発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

お母さんあなたはどれだけ子どもの事を知っていますか 東大&ヒロ

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           研修中のMr.Joe 

 

 

東大さんと僕はいろんなことを話した。

その中でも特に読んでくださっている皆様にお役に立てる情報をお伝えしたいと思います。

 

 

まあほとんどの話は東大さんから振ってもらった話題でして。

そして東大さんが話を展開してくださったわけでして。

 

 

僕たちが話した中でもっとも大切なことは「親なきあと、子どもが1人で生きて行けるようにすること。」だと思います。

 

 

「親亡き後、子どもが1人で生きて行けるようにすること。」が親御さんのもっとも大切な役目だと思います。

 

 

「親なきあと、子どもが1人で生きて行けるようにすること。」

そのために、子どもをどのように育てるのか。

そこから考えられたら、子育てはうまく行くのではないでしょうか。

 

 

それにしても、サポートセンターで支援を受けている人たちを見ますと、全員自立ができていないのです。

だからサポートセンターにいるわけなのですが。

 

 

簡単に言うと「その年齢でこんなこともできないのか」と思われてしまうことです。

 

 

洗濯機で服を洗うこと。

したことがありません。

アスペルガーの特性がとても強い30代の男の人です。

 

 

 

「脱水」と言うことを知らなかったのですよ。

まあサポートセンターの洗濯機はその当時、二層式でした。

で、洗い終えたびしょびしょのままの服を、脱水せずに干してあったのです。

 

 

余談ですが、洗濯機内の衣服がくるくる回るのをじっと見ていたその青年は、目を回して倒れました。

嘘のような本当の話。

 

 

10歳の少年がしたことです。

ならいいですが、30代で優秀な大学に合格するくらいの方ですからね。

 

 

サポートセンターのスタッフはこんせつ丁寧に洗濯の仕方を教えます。

手とり足取り。

 

 

体を清潔に保つこと。

入浴したり、シャワーを浴びる習慣がない人がほとんどです。

 

 

ここは南国。

連日35度の世界。

もちろん日本の蒸し暑さではなく、カラッとした暑さですが、日中活動しますと汗が吹き出ます。

 

 

そして彼らは20代、30代のやろうですからね。

とにかく。

 

 

臭い!!

な、な、なんじゃああああこの臭い。

 

 

鼻がひん曲がりそうに臭い。

あ〜ら不思議。

自分の臭さは受容できるのか、はたまた、鼻がつまっているのか?

 

 

 

実際支援を受けている人たちの多くは鼻が詰まっていますね。

アレルギー体質の人が多いんですよ。

 

 

そして、サポートセンターは彼らに向かって言います。

「一緒に銭湯に行きますよ。」ってね。

 

 

そう言ってこう言った人がいましたよ。

「水着着用でいいいですか」って、あなた!!

 

 

入浴と体を洗うこととは違うのですが、彼らの多くは理解していません。

体を洗うことを教えていかないといけないのです。

 

 

 

「そんなバカな!!」

「作り話もいい加減にしなさいよ。」

 

 

お母さん、あなたはどれだけお子さんのことを知っていますか?

 

 

 

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迷惑かけっぱなしの父との和解 ヒロ

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 すごいな。次は東大さんのキャラクターだ。さらに全員描いてくださるとのこと。

 

 

父親との講演会。

その提案を聞いてなんだか嬉しくなったおいらです。

さつそく青木さんに聞きました。

 

 

 

「良いね。僕もやりたいね。」

「ですよね。」

「いつ頃なら企画できると思いますか」と青木さん。

 

 

「わかってますよ。まずは仕事を継続して実績を示す。」

「実績を示すというのはどういうことですか。」

「ちゃんと社会の一員として暮らしていることですかね。」

 

 

 

「なるほど、その通りだね。」

「で、そこまで到達するには後何年必要と思いますか。」

「うーん、5年ぐらいかな。」

 

 

「5年後というと35歳ぐらいかな。」

 

 

「お父さんの事情を説明しますと、5年で今の会社を退職かな。」

「そうすると仕事以外の事で新聞なんかに載っても会社に迷惑はかからないかな。後5年ね。」

 

