねた。

「支援して様子を見てみないとわからない。」が、青木の返事。

 

 

1ヶ月様子を見て、障害者枠での就労も難しいと判断した青木。

 

 

 

「たくさんの団体にお世話になりましたが、全て逃げ出してしまいました。ここしかないのです。助けてください。」

 

 

断ることができない青木の弱さが出てしまい、1年間の支援となる。

しかし、多くは改善しないまま支援は終了となった。

 

 

 

あれから15年後、ヒロさんにとって2018年は大きな変革の年だったわけです。

 

 

結婚したいので、いますぐたくさん稼げるアルバイトをする考えが強かったヒロさんです。

住み込みで働けば、毎月税金などが引かれても20万円が貯金できる。

そんな仕事を見つけてきました。

 

 

「1年働いて200万近く貯めたら、フィリピンに帰って結婚して、また日本に出稼ぎに行きます。」

「2回目は嫁さんも同じ工場で働けば一石二鳥。」

「5年間夫婦で必死に貯めれば1500万円貯まるな。」

 

 

そんな提案を青木さんにしました。

青木さんはそこまで真剣に先のことを考えられようになったヒロさんに驚いていました。

 

 

「1500万円持ってフィリピンに帰って、アパートを建てたら、毎月決まった額が入って来るし、その仕事は45歳まで良いらしいので、子どもができたら嫁さんと子どもをフィリピンに残して、僕はまた日本で会社の寮生活をしながらお金を貯めます。」

 

 

「そうしたら45歳まで、あと2,000万円貯金できます。」

「それで僕はフィリピンに帰って、何か商売を始めようと思いますが、どう思いますか。」

 

 

「その仕事の問題点はないだろうか?」

「病気になったら解雇ですよね。保険なんかもないし。」

「そうだね。それからあとはないかな。」

「ないですね。」

 

 

「奥さんと子どもをフィリピンに残して、自分1人が日本で寮生活というのは我慢できるのだろうか。1年ならなんとかできるかもしれないけれど。」

 

 

「・・・・・・」

 

 

「僕は大きな失敗をしましたよ。大学を卒業しても、何もスキルがないんです。どこも雇ってはくれませんよ。会社が必要とするスキルがないんです。」

 

 

 

「一緒に考えていこう。」と言った青木は、以前お世話になった会社経営者の皆さんに「英語とタガログ語ができる30才の男がいる。フィリピンで10年近く住んでいたので、フイリピン人の管理は得意です。」とヒロさんを売り込んだのです。

 

 

いくつかの会社が興味を示してくれました。

その中で1社は特に良い待遇で迎え入れようとしてくれたのです。

 

 

 

 

その話を聞いたヒロさんは驚いていました。

しかし、少し考える時間が欲しいとのことでした。

1週間後、ヒロさんは青木に言いました。

 

 

 

タガログ語と英語ができることはスキルですよね。スキルさえあれば年齢なんかあまり関係ない。そうですよね。それで・・・・・・すみませんが、そのオファアーをお断りしてください。僕は今一度、自分の将来をより良くしたいので、大きく方向転換することにしました。」

 

 

 

これから先は、彼が彼の言葉で語る必要があります。

 

 

おっと「ヒロさん劇場第二幕がはじまるのですね。」

 

 

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2022年50代男さん自立しました。〈未来日記〉東大

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50代男さんの担当は、僕ではありません。

フィリピン人スタッフが支援をしています。

日本人スタッフより、フィリピン人スタッフと一緒にいる方が彼の顔の表情が良いのです。

 

 

50代男さんが「弱音を吐かない。」と言いましたが、毎日のように弱音を吐いています。

 

 

 

「僕は病院に入院した方がいいのではないですか。」

「こんな歳になって、できないことがこんなにあるとは思っていなかった。もっと早くに死んでおけばよかった。」

 

 

支援を受けなかった山田さんの20年後が、50代男さんなのかと妙に納得する僕です。

 

 

 

僕は蚊取り線香を取り出して、50代男さんの前に出しました。

「重なった蚊取り線香を、1枚だけ使いたいので、離してくれませんか。」とお願いしました。

 

 

その模様を録画するため、ビデオをセットして「5分後に戻ります。」と言って部屋から退出しました。

 

 

