発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害は成長する 東大

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ヒロさんがその証明です。

 

 

僕はこの5年間、日本にいた6ヶ月間を省いてほとんど彼と一緒にいました。

ですから、彼の変わっていく様子を間近で見ています。

 

 

特に大学を卒業してからの2年間の成長は目を見張るものがありますね。

 

 

大学生活を通して、学んできたことを、社会生活を送る中で開花させたような気がします。

 

 

ヒロさんは16歳の時から30歳になる今まで、サポートセンターのスタッフ達と同じ屋根の下で生活を共にしています。

 

 

 

実は17歳で一旦支援が終了しました。

サポートセンターがこれ以上支援をしてもあまり成長しないと判断して、支援継続をご両親にお断りしたのです。

 

 

ご両親には障害者枠での就労を目標にして、そのような施設で支援を受けることを提案しました。

 

 

できれば私たちも支援を続けたかったのですが、少ないスタッフで支援活動をしていますので、私たちの支援で効果が望める人を優先的に支援をしている関係上、支援を終了するしかありませんでした。

 

 

「ヒロさんは障害者枠での就労が望ましい。」と判断した根拠は日々の支援活動の記録です。

 

 

それを元にして、臨床心理士や現場での経験が豊富なスタッフたちが話し合い、判断したのです。

 

 

しかし、ヒロさんが家族との折り合いがよくないことから、青木は再び戻ってくるだろうと予測していました。

1年後、予測はその通りになりました。

 

 

ヒロさんが自分の荷物を持って、突然、家を飛び出しサポートセンターの事務所を訪ねてきました。

 

 

 

当初は一時的なお預かりだと考えていました。

しかし、数ヶ月経ってもご両親は迎えに来られませんでした。

 

 

その後ご両親との話し合い、サポートセンターがこの先も、ヒロさんを自立させるために支援をしていくことが決まりました。

 

 

しかもそれは、一方的な押し付けではなく、お父さんも毎月支援報告の場に来ていただき、一緒にヒロさんの将来を考えていくことでした。

 

 

しかし、ご両親はヒロさんに会うことは拒否されましたし、私たちとご両親がお会いしていることもヒロさんには秘密でした。

 

 

もちろん、ヒロさんはご両親に対して、強く責めていましたので、彼もまた会いたくはなかったでしょう。

 

 

しかし、スタッフとの話し合いの場に応じることもしないヒロさんに、どうしたら効果的な支援を続けることができるのか?サポートセンターのスタッフは頭を抱えていました。

 

そして、出た結論はスタッフの家族と同居するということでした。

 

 

ヒロさんに、家庭というものは本来「安心して過ごせる場所」だということ。

 

 

家族というのは「自分のことをありのまま受け入れてくれる人たち」ということを感じてもらうことにしたのです。

 

 

ヒロさんは、順番に3人のスタッフの家庭で同居させてもらいました。

 

 

それは大変な日々の始まりでした。

 

 

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