 

 

「父親は引き受けてくれますかね。」

「問題があるとしたら、お母さんのことだけかな。」

「お母さんがお父さんと君が交流したと知ったら、病状はさらに悪化するからね。そこが問題だな。」

 

 

 

「俺っていつの時からか、昔のことを思い出してみよう。ということで、過去を整理してきたじゃないですか。今になってあれは本当に回復への大きな効果があったと思いますよ。」

 

 

 

「頭の中が混乱していた俺ですよ。なんかいろんな具材を入れすぎた味噌汁のように味がぼやけてしまったかのようなそんな俺の頭の中。」

 

 

 

「それが一つずつ整理されていき、問題は何かをはっきりとさせてもらって、おいらは回復へのスタートラインにたったと思っています。まあ10年かかりましたけれどね。」

 

 

「で、最後のピースは家族との和解だと思っております。」

 

 

青木さんと一緒に話を聞いていた他のスタッフがじーっとおいらを見てこう言った。

「今何歳だったかな。」

「29歳ですが、何か?」

 

 

「13年がたったんだよね。(支援開始から)うーん、なんというか、言葉にできないな、今の気持ち。」

と言って泣いていた。

 

 

俺は混乱した。

 

 

「なんで泣いているんですか」

「なんか悲しませるような発言がありましたか。」

 

 

 

こんな時、すぐに今から10分前までの発言に瞬時にアクセスできるガジエットがあれば、発達障害のおいら達の回復にとても有効な気がする。

 

 

「成長するんだね。」

「人は成長するんだよ。どれだけ待てるか。それが問題なんだ。」

 

 

言っている意味がわからなかった。

今まで話していたストーリーとどんな関係があるのか、わからなくて、頭が混乱してしまった。

 

 

頭を抱えこんだ俺。

 

 

「ごめんね。今のは私の独り言。」

そう言われても混乱しているおいら。

 

 

青木さんが場所を変えて、おいらの好きなシュークリームを冷蔵庫から出してくれた。

話題はドラゴンボールに変わって、青木さんが話し始めた。

 

 

おいらもつられて大きな声で話した。

 

 

10分くらいしたら、「元の部屋でまた話そう。」ということで、元の部屋に移った。

そしてたらホワイトボードに今でのおいらの発言が書かれてあった。

 

 

そこから青木さんがこんせつ丁寧になんでスタッフが泣いたかを説明してくれた。

時間にして30分。

そしておいらはなぜスタッフが泣いたのかを理解しました。

 

 

こんな作業がおいらみたいな程度の悪いアスペルガーには必要なんですよ。

大変だな。

ほんと、いつもいつも頭が下がりますね。

 

 

ありがとうございました。

またあした。

 

 

 

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僕と父親との講演会。手に負えない子どもとの過去と現在と未来。ヒロ

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「子どもと良い関係性を持てないのです。

大変なご経験をされた当事者で、そして社会に戻っていくことができた当事者として何かアドバイスをいただけませんか」とのご相談を俺指名でいただきます。

 

 

「本当に俺でいいんですか」とスタッフには聞いていましたが。

 

 

今になって、またまたたくさんのご相談を日本全国からいただいております。

恐縮しております。

 

 

それとありがとうございます。

「俺は社会で必要されないんだ。」と思っていたあの頃。

それが今では講演の依頼や相談の依頼をいただくまでになっております。

 

 

多分この状況を1番信じられないと思っているのは、僕の父親でしょうね。

 

 

「父親と書くこと自体信じられないですね。」と言うんだろうな。

昔は「おやじ」でしたから。

 

 

日本中で子育てに困っておられるお母様方にご奉仕するのがおいらの役目でございます。

 

 

 

先日も日本滞在中に2組のお母様の面談に立ち会わさせていただきました。

1組のお母様は、「私の娘はヒロさんの女版と考えてもらって結構です!!」と言われておいらは椅子から転げ落ちそうでしたね。

 

 

「大変だ。」

「俺の女版って、どうすりゃいいんだ」と震えておりました。

実際、お話をお伺いすれば、同じじゃないですか。

 

 