5分後戻ったら驚いてしまいました。

一箱に束が3袋入っていましたが、3袋からそれぞれ1枚ずつ蚊取り線香が取り出してあったのです。

 

 

「1袋から1枚だけ取り出してください。」と正確に言わなかった僕のミスです。

ビデオを巻き戻しました。

20秒で1枚を離すことができていました。

 

 

「すごいですね。20秒でできました。」

「こんなの誰でもできるでしょ。」

「いいえできない人が、あなたの身近に2人います。」

 

 

「誰ですか。」

「青木とヒロさんです。」

 

 

事務所に移動してもらって、作業をしてもらいました。

アルミ製のラックを組み立てるのです。

一緒にスタッフが協力しますが、50代男さんが全て指示を出します。

 

 

20分ほどで出来上がりました。

「すごいですね。丁寧にできましたね。」

「次はなんの作業ですか?」

 

 

「この作業ができない人たちがいます。どう思いますか?」

「こんなことは誰でもできます。できない人は、障害者の人でしょう。」と50代男さんがイライラして僕に言いました。

 

 

 

「はい、できない3人は、ヒロさん、山田さん、そして僕です。」

僕と聞いて僕の顔をじっと見つめる彼です。

 

 

「確か東大出ているんですよね。東大出ててもできないの?」

「はい、東大ではラックの組み立て方も重なった蚊取り線香を1枚だけ離すことも教えてくれなかったです。」

 

 

 

「そんなもん教えんわな。」

「そうなんです。教えるまでのことでもないのです。」

「他の人にとって簡単なことが僕やヒロさん、青木にはとても難しいことなのです。」

 

 

「青木先生は賢そうな人に見えたけれど。頭が悪いのか?」

「いいえ、そういうことではありません。青木は図工や体育が1か2でした。集団行動ができません。絵は幼稚園児が描く程度です。」

 

 

「しかし、ひきこもっている人たちの支援に関しては、大きな成果をあげています。青木と肩を並べる人はそうはいないでしょう。」

 

 

「できないことはできるようにすればいいだけなんです。」

「時には誰かに手伝ってもらってもいいんです。」

 

 

「だったら、僕は何もしなくていいことになるな。」

「違います。努力すればできるのに、しないことはよくないことです。今あなたがしていることは、努力してできるようにすることなのです。」

 

 

こんなふうにして支援は日々行われていきます。

 

 

「50代男さんは、3年間支援を受け続けた後、自立できるようになります。」と青木は考えています。

 

 

思いつきではなく、4年間50代男さんを見続けてきたことからそう判断したのです。

 

 

このブログを見て下さっている皆様。

どうか3年後、彼が自立できるその日まで、私たちと一緒に彼を見守り続けてもらえないでしょうか。

 

 

よろしくお願いします。

 

 

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2013年5月4日9時品川プリンスホテルマウナケアにて 東大。

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50代男さん。

高校卒業後、30年間自宅にひきこもっていた人。

家族以外誰とも会ったことがない人。

 

 

 

足腰が弱って体力も著しく低下していた。

身なりにも気を使わない。

知らない人が見たら、ハンディを持っている方と見られてしまうような人。

 

 

 

その人の支援をしています。

読んでいてくださる方に説明するためにあえて、上記のような書き方をしました。

 

 

 

支援をする私たちからしたら、できないことができるようになるそのお手伝いをするだけです。

今、よくない状況でも、支援を受ければ確実に変わるのです。

 

 

 

僕だって、支援を受けて変わったのですから。

 

 

しかし、その僕が思うのです。

本当に50代男さんは、僕たちが設定した支援のゴールにたどりつけるのだろうかと。

 

        

     〈50代男さんの支援のゴール〉

 

 

1、3年間の支援で、英語とビサヤ語を日常生活で使用する程度に使いこなせる。

 

 

2、生活全般のことを1人でやれるようになり、自分で考えて行動できるまでになる。

 

 

3、人生を楽しむ術を覚え、結婚する相手もいる。

 

 

4、給料は毎月15万前後を稼いでいる。(アルバイトではない。)

 

 

 

こうなればいいなという程度のものではなく、確実にここまで成長させられるという確信に近いゴールなのです。

 

 

 

就労は現時点では日本ではなく、フィリピンで考えています。

 

