発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

中学卒業後手厚い支援はなくなる。中学までになんとかしたいです。ヒロ

 

 

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サポートセンターで支援を受け続けて13年になります。

16歳から支援を受け始めて今年で29歳です。

 

 

小学校、中学校で僕は不登校でした。

つまりほとんど学校に行っていないということです。

 

 

もちろん先生方は一生懸命僕を学校に戻してあげようと一生懸命でした。

しかし、僕には戻るだけの力がなかったのです。

 

 

力。

自信ですね。

自信がなかった。

 

 

自信。

自信というより怖さを常に感じていました。

 

 

孤独。

学校の勉強が全くわからなかったので、学校が怖かったです。

自分はクラスの中にいるけれど、1人だけ別の次元にいる。

そんな感情をいつも持っていました。

 

 

学校からはいつも母親あてに連絡が入っていました。

中学3年時には学校側が児童相談所を紹介してくれました。

 

 

そこでもう1度検査をしましたら、やはりアスペルガーと診断されました。

 

 

母親の命令で3箇所の病院で診察を受けました。

その都度色々なテストを受けました。

あのテストはとても疲れるのでぼくは嫌いでした。

 

 

 

母親が学校に呼び出されて、教師や養護教諭の先生たちとどうすれば良いのかと何度も話し合いの時が持たれました。

 

 

母親は学校に行くのが好きではありませんでした。

自分は良いところの家系に生まれて世間でも評判が良い学校を卒業したのに、自分の子どもが悪い状況に我慢できなかったんです。

 

 

言葉にだしてはっきり僕に何度も言っていましたから。

 

 

時にはスクールカウンセラーの人とも話し合いました。

フリースクールーのようなところも紹介されて見学にも行きました。

 

 

今思えばたくさんの人たちが僕に関わってくれていました。

 

 

ところが・・・・・・。

 

 

中学卒業と同時にぼくの周りにいた人たちは誰もいなくなりました。

唯一中学校の時に紹介されたフリースクールの団体からハガキや案内の手紙が定期的に自宅に届いていました。

 

 

中学卒業と同時に程度の悪いアスペルガーな僕への支援はなくなってしまったのです。

 

 

僕だけではありません。

全ての人は中学卒業と同時にあれだけ手厚い支援がなくなってしまうのです。

 

 

サポートセンターで支援を受けている人たち、受けていた人たち。

そのうちで100人ぐらいの人たちと交流を持ったでしょうか。

 

 

中学から行けなくなった人たちは少ないです。

ほとんどは高校在学中から行けなくなった人たちです。

 

 

ほとんどが高校中退。

その理由。

 

 

高校生って思いっきり成長するじゃないですか!!

体も精神的にも、行動半径も何もかもが中学と比べて変わってしまうんです。

もちろん個人差はあります。

 

 

で、僕たちのような人たちは周りのその変わりようを見て、おどろきます。

そして自信を無くします。

 

 

自分はそんなに変わっていないことが目で見てはっきりとわかるからです。

 

 

中学までとまるで違う。

僕と周りとの圧倒的な差に僕たちはその場から引き下がらざるしかなかったのです。

 

 

自分を守るために。

これ以上傷つけられないためにも。

また明日。

 

 

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文科省のみなさん、お役に立てることはどんなことでもいたします。ヒロ

 

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小学校、中学校の先生たちのことを書きたいと思います。

 

少し前に教育委員会の方から「教師の研修として、当事者の話を聞かせて欲しい。」とサポートセンターに依頼がありました。

 

 

また「サポートセンターの発達障害の青少年たちへの支援の実際も合わせて聞かせて欲しい。」との依頼もあったのです。

 

それで僕と元中学の養護教諭であった、敦子センセエーとでお話をさせていただきました。

 

 

教育委員会の責任者の方からは「素晴らしかった。もっともっと現場の先生方に聞いてもらう必要があります。」とのお褒めの言葉をいただきました。

 

 

もちろん代表の青木さんは喜んでご依頼をお引き受けいたします。

日本全国の教育委員会の皆様、どうか学校の先生の前で僕たちにお話をさせてください。

 

 

青木さんに研修会の様子を報告したら「僕がその場にいて話したかった。」と興奮しておりました。

 

 

日本全国どこにでも僕たちは伺い済ますのでどうぞ話す機会を与えてください。

何とご検討の程よろしくお願いいたてします。

 

 

僕はまあ、社交辞令ぐらいだと思って聞いていました。

しかし、このお話を頂いた時、青木さんはめずらしく興奮していました。

それで、話す内容も青木さん自らが監修したのです。

 