「だからヒロさんのブログを寝る前に読んでいるんです。希望が見えるんですよ。」

 

 

こんなに悪かった人でも手厚い支援をしてもらえば、改善するんだと。」

「私のようなお母様方は日本全国におられると思いますよ。」

 

 

そう言われるとお母さんは泣いた。

おいらはどうリアクションして良いのかわからなかったので、スタッフの顔を覗き込んだ。

 

 

スタッフは怖い顔をしていた。

多分「泣いたらあかん。泣いたらあかん」と気張っていたからあんな顔になったんだろうな。

 

 

 

相談は「希望」を見せることができた。と感じて終わった。

帰る時には玄関までお見送りがおいらの役目。

エレベーター内でまじまじとおいらの顔を見つめたお母さん。

 

 

「ヒロさんのご両親も大変だったでしょうね。ごめんなさいね、こんな言い方して。ヒロさんとお父様とで講演会をなさったら盛況になるんじゃないでしょうか」と言い残してお母さんは玄関から出て行った。

 

 

 

俺は鉛の塊を背負わされたような気がして、マンション内にあるソファーに深く座り込んだ。

胸ポケットから折り曲がったシガレットを取り出し火をつけた。

 

 

通りを行き交う人々をガラス越しに見ておいらは目を閉じた。

感じることは「感謝」の2文字。

 

 

そして「やってやる」と言う感情が足元から足そして頭へと体全体を駆け抜けていく。

吸いかけのタバコを消して、立ち上がって言った。

「さあやるぞ新しい世界へ突入だ!!」

 

足取り軽く、何を思ったか階段で事務所に戻ろうと思い立った。

一段とびだ!!

二段とび

 

 

「あっ」と言うと同時に足を踏み外した。

そして階段から滑り落ちた。

踊り場で痛さのあまり身動きが取れずに横たわっていた。

 

 

 

ブラックヒロが言った。

「調子にのるな」と。

 

 

シガレットを吸ったと言うのは嘘です。

 

 

 

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30年ひきこもった東大さんと年老いた母。ヒロ

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東大さんとの話は続く。

 

 

ここで本日初めてこのブログにお越しくださったみな様に、「東大さん」とはいかなる人物なのかをご紹介させていただきます。

 

 

年齢57歳

出身 東京

出身大学 東京大学  大学院終了

 

両親 天国に在籍

 

 

おいらは東大さんのお母様とお会いしましたよ。

ぜひ、ご挨拶をさせて欲しいということで、東京まで行きました。

 

 

「少しでも息子と一緒にいてやりたくて、私は健康に人一倍気をつけています。息子を置いて先に死ねないんですよ。」とにこやかに笑っていたお母さん。

 

 

「息子が不憫で仕方がなくてね、何もしてやれなかった母を許してください。」

そういうと声をあげて泣いておられました。

 

 

僕ももらい泣きしました。

 

 

その翌日、東大さんは日本を離れてフィリピンに渡られました。

その2日後、お母様は急逸されたのです。

そのお顔は微笑んでいたそうです。

 

 

悪いところはどこもなくて本当に健康に気をつけていたお母様でした。

 

 

 

〈東大さんのこと〉

東大大学院在籍中から不安が徐々に強くなっていき、学校に行けなくなってしまう。

 

 

理由は「研究室でのチームワークの輪を乱した。」とか「他の研究員とのコミニュケーションが取れなかった」りで 叱責されることが多くなり、「また失敗してしまうのではないか」と不安が先走り、とうとう家からも出られなくなってしまった。

 

 

担当教授の優しさで、大学院は終了となるが、就職に関して「推薦はできない。」と言われて、就職はアウトとなり、それ以降部屋に閉じこもり30年。

 

 

 

「教授からの推薦がなくても東大ブランドで就職なんて、いくらでもできるのではないですか?」

はい、とても良い質問をされました。

おいらもそう思いました。

 

 

しかし。

ここは天下の東京大学なのです。

教授からの推薦がないとはどういうことですか?