 

 

このようなことを青木は数年前から彼に少しずつ話していました。

そして、もう一度年始に彼に納得してもらうために話したのです。

 

 

彼からは、以前のような「そんなことは無理に決まっている。」という反応はありませんでした。

 

 

今は、「本当にそのように変われるのだろうか」という不安があるみたいです。

 

 

彼が重い口をひらいて言いました。

「私がやり通せるというその根拠はなんですか。」と。

 

 

「4年間あなたを見続けてきたことからだね。」

「青木さんは、私がゴールにたどりつけると確信しているのですね。」

「はい、確信しています。」

 

 

「わかりました。よろしくお願いします。もう弱音を吐いたりしません。」

 

 

「弱音は吐くさ。なんどもなんども失敗して、弱音を吐く。」

「でも、また立ち上がれるように僕たちがするから大丈夫。何も問題はない。」

 

 

2人の会話を聞いていた僕は、感動してしまいました。

そしてあの時を思いだしたのです。

 

 

品川プリンスホテル2階の喫茶店「マウナケア」のレジ横の4人がけテーブルに青木と僕は真向かって座っていました。

僕は青木が怖くて仕方がありませんでした。

 

 

親には良い顔をしているが、一旦海外に僕を連れ出した後に香港経由で僕を海外に売り飛ばす計画を企んでいる。

青木の顔を見たら、ますますそんなことをしている悪人に見えたのです。

僕はそう確信していました。

 

 

そんな時に、青木が強くそしてクリアな声で、僕に囁いたのです。

 

 

「会えて嬉しいです。ありがとう。ここまで来るのに怖い思いをしたでしょ。」

まさかそんな言葉を聞くとはも思っていませんでした。

 

 

続いてこうも言いました。

「人生を一緒に変えよう。時間は気にしない。どこまでもついていくから。」と。

 

 

私は「はい。」と自分でもびっくりするくらい大きな声で返事をしました。

そしてその日から2週間後、私は30年間のひきこもりからフィリピンの喧騒の中に移動したのです。

 

 

面談が終わり、レジまちをしていた時に、青木が言いました。

「あなたの人生は良い方向に変わる。そして助けを求めている人を助ける側になる。結婚もするよ。」と自分で話して、自分でうなづいていました。

 

 

2019年、僕の人生は大きく変わっています。

そしてわずかですが、人を助ける仕事をしています。

数年で結婚するつもりです。

 

 

だから、50代男さん!! 次はあなたの番ですよ!!

 

 

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機械人間が血の通った人間になっていく。Mr.Joe

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はい、どうもJoeです。

 

 

もう1月も終わりですね。

私は3月になったら、日本に戻って運転免許を取ります。

4月にはフィリピンに戻り、いよいよ戦闘開始です。

 

 

 

研修期間は2月一杯で、6ヶ月で終了です。

本当に有意義な研修でした。

台湾人、中国人、オーストラリア人、英国人、フィリピン人と友達が増えましたよ。

 

 

 

世界が広がりましたね。

私は世界中に知り合いを作りたいのです。

 

 

世界地図を広げて見るのです。

あそこと、あそこに友達がいると確認するだけで、とても楽しいじゃないですか。

 

 

もちろん新しくできた友達には、私が勤務するレストランに必ず来てもらいます。

そこで、私は彼らに接客するのです。

サーフィン、ダイビング、釣りなどなど。

 

 

 

フィリピンのリゾート地で5年働いて、日本に帰り、日本で小さな居場所を作りたいのです。

もちろん愛する女性と二人三脚で進んでいけたらいいなと思っています。

 

 

 

しかし、女性と相対するというのはとても難しいですね。

 

 

 

わからないことが山ほどあります。

スタッフに一つ一つ教えられていますが、それにしても一体私は今まで何をやってきたのかと自問自答してしまいます。

 

 

もちろん20年間何もやっていないだけなのです。

圧倒的な経験不足です。

その経験不足を今、補っているのです。

 

 

嘆いている時間は私にはないのです。

が、本当に女性との関わり方がわからないのです。

スタッフから色々と指摘されて、「あああ、そうなのか!!」と新鮮に驚く日々です。

 

 

スタッフさんとは擬似デートをします。

現場で教えてもらうのが1番身につくそうです。

 

