東大さんのブログ記事を読み終えて、「ほんとうにそうだ!!そうだ!!」と雄叫びをあげている僕です。
東大さんの最近の文章に、何か強い自信を感じるのは僕だけでしょうか?
今までは、はっきりと言い切ったような書き方ではなかったけれど、今は言い切った書き方をしてみえます。
どうでしょうか。
小学校から不登校で、それ以来ずーっと部屋にひきこもっていた僕です。
正確に言いますと、フリースクールと確かフリースペースみたいな所にも行ったかもしれません。
それと、不登校児や発達障害児を対象にした私立高校にも見学に行きました。
それが全てです。
親戚の冠婚葬祭にも一切出ませんでした。
言い方が違うな。
他人が怖くて一切出られませんでした。
そう言えば、警察官が様子を見に来たことがありました。
僕が夜中に大声で叫んでいたりして、多分近所の人が通報したんだと思います。
ドア越しに僕に話しかけてくれました。
とても優しい警察官だった。
僕がひきこもっていた時の記憶はそんな程度です。
他には死ぬことしか考えていなかった。
10数年間の地獄のようなひきこもりの日々。
僕は他人が怖かった。
特に同年代が怖かった。
もっと詳しく言うと、同年代の女性が怖かった。
小学校、中学校とみんなと同じことができなかった僕です。
勉強も、運動も、集団行動も何もかも。
みんなができるのに、僕だけできなかった。
それで、僕は自分は障害者に違いないと判断しました。
障害者は夢も持てないし、将来に期待することもできないと思い込んでいた。
だから、死ぬしかない。
これ以上生き恥を晒すくらいなら、死んでしまいたい。
いますぐに。
ひきこもっていた10数年間。
小学校4年からずっーと同じことばかり考えていた。
でも死ぬことは怖くてできなかった。
僕が死ぬことを実行しなかったのは、この世の中のどこかに、こんな僕にでも生まれ変われる場所や支援をしてくれる人たちがいるのではないか?
もしかしたら、すごい薬が発明されて、こんな僕でもみんなと同じになることができるかもしれない。
そんなことも考えていた。
そしてそれは本当になった。
この世の中のある場所に僕を支援してくれる人がいた。
この世の中のある場所で、僕は生まれ変わった。
簡単に言ってしまえば、僕は人馴れしたんです。
サーフィンにはまだ行っていないけれど、昨日のブログ記事を読んで、僕も泣いた。
サポートセンターは小規模らしい。
しかし、このフィリピンっていう国やそこに住む人たちが、僕たちのような強い特性を持った発達障害者を支援する環境そのものなんです。
それを発見した人はすごいですよ!!
日本では、自分から人の輪の中に入っていかない限り、いつまでも1人です。
しかし、外国はあちらから僕に話しかけてくれました。
1人や2人じゃない。
多くの人たちがこんな僕に話しかけてくれた。
そして関心を持とうとしてくれた。
僕から積極的に動くことは難しかった。
フィリピンでもすぐに動けなかった僕のところに、たくさんの人たちがやってきた。
そして、気づけば僕は人馴れをしていた。
時間はかかったけれど。
めでたし、めでたし?
回復した今でもスッキリしない。
サポートセンターのスタッフには感謝している。
しかし、いっ時は死ぬことを真剣に考えていた僕がわずか数年で回復できたことが納得がいかないんだ。
もちろん、人と関わる練習を毎日毎日嫌というほど練習させられた。
頭がかたい僕に、スタッフはきっと涙を流していたに違いない。
回復して今は大学生をしています。
それでも、この10数年間は一体なんだったんだと納得がいかないんです。
できれば、不登校にさせない方がいいに決まっている。
あの時の絶望感といったら・・・・・。
少年から青年に変わる血気盛んな時期に、10数年間も自分に罰を与えるようにひきこもっていた。
あの時間を返して欲しい。
今、みんなと楽しく過ごせているように、小学校、中学校でも楽しく過ごしたかった。
心の中に大きな穴が開いたかのような僕なのです。
この怒りを誰かにぶつけたい。
出ないと混乱が治らないんだ。
またいつか。
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