 

 

「何か問題があったのではないか」と敬遠されるということです。

万事窮すでございます。

 

 

なんどか勇気を振り絞ってアルバイトにも挑戦したのですが、やはり履歴書でチエックが入ります。

東大とは書けません。

「なんで東大出た人がアルバイトの面接に来ているの」となります。

 

 

◯◯高校卒業も書けません。

誰もが知っている高校ですから。

「そんな高校出たのに大学は行かなかったの?」と皆さんは疑問を持ちます。

 

 

ですからアルバイトすらできなかったのです。

家庭教師の口があった!!と大喜びの東大さん。

しかし、その門もくぐることはできませんでした。

 

 

八方塞がりの東大さん。

5年、10年、20年と時はあっという間に過ぎていきます。

部屋でじっとしていたら気が狂いそうになりますよ。

 

 

そんな時には高校時代の問題集をとくのです。

それが一番安心できる時だったそうですよ。

ハゲ太郎もおんなじことを言っていましたな。

まあレベルがは違いますけどね。

 

 

ですから、サポートセンターと出会うまでは高校時代の参考書とか問題は捨てずに取ってあったそうですよ。

 

 

30年のひきこもり。

途中引きこもり支援をしている団体の人が訪問をされましたが、屋根伝いに逃げた話はサポートセンター殿堂入りのお話です。

 

 

鳶職での就職でもありだったのではと思うおいらです。

 

明日もよろしく。

 

 

 

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あれから5年。天国のご両親様、東大さんは立派に成長しましたよ。ヒロ

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東大さんと会ったのは何ヶ月ぶりだろうか。

僕は現在、所用で再びフィリピンに1時帰国しております。

 

 

それで時間があったので東大さんを訪問しました。

事前に連絡を入れてからお会いしました。

 

 

待ち合わせ場所に現れたのは、別人でした。

「えええええ、どうしたんですか?東大さんですよね?」と言ってしまうほどの変わりよう。

 

 

服装から髪型まで変わってしまっていた。

おまけに佇まいまで。

 

 

2人で喫茶店に行って色々と話した。

 

 

東大さんは色々な責任を任されて大変だということは聞いていた。

聞いていた以上に東大さんの話からはその大変さが伝わって来た。

 

 

毎日朝5時起床の深夜1時就寝。

日本のサラリーマンでは当たり前かもしれないけれど、俺たちにしては大変ですよ。

 

 

そして土日も休みが取れないとのこと。

「それって今流行りのブラック企業じゃないですか!!」

「やめたほうがいいんじゃないですか?」

 

 

「東大さんなら他にも就職先があるでしょ」とおいらはアドバイスをした。

 

 

東大さんは少しの間考えてこう言った。

「なんだか楽しいんだよね。」

「た、た、楽しい。?!」

 

 

「あんたはマゾか!!」

「あっはははは。違うよ。責任を与えられていることに喜びを感じているんだよ。」

「今は1日が1年分くらいな気がするよ。」

 

 

「ようやく自分の時が来た。」そんな感じかな。

 

 

「青木さんが良く言っていたよね。」

「責任が人を成長させる」ってね。

「だからヒロさんが、僕がとても変わったと感じてくれるなら、それは責任を任されたからじゃないかな。」

 

 

「任された責任を全うしようと全力を尽くす。もちろん失敗だらけなんで、正直涙が落ちるくらい落ち込むよ。この年齢でこんなことも知らないのかってね」

 

 

「でも今まで考えられなかったほどすごいスピードで成長していることを僕自身が感じているんだ。」

 

 

「だからヒロさんじゃないけれど、ひきこもっていた時のことを思い出せなくなっているんだよ。」

 

 

「でたあ!!」

「そのお言葉頂きました!!」

 

 

「サポートセンターからこの5年間のことを思い返して何か書いてください」と頼まれたけけれど、昔のことが思い出せなくなっている。」

 

 

 

 

「それって、痴呆症じゃないですか。」

「違うよ。痴呆症は少し前のことを忘れてしまうことだよ。」とむすっとした東大さん。

 

 

それから東大さんは、言葉を続けて言った。

どのような責任を任されているのかとか色々。

 

 

今年1年はプログラミングの学校に行って、来年度はオクッスフォードかロンドン大学の古生物学部に入学するよ。

 

 

