発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年ひきこもった東大さんと年老いた母。ヒロ

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東大さんとの話は続く。

 

 

ここで本日初めてこのブログにお越しくださったみな様に、「東大さん」とはいかなる人物なのかをご紹介させていただきます。

 

 

年齢57歳

出身 東京

出身大学 東京大学  大学院終了

 

両親 天国に在籍

 

 

おいらは東大さんのお母様とお会いしましたよ。

ぜひ、ご挨拶をさせて欲しいということで、東京まで行きました。

 

 

「少しでも息子と一緒にいてやりたくて、私は健康に人一倍気をつけています。息子を置いて先に死ねないんですよ。」とにこやかに笑っていたお母さん。

 

 

「息子が不憫で仕方がなくてね、何もしてやれなかった母を許してください。」

そういうと声をあげて泣いておられました。

 

 

僕ももらい泣きしました。

 

 

その翌日、東大さんは日本を離れてフィリピンに渡られました。

その2日後、お母様は急逸されたのです。

そのお顔は微笑んでいたそうです。

 

 

悪いところはどこもなくて本当に健康に気をつけていたお母様でした。

 

 

 

〈東大さんのこと〉

東大大学院在籍中から不安が徐々に強くなっていき、学校に行けなくなってしまう。

 

 

理由は「研究室でのチームワークの輪を乱した。」とか「他の研究員とのコミニュケーションが取れなかった」りで 叱責されることが多くなり、「また失敗してしまうのではないか」と不安が先走り、とうとう家からも出られなくなってしまった。

 

 

担当教授の優しさで、大学院は終了となるが、就職に関して「推薦はできない。」と言われて、就職はアウトとなり、それ以降部屋に閉じこもり30年。

 

 

 

「教授からの推薦がなくても東大ブランドで就職なんて、いくらでもできるのではないですか?」

はい、とても良い質問をされました。

おいらもそう思いました。

 

 

しかし。

ここは天下の東京大学なのです。

教授からの推薦がないとはどういうことですか?

 

 

「何か問題があったのではないか」と敬遠されるということです。

万事窮すでございます。

 

 

なんどか勇気を振り絞ってアルバイトにも挑戦したのですが、やはり履歴書でチエックが入ります。

東大とは書けません。

「なんで東大出た人がアルバイトの面接に来ているの」となります。

 

 

◯◯高校卒業も書けません。

誰もが知っている高校ですから。

「そんな高校出たのに大学は行かなかったの?」と皆さんは疑問を持ちます。

 

 

ですからアルバイトすらできなかったのです。

家庭教師の口があった!!と大喜びの東大さん。

しかし、その門もくぐることはできませんでした。

 

 

八方塞がりの東大さん。

5年、10年、20年と時はあっという間に過ぎていきます。

部屋でじっとしていたら気が狂いそうになりますよ。

 

 

そんな時には高校時代の問題集をとくのです。

それが一番安心できる時だったそうですよ。

ハゲ太郎もおんなじことを言っていましたな。

まあレベルがは違いますけどね。

 

 

ですから、サポートセンターと出会うまでは高校時代の参考書とか問題は捨てずに取ってあったそうですよ。

 

 

30年のひきこもり。

途中引きこもり支援をしている団体の人が訪問をされましたが、屋根伝いに逃げた話はサポートセンター殿堂入りのお話です。

 

 

鳶職での就職でもありだったのではと思うおいらです。

 

明日もよろしく。

 

 

 

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