 

こんなに褒めていただいたのはそのせいかもしれません。

青木さんは僕との打ち合わせでこう言いました。

 

 

「現場の先生方は疲労困憊している。こどもの現状を把握できない親御さんもいるし、関わることができる期間は短すぎる。現場は大変だと思う。だから僕たちはそんな先生方に恩返しができるんだよ」

 

「どんなにいじめられてもなんとか学校に行きたいとぼくもヒロさんも思ったんだよね。それは素晴らしい先生方に出会ったからだよね。」

 

「学校って楽しいんだよな。皆んなが行っている学校にぼくたちは行きたかったよな。」

 

 

青木さんは珍しく興奮して話していました。

発達障害の子どもたちにとって、学校は大きな大きな可能性があるんだよ。」

 

 

「ヒロさんは同世代から随分遅れてもちゃんと学校を卒業した。」

「そのことは君の回復に大きな効果をもたらせたと思う。」

 

 

「日本の小、中、高でつまづく人たちは多い。つまづいてももう一度やり直させるシステムをなんとか作るとかしたいな。」

 

 

「つまづいた後、再起の道がないことが問題なんだ。」

「大学も専門学校もみんな同じ年齢の人たちが学んでいる。」

「そこらへんをなんとかしたいな。」

 

 

「あれもこれもができなくても、たった1つでもいいので、ちゃんとできる様になれば、そこから子どもたちの可能性は見えてくるんだよ。」

 

「30年間、20年間ひきこもらせないために、小学生の時からなんとか充実した支援をしていきたいな。」

 

 

青木さんは本当に楽しそうにそして興奮して長い話を僕にしてくれました。

 

 

僕たちにできることがあると思います。

学校をドロップアウトしてももう一度学校で学び直し、回復した僕たちの声を聞いてください。

 

 

また明日。

 

 

 

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誰が発達障害の子どもに手を差し伸べるのか?ヒロ

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子どもの周りにいて子どもに影響を与える人たち。

 

1、両親

 

2、小学校、中学校の担任。

 養護教諭(保健室の先生)、スクールカウンセラー

 

 

3、友達(僕には1人もなし。)

 

 

4、児童相談所

 

5、サポートセンターの様な民間支援団体のスタッフ

 

 

こんな感じですかね。

 

 

ぼくの場合はまず母親は心の病気で、精神的にとても不安定でしたから、子どもの世話はできませんでした。

それどころか、子どもたちはおかしくなってしまいます。

 

 

もちろん何度も書いていますが、母親を責めることは一切できません。

 

 

母親には責任はありませんが、そんな母親に適切な処置をしてこなかった周りの家族に責任はないのでしょうか。

ここでは父親になりますが、父親に責任はあったのでしょうか?

 

 

心の病気なら医療に繋げるしかないと僕は思います。

すでにカウンセリングでどうにかなる様な状況ではありませんでしたから。

 

 

でもぼくの母親は医療に繋がることは一切拒否しています。

青木さんのお母さんも、大統領のお母さんも、そのほかここに書くことができない人たちのお母さんたち。

 

 

心の病気になっている人はどうしてか、医療に繋がろうとしません。

もちろんその人たちは自分がよくない状況だと認識していないのです。

 

 

だから、医療は必要ないと思っているのでしょうかね。

でも周りの家族は本当に迷惑をしています。

どうにかならないのでしょうか?

 

 

きっと母親がこんな状況の家族は日本全国にいるのでしょうね。

 

 

そういえばこの人のニュースを見ましたが、思わず自分の母親かと思いました。

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青木さんのお母さんもこんな感じです。

 

 

 お母さんの話はまたあとで書きたいです。

次は学校の先生たちです。

 

 

はじめに学校の先生にもっと敬意を示したいと思っている僕です。

学校の先生たちはどれだけ大変な事をしてみえるのか。

僕みたいな生徒1人に対処するだけでも大変なのに。

 

 

小学校、中学校の先生方の環境を考えますと頭が下がります。

ありえないことをしているのが先生たちですよ。

 

 

青木さんは小学校の時にひどいいじめにあい、2回入院しています。

それでも小学校が好きだったのは大好きな先生たちがいたからです。

 

 

その先生方との出会い、そして指導を受けてなんとか生きていこうと決心できたそうです。

 

 

僕にもそんな先生がいます。

毎年僕に年賀状をくれていた先生です。

 

 