元引きこもりの人がいて、その人の入学に寄り添う形での入学なんだ。来年はロンドンに引越しをするんだよ。」

 

 

僕は泣いた。

「どうした、ヒロさん。何か問題でもあったのか」と東大さん。

「違います。あんたが幸せなのを聞いて嬉しくて泣いたんですよ。」

 

 

「そうなんだ。」と答えた東大さんの目にも涙が溜まっていた。

「良かったですね。間に合ったんですね。」

 

 

「最後まで心配してくれた両親に今の姿を見せれなくて存念だけどね。」

その言葉を聞いてもっと泣いてしまった俺。

 

 

「お母さん、お父さん、ありがとうございます。ぼくを産んでくれてありがとう。」とお泣きしてしまったバカな俺。

 

 

嬉しかった。

本当に嬉しかった。

5年前のあんたを俺は知っているぜ。

 

 

不安で体が震えていたもん。

じーっと下を向いたまま、一言も話さなかったよな。

 

 

「この人が幸せになったら、この社会に大きな希望を見せることができる!!」とハゲが1人で鼓舞していたな。

 

 

あれから5年か。

 

 

しかし、おいらがこんな風に話せるのはいつになるのでしょうかね。

頑張りますけれどね。

応援よろしくお願いします。

 

 

 

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お母さん、あんたが諦めたら子どもはThe Endだ!! ヒロ

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おいらは反社会的な人間になってしまった。

俺には居場所がなかった。

学校も家庭も居場所ではなかった。

 

 

街を彷徨った。

インターネットカフェに寝泊まりしながら。

時には公園の遊具の中で朝を迎えた。

 

 

俺は生きていた。

俺の生き続けられた原動力は「憎しみ」と「復讐」

その目標を遂げるまで。

 

 

変えなければならない。

この憎しみに満ちた1人の孤独な人間を。

そう思ってくれた人たちがいた?

 

 

父だ。

なんとかして社会に受け入れられる様に。

ただ、それだけの目標で頑張った父。

 

 

父は良さそうな支援があると聞いては、あちらこちらへと仕事の休みを使い探し続けてくれた。

どこの支援団体でもうまくいかなかった俺を最後に引き受けてくれたのはサポートセンターだ。

 

 

しかし、サポートセンターは貧乏くじを引いてしまったんだな。

 

 

すでに色々な支援団体や支援者たちとのふれあいで、支援に対して強い拒否感を抱いていた俺だ。

 

 

もう支援はこりごりだ。

ひきこもっていた。

だれとも会いたくない。

 

 

俺が変わるだって?

この俺が!?

 

 

無理だろ??

無理に決まっている。

 

 

でももしかしたらという小さな希望は俺の中に残っていたんだ。

俺も気づかないくらいな小さな希望の残りカス。

 

 

どうしたら、この16歳の男の子を再生できるのか。

頑張ったんだな、サポートセンターは。

 

 

しかし、支援の成果が見えてこない。

次から次へと支援を受けて、社会へ学校へ帰って行く仲間を尻目に俺は焦っていた。

 

 

やはりダメなのか。

サポートセンターでもだめなんだな。

 

 

俺はこの場所から逃げたくなった。

支援を中断して家に逃げ帰ってやろうと思ったりもした。

 

 

母親がどういうわけか、母性に目覚め、俺を「引き戻したい」と言い始めたんだ。

俺はその申し出を受け入れ家に帰った。

 

 

このままサポートセンターにいても周りと比較して、毎日、毎日自分の自尊心がさらに傷つけられるだけだったからな。

 

 

さようならサポートセンター。

また会う日はないわな。

朝は7時に起きて、夜は10時に寝るだって。

 

 

お使いに行く練習。

郵便局に行く練習。

クロネコヤマトで頼まれたものを出す。

 

 

領収書を忘れました。

お釣りをごまかしました。

お釣りでジャンプを買ってしまいました。

 

 

それをいちいち咎めるわけだ、あいつらは。

俺は好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。

買いたいものを人の金で買う。

 

 

そんなことができなかったサポートセンターは糞食らえだ。

大喜びで自宅に帰ったバカヒロさん。

 

 

