ヒロさんがその証明です。
僕はこの5年間、日本にいた6ヶ月間を省いてほとんど彼と一緒にいました。
ですから、彼の変わっていく様子を間近で見ています。
特に大学を卒業してからの2年間の成長は目を見張るものがありますね。
大学生活を通して、学んできたことを、社会生活を送る中で開花させたような気がします。
ヒロさんは16歳の時から30歳になる今まで、サポートセンターのスタッフ達と同じ屋根の下で生活を共にしています。
実は17歳で一旦支援が終了しました。
サポートセンターがこれ以上支援をしてもあまり成長しないと判断して、支援継続をご両親にお断りしたのです。
ご両親には障害者枠での就労を目標にして、そのような施設で支援を受けることを提案しました。
できれば私たちも支援を続けたかったのですが、少ないスタッフで支援活動をしていますので、私たちの支援で効果が望める人を優先的に支援をしている関係上、支援を終了するしかありませんでした。
「ヒロさんは障害者枠での就労が望ましい。」と判断した根拠は日々の支援活動の記録です。
それを元にして、臨床心理士や現場での経験が豊富なスタッフたちが話し合い、判断したのです。
しかし、ヒロさんが家族との折り合いがよくないことから、青木は再び戻ってくるだろうと予測していました。
1年後、予測はその通りになりました。
ヒロさんが自分の荷物を持って、突然、家を飛び出しサポートセンターの事務所を訪ねてきました。
当初は一時的なお預かりだと考えていました。
しかし、数ヶ月経ってもご両親は迎えに来られませんでした。
その後ご両親との話し合い、サポートセンターがこの先も、ヒロさんを自立させるために支援をしていくことが決まりました。
しかもそれは、一方的な押し付けではなく、お父さんも毎月支援報告の場に来ていただき、一緒にヒロさんの将来を考えていくことでした。
しかし、ご両親はヒロさんに会うことは拒否されましたし、私たちとご両親がお会いしていることもヒロさんには秘密でした。
もちろん、ヒロさんはご両親に対して、強く責めていましたので、彼もまた会いたくはなかったでしょう。
しかし、スタッフとの話し合いの場に応じることもしないヒロさんに、どうしたら効果的な支援を続けることができるのか?サポートセンターのスタッフは頭を抱えていました。
そして、出た結論はスタッフの家族と同居するということでした。
ヒロさんに、家庭というものは本来「安心して過ごせる場所」だということ。
家族というのは「自分のことをありのまま受け入れてくれる人たち」ということを感じてもらうことにしたのです。
ヒロさんは、順番に3人のスタッフの家庭で同居させてもらいました。
それは大変な日々の始まりでした。
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