 

「Joe!! 女性をおいて、どんどん歩いて行ってはダメでしょ。いつも女性の歩く速さに合わせなさい。」

 

 

「Joe、はずかしがらない!! 相手の鼻の上あたりを見て話しなさい。」

 

 

私はこれが1番苦手でして、どうしても相手の目を見てしまうのです。

そうしますと、強烈に照れてしまうのです。

 

 

照れが続くと、逆に目線を外すことができなくなってしまい。気を失いそうになります。

 

 

または体を右、左とくねくねさせてしまいます。

「Joe、体をくねくねさせない!!それはフィリピンのゲイの人たちによく見られる仕草だから、誤解されるよ。」

 

 

そう言えば、スタッフからこう聞かれました。

「Joeは男性を好きになったことがありますか?化粧に関心があるとか?」

 

 

 

「いやいや、僕は女性だけしか興味ありませんよ。」とは答えておきました。

どちらの性なのか悩んでいる人もいるみたいですね。

僕もそのように見られていたわけです。

 

 

 

ほとんうに色々なことがあるんだなとおもいましたね。

 

 

でも新しくわかったことが増えて、知らなかったことが減っていくというのは、とてもいいもんですよ。

スタッフとのレクチャーはとても楽しいんですよ。

 

 

なんだか機械人間が少しづつ、血の通った人間になっていくような気がします。

 

それではまた。

 

 

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50歳はまだ大丈夫なのですか?ドラゴンズ

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こんにちわ。ドラゴンズです。

ボランテイアの続きを書きます。

 

 

ボランティアが終わった後、帰りの車の中でスタッフさんが「どうして泣いていたんですか」と聞きました。

それで泣いた理由を説明しました。

 

 

 

「あなたは優しい心を持っていますね。」と言ってくれました。

「みんな優しい心を持っていますよ。」と私が言い返しました。

 

 

「優しい心を持っていてもそれをすぐに出せる人は、そんなに多くはいませんよ。」とスタッフさんが言いました。

 

 

「そうですか?」と私が聞き返したら、「そうです。」と力強く答えてくれたスタッフさんです。

 

 

 

私は窓から外を眺めながら、独り言を言っていました。

独り言がとても多いらしいです。

時には、誰かと話しているのではと間違われることもあります。

 

 

 

家にいるときに母親が「大丈夫か?病院に行った方がいいんじゃないか」と言いました。

その時は母親のその言葉がとても悲しかったです。

 

 

「もう充分だ。」「もういいよ。」「ありがとう、フィリピン。」と言っていたらしいです。

 

 

「本当にこれで充分なの?」「これでもういいの?」「もっとありがとうを言われたくないんですか」とスタッフさんが僕に機関銃のように聞いてきました。

 

 

 

「・・・・・・」

 

 

自分で考えてみました。

 

 

「もう年ですから。これで充分なんです。」と答えました。

 

 

「僕は充分じゃない。僕は幸せになりたい。結婚もするし、子どもも与えられて、幸せな家庭を築くんです。」と東大さんがびっくりするくらい大きな声で僕に言いました。

 

 

「もう50ですから。」と私が言いました。

「僕はまだ57歳です!!」

「青木と一緒にバンドを組んで、フィリピンの素人音楽コンテストに参加するのが夢なんです。」

 

 

僕は黙ってしまいました。

 

 

車の窓から流れる人や風景を眺めていました。

「ここは日本じゃないんだ。」となんどもつぶやいていました。

 

 

私の住むマンションに着きました。

私は車から降りる時にスタッフさんに質問しました。

 

 

「僕は大丈夫だと思いますか。」

「大丈夫です!!」と3人のスタッフが声を合わせて言ったので、少し笑ってしまいましたし、3人のスタッフも笑っていました。

 

 

「あなたがまだ変わりたいと思い続ける限り、私たちはあなたの側で支援をしていくから。何も心配はしない!!」

 

 

「ああ、そうですか。」とぶっきらぼうに返事をしてしまったことをすぐに後悔しましたが、車はすでに遠くに行ってしまいました。

 

 

私はマンションのロビーで座っていました。

動けなかったのです。

「あなたが変わりたいと思い続ける限り、私たちはあなたの側にいる。」

 