「青木さんが1年持たないと思います。また何かお困りでしたら、ご連絡ください。」

と父に言ったらしい。

 

父は「母親が変わった。」と大喜びさ。

だからもうサポートセンターは必要ないんだって。

あれだけ「助けてください。」と頼んだのに。

 

 

もう関係ないってさ。

俺が変われると簡単に思ってしまったんだな。

 

 

 でもハゲの予言は的中した。

ほぼ1年後俺はサポートセンターに出戻ることになる。

それからが本当の回復への道のりだ。

 

 

 

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たくさんの「いいね」が子どもを成長させる。ヒロ

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                                           Hello Japan!!

 

 

とても悪かった昔の状況を書いている。

「くそタレが!!いつもお前の話は同じだ。」と怒っていらっしゃるそこのあなた。

ごめんなさい。その通りです。

 

 

でもおいらとしては毎回毎回同じ内容を書きながらも、実は違う発見をしているんです。

 

 

 

おいらはボランティアで何かを感じた。

それは僕への「いいね」だったと思います。

 

 

おいらは英会話学校に行ったら、「発音最高!!」とフィリピンのおばあちゃん先生に抱きしめられた。

 

 

あんたどんだけ香水ぶっかけてるねん。

その匂いは今でも覚えているね。

 

 

「あなた、私の学校の先生をやりなさいよ。」

「・・・・・・」

このことも「いいね」ポイントだ。

 

 

好きな女性ができた。

生まれて初めて人を好きになるという体験をした。

これももちろん「いいね」だ。

 

 

生まれてはじめてのデート。

忘れることができない、思い出。

「いいね」連発だろうな!!

 

 

幽閉状態で1年間英語だけのことを考えた。

嘘です。

 

 

好きな女性のことを考えていた。

何としても英語を自由に話せるようにして、アタックしてやる。

 

 

気が狂ったように英語、英語の日々。

英語で夢を見ることができるまでになった。

というより日本語を忘れてしまった俺だ。

 

 

使わないと忘れる。

使って、使って、使い続けると「あ〜ら不思議、マシンガンの様な英語の会話が映画『マトリックス』の場面の様にスローに聞こえる様になった。」んだ。

 

 

そして告白。

ばらの花束。

新調した服。

シャワーで体をゴシ、ゴシ、ゴシのゴーシ、ゴシ。

 

 

やったんだな。

俺泣いたって。

号泣だ。

 

 

その時、不思議といじめられた時の様子が脳裏に浮かんだんだ。

そんな世界とはおさらばだ。

俺は、俺は、俺だぁーーーーー。

 

 

実は人生これが最大の「いいね」かもしれない。

初めて人間の仲間入りをした。

違う人間たちに「俺も人間なんだ。」と認められた体験をした。

 

 

「なあに!!サポートセンターじゃないのか?」

たぶんね。

 

 

サポートセンターでよくしてくれたことはいずれ忘れていくと思うが、これらの「いいね」は簡単には忘れないと思う。

 

 

嘘は言えない俺だから。

 

 

 

たくさんの「いいね」が俺の腐りきった体と頭を浄化して行ったんだと思います。

 

 

でも世の中の親御さんたちは「こうだ」「こうしなさい」と指示ばかり。

「うんざりだね」

 

 

「はあ?くそばばあもう一回言ってみろや!!」

「てめえ叩き潰す。」

「死ねや、死ねや。死ねって言ってるだろうが!!」

 

「この家破壊してやる。」

「てめえを殺して俺も行く」

「どうして俺を産んだんだ。」

「産んだ奴が責任を取れや!!」

 

 

今日は日曜日。

家族が家にいるんだ。

ひきこもっている日々がぶち壊される日だ。

 

「おい、てめえらあ、何テレビを見て笑ってんだって。俺のことを今笑っていたな。殺してやる、お前たちをな。」

 

 

同じ指示でも「支持」しますの意味の「いいね」が子どもたち、特においらの様な程度の人間たちには必要なんだと思いますよ。

 

 

考えてもわからないなら、すぐにお近くの信頼できる人たちに支援をお願いしてみましょう。

何もしないのは一番よくないことですから。

 

 

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