日本でやり直すのは大変だなということは僕も感じていました。
今その時のことを振り返りますと、こう思います。
日本はみんなが同じものを求められている。
そこから落ちたら、次がない。
決まったバスに乗るために、同級生たちがバス停で長蛇の列で並んでいます。
おしゃべりは厳禁です。
良く見ると、みんな同じ制服を着ていて、みんなの顔はありません。
僕たちは何も考えずに、決められた道を歩んでいくだけです。
日本にはそんな怖さを感じました。
もう一つは、母親との関係です。
僕がフィリピンにいくことを決心したのを、青木さんの報告で知ってから、おせっかいが始まりました。
急に母親ぶって来たんです。
「色々お前とはあったけれど、これからは心を改めて、やり直すんだよ。きっとそのうち良いこともあるからね。」
青木さんから「お母さんに対して怒りを感じたら、その場をすぐに離れなさい。」
「お母さんから離れて、気持ちが落ち着くまで、家に帰ってはいけないよ。」と言われていました。
僕はその言葉どおりに実行しました。
しかし、そこから離れる僕の背中越しに「逃げてどうする。ちゃんと親の話を聞きなさい!!」と言葉を投げて来ました。
僕は怒りが頂点に達して目に入ったテレビを持ち上げて床に叩きつけました。
「てめえ、ぶっころす。絶対お前を殺して俺も死ぬ。お前は人間じゃない。」
僕はその場で絶叫しました。
外に出て携帯で青木さんの携帯に電話しました。
出ません。
「おい、支援者この野郎、お前はいつも一緒だと偉そうなことを抜かしやがって、嘘つき野郎が!!」
青木さんに対して強い憎しみを持ちました。
「今度あったら気が狂ったようにあいつを殴り続けてやる。」
「くそフィリピンなんかいくものか、この野郎。」
目の前にあった自動販売機に体当たりしました。
なんどもなんども体当たりしました。
でも倒れません。
絶叫しながら視界の中に入ったものを壊したかった。
でも何もなかったので、地面を足で「ぶっ殺す。てめえたちをぶったぎる。」と踏み続けていました。
「殺してやる。逃げても無駄だ。」と大声で叫んでいました。
気づいたら、周りを警察官が取り囲んでいました。
僕は力を使い果してしまったので、大人しくそのままパトカーに乗って警察署に連行されました。
一晩警察署で過ごしました。
警察官はとても優しかった。
1人の若いおまわりさんが自分の身の上話をしてくれました。
とても苦労したその人でした。
たくさんの人たちに傷つけられた人生でいつか傷つけた連中を殺してやりたいと思っていた。
でも、兄貴のような優しい人と出会って、怒りで復讐するのではなく、笑顔でたくさんの人たちに仕えようと、警察官を志願した。
「自分をもっと大切にしてほしいんだ。」
僕は本当に感動しました。
「僕も警察官になってあなたと一緒にいたいです。僕に色々なことを教えてください。」
そう言ったら、君はまだ若いんだから、もっと進路を考えてもいいんじゃないかと言われました。
落ち着いた僕は、迎えに来た母の兄に連れられて、名古屋に向かいました。
それ以来、4年半家族とはあってはいません。
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