発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

校長先生の笑顔で僕は卒業できました。ヒロ

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 友達。みんなで笑った。みんなでカラオケに行った。そんなことがうれしい

 

 

 

ヒロさんは何をしているの?

就職したという報告書は上がっていないですね。

元気でやっていますか?

 

 

 

7年前のインターナショナルハイスクールの校長は今でも校長をしてみえる。

俺はスタッフの付き添いで母校に来た。

しかし、事務所前で足が止まってしまった。

 

 

俺は就職できていないから。

俺だけ取り残されたかもしれないと思うと強い悲しみが俺を襲う。

 

 

ヒロさんに「一度顔を出して」と言ってください。

「あなたの顔が見たい。」と校長が言っていたと伝えてください。

 

 

そうスタッフに言った後、しばらく俺の思い出が語られた。

何と言っても7年間毎日のように通い続けたんだからな。

 

 

忘れもしないよ。

高校登校初日の昼食時。

俺は1人でスタッフが作ってくれた弁当を食べていたんだ。

 

 

食堂の壁際で1人静かに食べていた。

「ヒロさん、どうしたの?どうして1人で食べているの?」

それは校長先生だった。

 

 

校長先生はすぐに、優しい同級生を探し出して、一緒に昼食を食べるようにしてくれた。

 

 

ある時は、図書館で1人で座っていたら、校長先生がお菓子をくれた。

 

 

校則違反だが、「トイレで隠れて食べなさい。」と小さな声で笑って言ってくれた。

 

 

誕生日に小さいけれどケーキをくれたこともあったな。

サポートセンター以外で初めて誕生日を祝ってもらった経験です。

 

 

俺は日本で小、中と不登校

みんなからいじめられていた。

無視をされていた。

 

 

時には、「死んでくれ」とか「気持ち悪いから学校に来ないで」と言われたな。

放課の時間はトイレに監禁されて、上と下から水攻めにあったり、裸にされて廊下に放置。

 

 

まあ、学校が荒れていた時代だったからな。

それでもなんとか頑張って学校に行っても、行くたびにやられたら、バカなおいらでももう諦めてしまった。

 

 

本当はみんなと楽しく、仲良く学校生活をたのしみたかっただけなんだ。

でもそんなことは俺には許されなかった。

 

 

自分がそう願っても、誰も俺を仲間に入れようとはしてくれなかったから。

 

 

そんな学校生活が体じゅうに染み込んでいたから、いくらスタッフが「フィリピンではいじめや不登校という言葉はない。」と言われても、信じることはできなかった。

もう期待して、裏切られるのはごめんだと思っていたからな。

 

 

だからフィリピンのインターナショナルハイスクールに入学しても不安の方が強かった。

初日こそ期待したけれどね。

 

 

あの校長がアメリカンボーイを支援しているのか?

 

今度お土産を持って、校長先生の笑顔に会いに行こう。

「色々とお世話をしていただき、ありがとうございました。」

 

 

一度も「ありがとう」を言っていないことを思いだした俺です。

 

アメリカンボーイのことは明日書きます。

元気で学校には行っています。

しかし、色々と困難なことが出てきました。

 

 

例えば聴覚過敏です。

とにかくフィリピンは音の洪水だからね。

かわいそうに。

 

 

ではまた明日。

 

 

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