「ヒルマ」さんという方がみえます。
青木さんが毎日目を通しているブログを書いてみえる人です。
青木さんは、昔「ヒルマ」さんの記事を読んで泣いてしまったそうです。
他のスタッフにも読みなさいと勧めたら、他のスタッフも泣いてしまったそうです。
青木さんが泣くくらいですから、すごい人なんだとぼくは思います。
そして毎日欠かさず、ブログをチエックしているんですからね。
ほんとうにすごい人なんでしょう。
程度の悪い僕には青木さんほどその素晴らしさがわかりません。
でも僕も自分が書いたブログの翌日のヒルマさんの記事は読んでいます。
「あああ、僕が言いたいことはこういうことなんだ。このような表現をすればいいのか!!」と納得する毎日です。
なんだか添削してもらっている感じです。
いいえ、添削そのものですよね。
それで、昨日の僕のブログ記事で僕が言いたいことがうまく表現できなくて、青木さんに助け舟を出したんです。
しかし、青木さんは「『サポートセンターの代表がそんなことを言っているとはけしからん」というメールなんかがくるのは大変なんで、協力できない。』
「こういう時には僕なんかより「ヒルマ」さんに聞けば『答え一発!!カシオミニ』だ。」と言いましたが、ギャグか何かよくわかりませんでした。
それで、ヒルマさんにブログの記事の中でお願いした次第です。
青木さんが真っ先にヒルマさんの解答のブログ記事を読んで、えらくうなづいていました。
「すごいな。すごいよ」としか言いませんでした。
ぼくも読みました。
念のため、サポートセンターのスタッフにも協力いただいて、説明してもらいました。
スタッフのみんながえらくうなづいていました。
「すごいな、この人。こんな表現ができるようになりたいな」とあるスタッフが言ったら、その場にいたスタッフ全員がうなづいていました。
ぼくは三度目に読んだ時に涙が出ました。
ぼくの気持ちを理解してくれる人がいて嬉しかったからです。
ありがとうございました。
前置きが長くなりました。
ではお願いします。
《ヒルマさんの記事です。》
『当事者の人たちは本当に それでいいのだろうかと悩む』俊介さんの『言いたいこと』は、拙ブログの一文を引用すれば『障害の「受容」は「迎合」ではないし、支援への「信頼」は「依存」ではないし、「合理的配慮」は「情緒的庇護」ではないのに、勘違いなさる大人たちが依然、後を絶ちません』という憤りだと拝読しました。
もう少し具体的に書くと、当事者さんに『人と関わらなくても良い』『ストレスなくできる』『バグを探す仕事だけ』をさせるのは障害に「迎合」しているだけですし、『障害者雇用で採用』し『生活していけるだけの給与』は『無理だ』と諦めさせ支援への「依存」を強いているだけですし、「理想論で言うと……活躍してほしいな(現実には、活躍するなんて無理なんだけどね)」と上から目線で語るのは「情緒的庇護」でしかない、ということ。
恐縮ながら転載にはキツすぎる表現をさせて戴いた次第は、いくら穏和なお人柄が身上の俊介さんとは言え、憤りの気持ちはご自分で把握・表現することが大切だと考えたから。
ホンモノの「合理的配慮」を実現していくためには、当事者さんが自己を主張し、相応しい支援・適用すべき合理的配慮は何かご提言下さることが是非とも必要なんですよ。
「“合理的配慮”てコレやがな!」
https://everywhichwaytowrite.blogspot.com/2016/05/blog-post.html
発達障害の人たちのその特性に着目して積極的に雇用している人たち。
全て善意からのことです。
感謝しています。
もちろん、経営面でのプラスを考えてもらってもなんら問題ないのです。
そのことに批判はないです。
しかし、僕は違和感を感じたのです。
「その違和感」を理解してくれる人が少しでも増えることを願います。
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