 

なんどもその言葉を復唱しました。

私は長い間ひとりでした。

「もう1人じゃないのか?」と呟きました。

 

 

 

ロビーで案内をしてくれる女性が私に近づいてきてこう言いました。

 

 

 

「青木先生とご一緒にボランティア活動でしたか?いつもフィリピンの子どもたちを助けてくれてありがとうございます。」と話しかけてくれました。

 

 

そう言って私に手を差し伸べてくれました。

私は急いで来たエレベーターに乗りました。

その女性は、とてもとても綺麗な女性なので恥ずかしかったからです。

 

 

そしてエレベーターの中で激しく泣きました。

 

 

「私は幸せだ。」とこの時強く感じました。

 

 

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2019年は50代男さんの覚醒で幕を開けた。東大

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50代男さん、覚醒しました。

 

 

年末、日本に一次帰国する直前、「やはり日本でゆっくりしたいな。日本は食事が美味しいし、面白いテレビ番組もあるからな。」というひとりごとをスタッフが聞いたというのです。

 

 

サポートセンターは50代男さんを徹底的に支援すると決めたのです。

 

 

もちろん私たちスタッフは、彼が数回フィリピンに滞在した時に支援可能かどうか様子を観察しました。

青木を始め、スタッフでとことん話し合って、その結果、支援をお引き受けしたのです。

 

 

 

しかし、「本当に大丈夫なんだろうか。」という思いはほとんどのスタッフが感じていたことです。

 

 

それでもスタッフは、一生懸命に50代男さんの状態をひきあげようと必死でした。

 

 

そんななかでの、あの発言です。

「多分、日本のお正月を久しぶりに味わったら、もう帰ってこないだろうな。」

少なくとも私はそう思っていました。

 

 

 

正直、彼の支援は大変な支援です。

「30年間家から出ていない。」というのが本当にあったことに対しての私の驚きです。

30年間家から出ないと、足が極端にやせ細り、筋肉が退化することを知りました。

 

 

 

僕ですら、深夜になって人通りが少なくなった頃に体力保持のため、家から出たことが月に何度かはありましたからね。

 

 

 

できないことがあまりにも多くありすぎて、残された時間を考えると、忍耐強いスタッフたちも焦るのは当然です。

50代男さんが必死に頑張っているのはわかるので、スタッフたちは余計にあせるのです。

 

 

30年間ひきこもった男の人の支援よりは、20代、30代のまだ将来性が多く残っている人たちの支援の方が、正直やっていて楽しいです。

 

 

日本に帰る飛行機の中で、スタッフからなんども今後のスケジュールを確認された彼です。

 

 

しかし、帰国した翌日に事務所に電話をかけきて「帰国は1月下旬になりませんか。」とたずねてきたのです。

 

 

電話に出たのが1番厳しいスタッフでした。

「延期する理由がありますか?」

「・・・・・・」

 

 

「ゆっくりしたいなら、ずーっとゆっくりしてもいいんですよ。決めるのは私たちではないですから、あなたがあなたの将来を決めることができるのです。」

 

 

「わかりました。ごめんなさい、予定通りフィリピンに帰ります。」

 

 

私は空港に彼を迎えに行ったのですが、会えませんでした。

彼は自分でタクシーに乗り、自分のマンションまで向かったのです。

 

 

「ハーイ、東大さん、元気ですか? ごめさんなさい。突然ひとりでタクシーに乗ってみたくなりました。興奮して電話するのが遅れました。」

「ハッピーニューイヤー」

 

 

私からの電話に出た彼。

全部英語だし。

ペラペラ大きな声でしゃべっているし。

 

 

これは電話だ、電話。

青木に、日本のスタッフに、報告です。

 

 

誰もが彼の覚醒を信じてくれませんでした。

 

 

現在は1日8時間の英語漬けの日々です。

彼は最近こう言いました。

「この一年頑張ってダメなら諦めます。どうか頑張りますのでよろしくお願いします。」

 

 

2020年の正月、50代男さんの笑顔をみられるのでしょうか?

