発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

精神病院と暴力しかなかった僕が変わった理由 ジャイアン

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僕は4年半サポートセンターの支援を受け続けた。

今はとても落ち着いている。

6年近く前のことを思い出しながら書いて来ました。

 

 

6年前と今では大違いです。

どうして自分は変わることができたのか?

このブログを読んでいる人たちはそこが知りたいんだと思います。

 

 

それは、サポートセンターのおかげです。

そんなことはわかってみえると思います。

では、サポートセンターは何を僕にしてくれたのか。

 

 

簡単に言えば「整理」と「提示」ということになります。

僕なりの言い方です。

 

 

僕はとにかく頭の中がくちゃくちゃでした。

小学校に上がり始めた頃から、親との関係がうまくいっていませんでした。

小学校高学年からは毎日死んでしまいたいと考えていました。

 

 

「家から逃げ出したい。」とも考えていました。

頭の中が混乱していて、何がなんだかわかりませんでした。

 

 

勉強机に頭を自分で叩きつけていたりもした。

マッチで自分の髪の毛を燃やしたり、コンパスの尖った先で腕をさしたりもしていた。

 

 

中学に入ると、自分は気が狂っていると確信していた。

とにかく混乱していてそして誰も僕の側にいてくれなかった。

そのことが余計に僕の混乱を大きくした。

 

 

 

そんな時にサポートセンターの人たちがやって来た。

自分の子どもが自殺未遂をしたお母さんは、自分の過ちを話に来てくれた。

 

 

今から考えるとその時に「母親は一生懸命なんだけれど、全てずれている。そして、そのことをわかっていないのか?」と少し感じるようになった。

 

 

自分の失敗を語りに来てくれたサポートセンターのスタッフたち。

 

 

「やり直しがきく。」

「やり直しは日本では難しいけれど、環境を変えて自分が安全だと思える場所なら、もう一度やり直そうと思える。すでに多くの仲間がそのような選択をした。」

 

 

ある時は、フィリピンの大学を出てから、ドイツかどこかの大学にさらに進学しているという人がぼくの病室に来てくれた。

 

 

「人生は楽しむためにあるんだ。ということがわかったことがぼくの人生で一番大切な出来事。」と話したことがしばらくの間頭の中に強く残っていた。

 

 

今考えたら、まるで僕に洗脳するかのようなやり方だ。

 

 

これといった決定打はない。

たくさんの人たちから、たくさんのことを教えてもらった。

そのことがとても大きかったと思う。

 

 

 

そんなふうに僕の心を開いてくれのが、青木さんだった。

 

 

明日は具体的にどんなことをしてもらったかを書いていきたい。

僕の経験が同じようなお子さんをもつ人たちにお役に立てれば嬉しいです。

 

 

 

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