発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

2019年は50代男さんの覚醒で幕を開けた。東大

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50代男さん、覚醒しました。

 

 

年末、日本に一次帰国する直前、「やはり日本でゆっくりしたいな。日本は食事が美味しいし、面白いテレビ番組もあるからな。」というひとりごとをスタッフが聞いたというのです。

 

 

サポートセンターは50代男さんを徹底的に支援すると決めたのです。

 

 

もちろん私たちスタッフは、彼が数回フィリピンに滞在した時に支援可能かどうか様子を観察しました。

青木を始め、スタッフでとことん話し合って、その結果、支援をお引き受けしたのです。

 

 

 

しかし、「本当に大丈夫なんだろうか。」という思いはほとんどのスタッフが感じていたことです。

 

 

それでもスタッフは、一生懸命に50代男さんの状態をひきあげようと必死でした。

 

 

そんななかでの、あの発言です。

「多分、日本のお正月を久しぶりに味わったら、もう帰ってこないだろうな。」

少なくとも私はそう思っていました。

 

 

 

正直、彼の支援は大変な支援です。

「30年間家から出ていない。」というのが本当にあったことに対しての私の驚きです。

30年間家から出ないと、足が極端にやせ細り、筋肉が退化することを知りました。

 

 

 

僕ですら、深夜になって人通りが少なくなった頃に体力保持のため、家から出たことが月に何度かはありましたからね。

 

 

 

できないことがあまりにも多くありすぎて、残された時間を考えると、忍耐強いスタッフたちも焦るのは当然です。

50代男さんが必死に頑張っているのはわかるので、スタッフたちは余計にあせるのです。

 

 

30年間ひきこもった男の人の支援よりは、20代、30代のまだ将来性が多く残っている人たちの支援の方が、正直やっていて楽しいです。

 

 

日本に帰る飛行機の中で、スタッフからなんども今後のスケジュールを確認された彼です。

 

 

しかし、帰国した翌日に事務所に電話をかけきて「帰国は1月下旬になりませんか。」とたずねてきたのです。

 

 

電話に出たのが1番厳しいスタッフでした。

「延期する理由がありますか?」

「・・・・・・」

 

 

「ゆっくりしたいなら、ずーっとゆっくりしてもいいんですよ。決めるのは私たちではないですから、あなたがあなたの将来を決めることができるのです。」

 

 

「わかりました。ごめんなさい、予定通りフィリピンに帰ります。」

 

 

私は空港に彼を迎えに行ったのですが、会えませんでした。

彼は自分でタクシーに乗り、自分のマンションまで向かったのです。

 

 

「ハーイ、東大さん、元気ですか? ごめさんなさい。突然ひとりでタクシーに乗ってみたくなりました。興奮して電話するのが遅れました。」

「ハッピーニューイヤー」

 

 

私からの電話に出た彼。

全部英語だし。

ペラペラ大きな声でしゃべっているし。

 

 

これは電話だ、電話。

青木に、日本のスタッフに、報告です。

 

 

誰もが彼の覚醒を信じてくれませんでした。

 

 

現在は1日8時間の英語漬けの日々です。

彼は最近こう言いました。

「この一年頑張ってダメなら諦めます。どうか頑張りますのでよろしくお願いします。」

 

 

2020年の正月、50代男さんの笑顔をみられるのでしょうか?

 

 

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