20年前ぐらいの日本産ママちゃりが愛車。この島唯一の日本人の私です
ヒルマさんと言う方がいらっしゃいます。
とても優秀な方で私たちのてアドバイザーのような働きをしてくださっている方でもあります。
私が先日書いた文章。
smilehousejapan.hatenablog.com
に早速コメントを寄せていくださいました。
コメントというより、もっとみなさんにわかりやすく読んでもらうように修正していただいたという方が正しいでしょう。
このヒルマさんのコメントを読んだスタッフはとにかく納得していましたね。
発達障害の2次障害で長期に渡りひきこもった人たちに対して、サポートセンターはもう一度学校に行くことや資格を取ることを強く進めています。
しかし、ご両親の中には「アルバイトでもいいので働いてくれさえすればそれで満足です。」という方が案外多いらしいです。
サポートセンターは「アルバイトを働くためのきっかけとするならば良いですが、目的としてはいけないですよ。アルバイトで人生が終わってしまいます。」と忠告しています。
しかし、残念ながらご両親にご理解いただくのが難しいのです。
支援が終了して10年後に「アルバイトにも行けなくなりました。」
「すでに40代ですがなんとかなりませんか。」という問い合わせも多いそうです。
40代からですとやはり大変でしょうね。
わたしがそうでしたから。
私が日本でもう一度働くことを選択したならば、後3年は手厚い支援が必要だったとのことです。
さて前置きが長くなりました。
ヒルマさんの文章に目を通してみてください。
〈以下、ヒルマさんの文章です。〉
拙宅の娘で言うならば、本邦屈指の私立大学へギリギリ滑り込めた幸運を最大限に活かしてニッチな専門職の国家資格を取り、必修の第2外国語のみならず留学用に第3外国語も基礎講座で独学の地盤を築き、卒業研究の主題のことならたぶん大学で一番に詳しい(その主題を研究テーマになさっておられる先生がたは、皆さん他大学の所属なのでw)という所まで「武器」を磨くことが叶っています。
とは言え、不登校で高校や大学を中退してしまったり、なんとか卒業単位を揃えたものの就活で不適応を起こしてしまったり、発達障害の二次障害へ陥ったお子さんを支える親御さんがたはほとんどの場合、とりあえずアルバイトをさせたり専門学校で資格を取らせたり、ハローワークや就労移行支援で当座の職へ就かせたり、焦るお気持ちが災いしてか「今」の安堵ばかりを求めてしまう模様。
けれどMr.Joeが説いておられるとおり、お子さんが生き抜いて行かねばならないのは『親亡き後』も『長く続いて行く』未来。
そして、バイトで積める経験や専門学校で取れる資格や、ハローワークや就労移行支援で就ける仕事は、遺憾ながら「みんな」と同じ「普通」の枠内に踏み留まってようやく、口に糊することが叶う「道具」でしかありません。
五感や認知に凸凹を抱えた当事者が、延々と『親亡き後』も『長く続いて行く』未来を生き抜くためには平凡な「道具」ではなく、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を、是非にも習得せねばならないのです。
とりあえずのバイトや専門学校は、せいぜい生活リズムを整えるためのごく初歩的なサポートにしかなり得ない旨、親御さんがたには重々お心得戴きたいと願って止みません。
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