5日までイースター休みです。6日からまた忙しくなります
2日間の青木さんの話を読んで、僕でもかけると思いましたから書きます。
高校まではなんとか頑張って通っていました。
でもぎりぎりの精神状態でした。
高校の時、友達はいませんでした。
時間通りに学校に行って、授業が終わったらすぐに家に帰るという日々でした。
友達は・・・・・・
どう作っていいのかわからなかったし、1人だけいたけど、なんかうまくいかなくて、向こうが離れていってしまいました。
まあ、1人がいいやと思っていました。
気楽だしね。
高校時代は、アルバイトも怖くてできなかった。
だから、高校卒業しても就職は怖くてできなかったので、大学に逃げました。
その大学での入学式。
はい。青木さんと同じで、たくさんの学生が、駅の出口からどんどん出て来る姿を見て、僕もパニックになり、自宅に帰りました。
一心不乱で、目的地に多くの人が向かっている姿。
僕があの中に入り、同じようなスピードで歩いていくことは考えられなかった。
少ししてから、大学に通いました。
自分で考えて、早くても午前10時ぐらいからの授業を選択しました。
お昼はゲーム喫茶を見つけたので、そこでランチを食べて次の授業の時間までひたすらゲームをやっていたので、時間を潰すことはできました。
あの店がなかったら、僕はどこで昼ご飯を食べればいいのかわからなくて、多分パニックになっていたか、おにぎりなんかをコンビニで買ってトイレで食べていたと思います。
人がたくさん利用するトイレだと落ち着けないので、メイン校舎から遠く離れた誰も利用しないトイレを見つけておきました。
先生の中には、終業のチャイムがなっても終わらない先生もいて、そんな時にはゲーム喫茶はすでに満杯で、いる場所がなくて、仕方がないので地下鉄に乗って2駅離れた漫画喫茶で時間をすごしてもいました。
だんだん大学に通うエネルギーも無くなってきて、朝起きられなくなりました。
家を出ても大学に向かうことができなくなり、繁華街をさまよっていました。
何度かやる気を出して大学にも行きましたが、正門のところに来ると、胸を締め付けられてうずくまったことがありました。
手が震えたり、顔がこわばったりして、もうだめだと気付きました。
大学に行かない決心をしました。
大学に行かないとそれっきりです。
中学の時、学校を休んだら担任から電話がかかってきました。
家庭訪問もされました。
高校は中学ほどではないけれど、やはり担任が心配してくれました。
大学は何もありません。
もちろん、期待なんかは何もしていなかったけれど。
だから、大学に行かなくなったら、そのまま時間だけが経ってしまい、気がついたら家から出ることも怖くなっていた自分でした。
最初の頃は、深夜に自転車に乗り隣町のコンビニで立ち読みしたりしていました。
ある時、自転車が盗難にあったので、それからはもう外に出ることもしなくなりました。
8年近くは、家から出ていないことになります。
あっという間に時間は経ってしまいました。
僕は死ぬことだけを待っていました。
東北の地震のテレビ番組を見ていて、死んでしまいたい僕がのうのうと生きていて。
毎日、必死に頑張って生き抜いてきた人たちが、命を奪われたことに、申し訳ない気持ちでいたことを思い出します。
生まれてこなければよかった。
自分の存在を消し去りたかった。
死ぬときにはせめて自分の体を他の誰かに使ってもらいたいと思っていました。
今は、生きたいです。
幸せになりたい。
結婚もして家族を作りたい。
だから、毎日頑張って仕事をしています。
青木さんが、「10年近くのひきこもった経験が他の誰かの役に立つんだよ。」
と言ってくれて、今の僕があります。
多分僕のような青少年が、今も日本のどこかで寂しくしているのでしょうね。
「一緒に楽しくやっていこうよ。」
僕はそう言いたいです。
読んでくださってありがとうございました。
最後に、今度日本に帰る時には、もらったお給料で母親に何か買っていってあげたいと思っています。
スタッフに聞いたら、「笑顔がいいな」と言ってくれました。
こんな優しいスタッフに感謝したいです。
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