「何もできなくて本当にごめんなさい。」

毎年の年賀状にはこの文面が添えられていました。

先生の存在はとても大きいのです。

 

 

しかし、残念ですが、先生という存在は大きいのですが、担任は2年か1年ごとに変わります。

 

 

そして僕たちは9年間しか学校の先生にお世話をしていただけません。

 

 

もちろん9年間同じ人が継続した支援をして行くならば子どもたちの状況はとてもよくなって行くでしょうね。

 

 

ネガティブな話をしても意味がありません。

「明日は現状でもできることはある。」と題して僕が学校でして欲しかった支援を書きたいです。

 

 

また明日。

 

 

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親のことを思う。ヒロ

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僕は学校の勉強ができなかった。

何もかもがわからなかった。

そういう書き方が正しいな。

 

 

学校ではいじめられもした。

時には「お金を持ってこい。」と奴らは俺を脅迫した。

従わないと殴る、蹴るのリンチだ。

 

 

多い時には母親の財布から10万円を取った。

もちろんそれは悪いことだとはわかっていた。

 

 

親に相談?

相談してどうなる?

 

 

余計ややこしくなることがわかっていたから、相談なんかしないよ。

 

 

でもいつかはばれる。

ばれた時の母親の態度が問題だ。

いまだから冷静にその時のことを見直すことができる俺です。

 

 

母親は俺を責めた。

「お前は刑務所に行け。」

 

 

俺がその時母親に求めていた言葉はそれとは違う。

「どうしたの?」

「家族といってもお金を取ったりするのは良くない

ことぐらいわかっているよね。で、何があったの?」

 

 

 

まずこんな言葉がけが欲しかったな。

「どうしたらいいと思う。」と続く。

「わからないよ。ただ、あいつらの命令に従わないと殴ったり、蹴ったりとかしてきて怖くて仕方がないんだ。」

 

 

そうして俺は蹴られてできた背中のあざを母親に見せただろう。

 

 

「この問題は家族では解決できないから、担任の先生に相談してみよう。」

「それまで仕返しが怖いなら、学校を休みましょう。」

 

 

 

こんな言葉をかけてくれたならと思う。

実際は真逆の言葉を俺は母親からもらった。

 

 

学校で俺はクラスの仲間からその存在をも否定されてきた。

そして家庭も俺の居場所ではなかったんだ。

 

 

中学3年時にアスペルガーと診断を受けた俺。

アスペルガーが問題ではなく、俺を取り巻く周りの環境が問題だったわけです。

 

 

学校で追いつめられ、そして家庭でも追いつめられた。

生きていく自信すらも剥奪された俺は名古屋港に身を投げた。

 

 

「母親のヒロに取った態度は最低で最悪だったね。」

と俺の置かれた環境の大変さを考えてくれる優しい人たちもいる。

 

 

昔は母親を憎んでいた。

長い時間母親の存在をも否定していてた俺。

 

 

母と子の関係で俺みたいな人は他にもいると思いますよ。

何10年間と母親に対して憎しみの気持ちを持ち続けている人たちがいる。

 

 

でも僕はいま、母親に対して特別な感情はないんです。

それどころか、母親は母親でとても辛かったんだろうなとおもえるまでになりました。

 

 

まあ、1つは距離的にとてもとても離れていることもあるかもしれないな。

でも、母親への憎しみは消え去ってしまっています。

 

 

自分の親との関係で自分の人生をめちゃくちゃにされた人たち。

2次障害でリストカット共依存、ひきこもり、摂食障害家庭内暴力を起こしている人たち。

 

 

でも両親を憎んではいけないんだ。

彼らもまた苦しみ悩んでいるのだから。

 

 

それを思いやることができた時、回復が見えてくるのではないでしょうか。

 

 

偉そうなことを言ってごめんなさい。

また明日。

 

 

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発達障害が問題なのではなくて。ヒロ

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学校の勉強がわからない。

基本的な生活習慣を身につけられない。

そんな僕のような状況の人たち。

 

 

でも発達障害が問題じゃないんですよ。

問題なのは周りとうまくやっていけないことです。

 

 

時間がたって歳を取っていけば自然と周りとの差を段々と感じていく僕たちです。

その「差」は縮まることは決してなくどんどん大きくなっていくのです。

 

 

僕たちのような人たちは高校に入ると今まで以上に周りとうまくいきません。

周りとの「差」を日々感じ取っていきます。

それは自己否定に繋がることでもあります。

 

 

サポートセンターで出会う人たちに僕は積極的に話しかけます。

もちろん1部の人しかお会いしていません。

あくまでも個別支援ですから。

 

 

その人たちにお話を聞いて思ったんです。

こどもたちが自信を失わないようにしないとダメだ。

それは早ければ早いほど良い。

 

 

1、「周りのクラスメイトとコミニュケーションが取れない。」

取りたくなければそれ自体はその人には苦痛にはなりません。

周りとうまくやっていきたいのに、それがむずかしいとなればどうでしょうか?