 

 

応援をどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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3年の支援で就職を果たした場面緘黙少年。 東大

 

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生きてますよ!!ブログを書くような状況ではないのですよ。心配ないです。ありがとう 

 

 

20代の青年。

高校でつまづいてしまった。

 

 

通信制高校に行きなさいと言われて、行ったけれど、通信制高校時代に誰とも話さなかった彼。

 

 

通信制高校の勉強は難しくはない。

比較的簡単に高校卒業の資格がもらえる。

 

 

でも、卒業後、就職も次の学校への進路にも踏み出せないに違いない。

このままでは卒業後にひきこもってしまうと想像したお母さん。

 

「なんとかしないと。」と、ご両親がインターネットで情報をさがす。

場面緘黙と診断された息子を社会に戻れるようにしたいとの思いから。

 

 

 

お母さんは福祉の現場で働いてみえるので、発達障害の知識があった。

 

 

このブログに出会って、ヒロさんや大統領への支援の様子を知り、サポートセンターの支援なら、息子を変えてくれるに違いないと希望を持った。

 

 

 

通信制高校在学中から、次の進路を決めておかなければならないと判断したお母さんは、通信制高校の休みを利用して、サポートセンターに息子さんを連れて来られた。

しかし、彼はサポートセンターで出会ったスタッフにも沈黙を貫く。

 

 

 

2年時の夏休み。

冬休み。

沈黙がつづく。

 

 

しばらく、ご両親からの連絡がとだえた。

サポートセンターの方から頻繁に問い合わせをすることはしない。

 

 

私たちの支援が必要なら、また連絡を下さると思っている。

 

 

3年時の夏前に、お母さんから近況を知らせる電話があった。

夏休みにそちらに泊まり込みさせて欲しい。

それで様子をみて欲しい。

状況は相変わらず沈黙が続いているとのこと。

 

 

 

7月にお母さんに連れられて来た彼。

「アルバイトは簡単なデーターの打ち込み。時給は◯◯円で◯時間以上◯◯時以内で、あなたが働く時間を決めればいい。」

 

 

しかし、沈黙。

想定内だったので、次のことを語った。

 

 

こんなことはしたくないなら、右手をあげてください。

やってもいいなら、そのままです。

 

 

アルバイトをすることになった。

サポートセンターが借りている部屋に泊まり込んで、1週間アルバイトをしてもらった。

 

 

食事の時間は大切な経験獲得のプログラムとなる。

朝食は毎日、違うコンビニに、名古屋駅前の各デパートの地下食品売り場の半額時間にも繰り出した。

 

 

支援している彼よりも、スタッフが年甲斐もなく高級寿司半額商品をゲットして喜ぶ。

楽しい時間なんです。

 

 

毎回、食事は朝食以外はスタッフと食べた。

もちろん何も話さない。

話しかけても何も答えない。

そんなことは構わずに、彼に色々な話題を楽しそうに話しかけるスタッフ。

 

 

 

アルバイト最後の日。

青木が奮発して、美味しい魚料理の店に彼を連れて行く。

 

 

 

青木が頼んだ料理が運ばれてくる。

「食べてごらん。」とすすめる。

かすかに表情が和らいだ感じがする。

 

 

「美味しいだろう。」

「本当に美味しいな。」

「あああ、生きててよかった。」

 

 

と青木が呑気に喋ったら、彼が笑いそうになった。

それをすかさず我慢した。

 

 

「遠慮しなくて笑えばいいさ。」

「どうだ、美味しいだろ。これも食べなよ。」と自分の分もあげる青木。

 

 

「美味しいな。」と青木が言った瞬間。

「はい。」と小さく声を出した。

 

 

思わず心の中でガッツポーズをした青木。

「ちょっと、トイレに行くね。」と言い、スタッフに電話をした青木。

 

 

「やった!!話してくれたよ。大丈夫だ、回復できるさ。」

 

 

私たちはフィリピンで彼を支援してきた。

彼には友達ができた。

日常生活での英語の会話には困らない。

 

 

「ピアノが弾けるようになりたい。」

「サーフィンができるようになればかっこいいですよね。」

 

 

新しく来た仲間の支援も少しやらせてみた。

思った以上にできた。

 

 

 

3月で学校が終了する。

その後は働くことが決まった。

「もう一度学校に行ってもいいかな。」と言ったとのこと。

 

 

 

あれから3年。

大きく変わった彼の未来は希望に溢れている。

 

 

 

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