 

 

周りが楽しく会話している様を毎日毎日見せられ続けると、自信を失っていきます。

やがてその状況から離れたいとなります。

 

 

自分を守るために離れないといけないと強く感じます。

そうして「社会的ひきこもり」になっていくのです。

 

 

 

「どうしてひきこもるのか?」とテレビで自称評論家という方々や医療関係の方々が色々と討論している場面に出くわすことがありました。

ぼくは速攻テレビのスイッチを切って外に出ました。

 

 

何で話を複雑にするんですか。

複雑にしたら余計こんがらがるだけなのに。

 

シンプルで行こう!!

問題は複雑ではなくシンプル。

よーく当事者を見ていればわかってくるんですよ。

 

 

「『問題はシンプルだから解決策もシンプル。』と、言ったな?おい、てめえ言ったよな?」

「はい、言いましたよ。」

 

 

「じゃあてめえはなんで13年もすごい支援を受け続けなければならなかったんだ。」

「言っていることがおかしいぞ。」

 

 

「あの、ぼくは特別悪かったんです。」

だから僕は他の人と区別しないといけないなと思いまして自分のことを「程度の悪いアスペな俺」と言っているのであります。

 

 

僕は学校でひどいいじめに合いました。

まあいじめられて病院に2回入院した記録を持つ青木さんに比べたら、足元にも及びませんがね。

 

 

学校で否定され、家では母親から追い立てられたんです。

「勉強しなさい。」

「嫌なら、働きなさい。」

 

 

母親は、僕が小学生の時に指に輪ゴムを巻いて鉛筆を離さないようにしたり、真冬の中ベランダに放置、または叩いたりして、なんとか母親の言っていることに従わさせようとしました。

家でもぼくは否定されたのです。

 

 

そして僕はバットで母親の頭を。

まあ、なんども書くことではないのでそれ以上は書きません。

 

 

それからの僕は「自分だけがこんな目にあうのはおかしい。社会のせいだ。」と反社会的な考えを持つようになったんです。

 

 

母親はぼくのことをなんとかしてあげたいと思ってそうしたんです。

今ならわかります。

だって僕は今幸せだから、わかるんですよ。

 

 

でも母親のやり方はもちろん間違いです。

目的は正しくても暴力でという手段が間違っていた。

しかし、母親には暴力という選択肢しかなかったんだ。

 

 

続きは明日また書きます。

 

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経験することで僕たちは前に進む。ヒロ

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以前書いた記事。

どこかにあると思います。

 

 

なんせサポートセンターはブログを一生懸命育てるという考えはないらしいので、整理されておりません。

残念!!

 

 

すみません今年の5月くらいにその記事はあると思います。

おいらはスタッフ見習いということで、修行中です。

見習いという立場で様々な経験をつませてもらっています。

 

 

しかし、失敗が本当に多いんですよ。

その失敗が定型発達の人たちから見れば、理解できない様なことばかりなんです。

 

 

支援している人をサーフインにお連れした時のことです。

スタッフの各部屋にお水を買うことをまかされた僕です。

その部屋には乗り換えの為に1泊しかしないのです。

 

 

僕は各部屋に2リットルサイズのペットボトルをそれぞれ3本買って届けました。

翌朝スタッフたちから、「こんなにたくさんのお水は飲まないので勿体無い。」という苦情がおいらに届けられました。

 

 

また失敗。

失敗の連続でございます。

 

 

どのくらいの水を飲むのか想像できなかったおいらでした。

人は1日でどのくらいの水を飲むのか?

考えたことがないし想像もつかない。

 

 

でもわかることは、暑いので喉がかわく。

だからまあ、2リットルのペットボトルを1人3本あればまあ大丈だろうな。

 

 

足りなかったら大変なことになる。

それだけはさけたかった。

ホテルで水を頼むと信じられないくらい高い料金を請求されるからね。

 

 

そう考えた程度の悪いアスぺな俺でした。

 

 

すぐに俺担当のスタッフからフォローがあったんだ。

おいらがしたことを褒めてくれたんだ。

 

 

つまり、おいらが「足りなかったら大変なことになる。」という考えをしたことを認めてくれたんだ。

 

 

そして実証見聞。

 

 

おいらは次に泊まったホテルの部屋で、備え付けのコップに2リットルのペットボトルから水を入れてもらって飲んだ。

 

 

1回、2回、3回。

もうダメです、これいじょうは勘弁してください。

 

一ぱいにつき250cc

だから750ccでお腹がタプン、タプンしたおいらでした。

 

 

「あとどのくらい時間がたったらまた水を飲みたいと思いますか。」

「そうですね。あと3時間くらいでコップ1杯でいいかな。」

「次に水を飲んだ時間と量をこのノートに書き記してください。」と言われた。

 

 

翌朝スタッフが午前6時に起こしに来た。

いつもホテルで食事をする場合。

6時15分か9時過ぎに食べる僕らです。

 

 

なぜかというと、僕たちの苦手さは「人混み」にあるのですから。

 

 

 

チエックインが午後2時。

それから、午後2時30分750cc、午後6時夕食。(夕食時に水を飲んだがこれはカウントしない。)翌朝5時30分起床時250cc 6時15分朝食(朝食時もカウントしない。)

 

そして午前10時にチエックアウトをしました。

結果はチエックインからチエックアウトまで飲んだ水の量はペットボトル1リットルでした。

 

 

その結果次のトリビアが生まれました。

「人は、ホテルに1泊した時1リットルのペットボトルで充分である。」

 

 

 

これで次から俺は同じ失敗を2度としなくてすむ。

 

 

「良い経験こそが人を前に進まさせる。」

                BY ツルピカドン

 

 

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さっさと回復して笑顔になろうじゃありませんか!!ヒロ

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無事フィリピンに帰ってきました僕です。

やっぱりほっとしますね。

 

 

日本は素晴らしい国です。

その日本で働いて、暮らせていければ幸せでしょうね。

しかし、僕にはそれは難しいのです。

 

 

だからこの地で生きていきます。

ここで頑張れば、いつか日本で生活ができるくらいには成長できるのではと思っています。

 

 

さてと、書きたいことは山ほどあります。

しかし、それは当事者さんのことを書くわけですから、無理なのです。

すべての人のプライバシーは守らなければなりません。

 

 

ですから、書くことは限られていますね。

支援している人たちの失敗や成長を書くことができたら、それはそれは本当に興味深いブログになるでしょうね。

 

 

まあ、おいらのばかさ加減をいかんなく書いているわけですから、それだけでもありえないブログなんでしょうか。

 

 

それとか「東大さん」や「俊介兄い」「Mr.Joe」などなど当事者が顔出しして、ありのままをさらけ出しているブログは、このブログしかないと聞いています。

 

それにしては、読者の数が少ないと思うんです。

支援者だけでも200人近くいますよね。

その人たちが「いいね」を押してくればダントツ1位を獲得できるはずですよ。

でも「いいね」を押してくれている人の数は少ない。

 

 

なんか選挙の様です。

「みなさま、程度の悪いアスペな俺こと、ヒロがご挨拶に回っております。」

「どうぞ、ブログの『いいね』を『いいね』をどうぞ押してください!!」

「最後のおねがいに上がりました。」

 

 

 

このブログの多くの読者は、当事者のお母様方らしいです。

お子さんの回復へのヒントをこのインターネットの世界で探していて、ようやくたどり着いたのが「発達障害な僕たちから」ということらしいです。

 

 

当事者さんは、あまりこんなブログを読まないらしいです。

「読んだところで、もうどうにもならない。手遅れだ。」と思ってみえるんでしょうね。

 

 

でも、30年ひきこもったアスペルガーの「東大さん」や、中学校から20年間ひきこもってしまった「Mr.Joe」が、今や自信を取り戻し、日々の生活の中で、笑顔をぼくたちに見せてくれているということに、当事者さんは希望を見つけ出してくれませんかね。

 

 

これは現実なんですよ。

フェイクじゃない。

まぎれもない真実。

 

 

回復しようじゃありませんか。

「あなたがひきこもっていたい。」なんて僕たちは思っていませんよ。

 

 

僕のばかさかげんを笑ってやってくださいな。

「こいつ、ほんとバカ。こんな奴でも生きていけているフィリピンって???」

「はい、パラダイスでございます。」

 

 

パラダイスへの道先案内人こと「ヒロ」でございます。

 

 

また明日。

 

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